富松恵美は、なぜプロレスから総合格闘技へ転向したのか?

格闘技の魅力と、競技での苦労と喜び

——プロレスを引退された後に柔術・総合格闘技の道に進んだ経緯を教えてください。

プロレスラーはすごい食べるんですよ。食べなくても先輩が食べろと言いますし。動いていないにもかかわらず引退してからも自分はアスリートだと思い込んでその調子で食べ続けていたら、太ってきてしまって。これはまずい、ということで外で走ったり縄跳びをしていました。そうしてトレーニングしていたら脛(すね)が疲労骨折する寸前までいってしまいました。基本的にやりすぎてしまうタイプなんです。

おそらくアスファルトが脚によくないのだと思ったので、家の近くのスポーツジムに通うようになりました。そこでエアロビみたいな格闘技(ボディコンバット)というのをやっていたら、自分が格闘技をやりたかったのを思い出したんです。今所属しているパラエストラ松戸は学校とは別の方向にあったので、高校時代は行くのを諦めていたのですが、これを期に例の毒霧の女の子を誘って行くことにしました。今彼女は子供も2人生まれて家庭があるのでやっていませんが、結構強かったです。

——それでパラエストラ松戸で柔術を始めたわけですね。

初めてから半年後くらいに千葉の松戸で柔術の全日本大会があって、それにみんなで出ようという話で盛り上がり、出場することになりました。その当時は柔術が熱くて、ジムにも活気があり、練習場所がないくらいでした。大会も全日本ということもありましたが、5面くらいあって1面で100試合程組まれていました。

でも私はなぜか1試合目で、しかも日系ブラジル人みたいな選手が対戦相手だったんです。結局ポイント負けしてしまい、悲しいデビュー戦でしたね。それからは経験が大切だと思ったので、積極的にアマチュアの大会や胴着を着ていない※グラップリングの試合など、出られる限りは出るようにしました。女子の選手は少ないのですぐにプロの大会の誘いが来るんです。

でも男子だとすごく選手の層が厚くて、例えば修斗であれば地方のアマチュアの大会があり、そこで入賞して全国大会に出て、またいい成績を残さないとプロの試合には出られません。知り合いの人でもアマチュアだけで50戦している人がいます。

なので、自分もそうしたいと考え、東日本アマチュア選手権で優勝して、小田原での全国大会に出ました。そこでは今JEWELSのプロデューサーをしている茂木康子選手に負けて準優勝でした。その後、女子版修斗が開催されるということで、参戦することにしました。

※グラップリング・・・寝技全般、すなわち組み技と関節技で闘う競技の総称。打撃技は一切禁止。

——格闘家としてご活躍されている間は別の仕事をしていたのですか。

親の会社で働きながらやっていました。プロ格闘家と言ってもファイトマネーはバイト代くらいしか出ません。格闘家というより普通の会社員という気持ちの方が強いかもしれませんね。今も働いてから、ジムに行って、という形です。

——格闘技の魅力とは何だと思いますか。

リングはカッコいいですし、自分がプレーしているわけではないですが、感動や勇気を観ている人に与えてくれます。もちろん他の競技もそうだと思いますが、私にとってはそれが格闘技でした。あんなに輝く人がいるなら自分もやってみたいなと考えるようになりましたね。

——競技をする上で苦労したことを教えてください。

苦労したことは・・・あまりないですね。プロレス時代にいろいろあり過ぎたので、周りからは苦労しているように見えるのかもしれませんが、実はそうでもないです。挙げるとするならば仕事してから練習して、家に帰るのは日付が変わるくらいになり、また朝6時頃から仕事なので、眠いということですかね。

今はあまり車の運転はしないですが、以前はしていて、それで居眠り運転をしてしまい、車を大破させたことがあります。川のほとりに突っ込みました。エアバッグが出た瞬間、スローモーションで見えて、避けちゃいました(笑)

——エアバッグを避けたという話は初めて聞きました(笑)。反対に嬉しかったことを教えてください。

仲間が増えたことですね。一緒に練習しているので、当然試合で勝てば喜び合いますし、チームの絆が生まれました。あとは今は家族がすごく応援してくれます。妹が音楽をやっていて、それを登場曲にしているんですけど、その曲を使っている以上負けたら許さないと厳しいことを言われています。親戚も観に来てくれます。一族が集まる機会が私の試合か、お墓参りかになっていますね(笑)勝てばもちろん喜んでくれますけど、負けても頑張っている姿を見て褒めてくれるのが嬉しいです。

何でもやりたいと信じ続けていればいつかできる

——初めはやはりご家族の方は心配していたのですか。

あまり観に来てくれませんでしたし、試合で内臓が破裂したことがありました。その時はさすがに母はやめるように言っていましたが、父は自分の夢を途中で諦めた過去を持っていたようで、私にも妹にもとことんやるように勧めてくれました。

富松恵美

——すごくご理解のあるご家族ですね。 もし格闘技をやっていなかったら何をしていたと思いますか。

大学に行けていたら編集者になっていたと思います。あとは中学の頃に競馬の騎手になりたかったです。祖父が競馬好きだったんです。馬の目はすごくかわいいんですよ。家の近くに日本で唯一の競馬学校があったので、資料を取り寄せたりもしましたが、視力と体重制限でダメでした。あまり女性が活躍していないところで活躍したいという気持ちはあったのもしれませんね。今もそうですが。

——格闘技以外の趣味はありますか。

ヘヴィメタルとラーメンですね。(ヘヴィ)メタルは家族の影響で、今もライブに行くのが趣味です。もちろん格闘技の試合も観に行ったりします。あとは最近ゲームセンターのコインゲームにハマっています(笑)

——富松さんが思うご自身の魅力は何ですか。

誰とでも仲良くなれるところだと思います。苦手なタイプもありませんし。

——ファンの人も話してくれたりすれば嬉しいですよね。

ファンがいないと成り立たないじゃないですか。身内だけでやっていても広がっていかないですし。貴重な意見を言ってくれる時もあります。

——女子格闘技ならではのエピソードがあれば教えてください。

これは私特有だと思うのですが、元々肩パッドというあだ名で呼ばれていたんです。肩幅が広かったからですね。電車の席で明らかに座れるだけのスペースが空いているのに肩だけ入らないことがあります(笑)。

あとは荷物が多いですね。総合格闘技の練習着と胴着、最悪の場合はミット打ち用、スパーリング用、総合格闘技用グローブが加わり、さらにヘッドギアやニーパッドは必要な時もあります。練習後には汗を吸うので、その分だけ重くなりますし。ドラゴンボールの亀仙人みたいな感じですね(笑)たくさんの洗濯物も梅雨の時期はなかなか乾かないです。

——最後に読者にメッセージをお願いします。

私はファンから入って、自分が憧れのリングに立つとは想像していませんでしたが、何でもやりたいと信じ続けていればいつかできるので、目標を持ってやっていって欲しいと思います。そして女子格闘技は存在すら知らない人も多いですが、男子に負けないように技術を練習し、レベルも上がってきているので、ぜひ観に来てください!

<了>

関連記事