岡崎チアゴ(デウソン神戸)が語る、「勝利以上の喜び」とは。

本日はデウソン神戸所属・岡崎チアゴ選手のインタビューです。試合中の熱い印象とはまた違った、岡崎選手の優しさにも注目です。

サッカーからフットサルに転向、そしてFリーグへ

——まずは岡崎選手のスポーツの経歴を教えてください。

ブラジルではストリートサッカーで少しやっているくらいで、日本に来てからは小学3年生くらいの時からクラブチームでサッカーをしていました。僕は他の人と経歴としては変わっているんです。地元では名門と言われている高校でサッカーはやっていたんですが、全国大会に出るようなところではなかったんです。飛龍高校というところで、スポーツ名門校ですね。

卒業後はサッカーやフットサルから一回離れて介護の仕事をしていました。その時はフットサルは仲間内でやったり、個人参加型のフットサルに行く程度でした。そんな中たまたま強いチームとやる機会があり、自分自身も成長したい想いが出てきてハマりました。競技としても魅力がありましたし、性格的にも負けず嫌いなところがあって、追求したくなりました。その時にフットサルをすごく面白いと感じることができましたし。

——そこからFリーグの選手になるまでの経緯はどのようなものがあったのですか。

Fリーグが開幕する前の年までトップリーグだった関東リーグのオールスター戦がありました。その試合の午前中にトライアウトがあって、関東リーグの1部2部の関係者の方々が見に来ている中、それを受けました。3チームからオファーを頂いて、シャークスというチームに入団を決めました。僕は地元が伊豆なのですが、シャークスがFリーグ参入を目指すために伊豆にチームごと移転してきたんです。

地元の選手ということでチームからも可愛がってもらいましたね。ちょうどスペイン人監督を招聘して、本気で伊豆からFリーグに参入を目指していました。なので、所属選手もみんな伊豆に引っ越してきて、試合のある時だけ関東に出て行くという感じでしたね。そこからフットサル漬けになるのですが、他の1部のチームと比べると恵まれた環境だったと思います。僕はフットサルにおいては初心者でしたが、1から教えてもらえましたし、一番初めに関われたチームがそういうチームでよかったですね。ラッキーな1年だったです。

——サッカーからフットサルに変わって違いを感じる場面はありましたか。

元々ミニゲームをするのは好きで、プレッシャーが早いなと思うことはありましたが、経験のある人から学べましたし、内容はすごく濃かったと思います。

——シャークスからいわて(ステラミーゴいわて花巻)に移籍するきっかけは何だったのでしょうか。

トライアウトを受けた1年後の関東リーグのオールスターに出場させてもらった時にいわて花巻の関係者の方から声をかけてもらい、Fリーグに挑戦する機会があるならそれに懸けてみたいということで移籍させてもらいました。それで2008年シーズンからステラミーゴいわて花巻に加入したという形です。

——環境も変わって苦労もあったのではないでしょうか。

金銭面でも待遇面でもあまりいい状況ではなかったですけど、好きな介護の仕事をしながら、知り合えた利用者の方などと仲良くなれてよかったと思います。今も担当していたおばあちゃんからメールが来たりします。自分にとってすごくいい経験になりました。

——介護の仕事はあまり馴染みがないと思うのですが。

高校を卒業してから知り合いの紹介で介護の仕事をしていました。実は僕も面接を受けるまで介護の仕事のイメージは明白ではなかったんです。ただ人と関わることが好きでしたし、自分がおばあちゃん子だったというものあったので楽しいと思える仕事になりましたね。

岡崎チアゴ

——ステラミーゴいわて花巻と今所属されているデウソン神戸の違いは何ですか。

花巻では朝介護の仕事をして、夕方から練習する形でした。神戸では最初は他の仕事をしないでフットサルに打ち込める環境でした。今は朝練習して、午後はフットサルスクールを自分で立ち上げたのでそちらを教えたり、デウソン神戸の下部組織の指導をしています。

フットサルの試合を1つの交流や繋がりのきっかけに

——岡崎選手が思う、フットサルの魅力を教えてください。

スピード感もありますし、臨場感があります。パス1本でゴールまでいきますし、シュートの音や当たる音が聞こえます。小さい体育館の方が迫力がありますね。あとはいろいろな意味で近いと思います。選手とファンが関われる場面もすごく多いです。

生涯スポーツとしてできるのもフットサルの魅力だと思います。サッカーだと広いコートで11人でやらないといけないとなるとなかなか難しいじゃないですか。フットサルだと小規模でできますよね。

——競技をする上での苦労を教えてください。

今まで大きなケガもないですし、小さなスランプはあれど、ネガティブなことはあまり感じていないですね。強いて言うならシャークス時代、まだ伊豆で仕事をしていたので、8〜18時で仕事をして、車で関東の方まで出て行って22〜24時の練習に参加し、また静岡まで帰って3時くらいに寝て、7時に家出て・・・というのは大変でした。

——ケガや体調を崩さないために気を付けていることはありますか。

最近は野菜中心の食生活にしたり、体幹トレーニングすることくらいですかね。

岡崎チアゴ

——プレーする上で嬉しかったことを教えてください。

もちろん試合でいいプレーしたり、勝ったりすることも嬉しかったですが、一番嬉しかったことは花巻時代ですね。岩手県には全国リーグに出ているチームがなかったんです。なので結構テレビ放送もあって、僕が介護していたデイサービスの方々が試合を観に来てくれるようになったんです。テレビで観たら「昨日の試合観たよ!頑張ってたね!」と声をかけてくれるようになりました。

認知症の方は昔の記憶を残っているものの、新しい記憶が入りにくいんです。でもそこの人達は僕の名前まで覚えていてくれて、試合結果を聞いてくれたり、杖を突きながらでも会場に来てくれたことが一番嬉しかったです。そうやって地域の方と関わっていくのが嬉しかったので、今神戸でボランティア活動としてやっています。チームにお願いして、シートを用意してもらって僕の名前でおじいちゃんおばあちゃんを招待しています。

——すごくほっこりするエピソードですね。

なかなか入所してしまうと外に出る機会が減りますし、刺激が少ない生活になってしまうんです。お風呂に入るのも週2、3回とか。でもちょっとでもドキドキしたり、外との関わりが出てくれば、笑顔も増えると思うんです。そこで今やっている活動では僕が老人ホームに出て行って、一緒に体操して名前と顔を覚えてもらって、ホームゲームに招待しています。いつも体操している人が試合をしているというのを覚えてもらい、刺激にして、認知症予防にもなればいいなと思います。

——いろいろな人との関わりが増えて、どんどん岡崎選手のファンが増えていきますね。

フットサルはまだマイナースポーツで知られていないじゃないですか。もちろんメディアを通してやるというのもありますが、僕自身ができることがこれだったんです。試合を観に来てもらって喜んでもらいたいですし、デウソンのことも知ってもらいたいです。フットサルにおばあちゃんが行くということは子供やお孫さんも一緒に観に来てくれるかもしれません。試合が1つの交流や繋がりのきっかけになればいいなと思います。

——スポーツを通して世代を越えた交流が生まれるのは本当にいいことだと思います。

僕にできることなら何でもしたいと思いますね。例えば僕が少しサインを書いて、一緒に頑張ろうと励ましてあげるだけで元気が出るならしていきたいです。一人じゃ何もできないので、少しでも自分が人のためにできるなら、やってあげたいですね。やってあげるという言い方もおかしいですけど。自分にも返ってくることだと思いますし。

岡崎チアゴ

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