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水着美女、池田愛恵里とデート…セレッソ大阪・攻める広報の仕掛け人

「僕は好奇心旺盛な人間なので、クラブの仕事をしながらも元々ネタだけはすごく仕込んでたんです。こういうことやりたいなというのは100個ぐらい持っていて、少しずつ投下して行ったら数字が出たという感じです」

(セレッソ大阪広報:片倉庄一)

サッカーの日本代表にも名を連ねる柿谷曜一朗選手が、バスケットボールのBリーグ・大阪エヴェッサに電撃移籍というニュースが、2018年のエイプリルフールに話題になりました。また、水着ギャルのポスターを起用し、スタジアムに水着ギャル100人を集めるなどの前代未聞の企画を実施するなど、セレッソ大阪の広報戦略は非常に興味深いものが多いです。そして、こういった動きには、“仕掛け人”の存在があります。それが、クラブ広報を勤める片倉庄一さん。

片倉さんは、サッカー経験者でも、スポーツ業界経験者でもありません。数字と結果が求められた前職リクルートを経て、面白そうだと飛び込んだのがセレッソ大阪の営業の仕事でした。セレッソで営業だけでなく、様々な業務を取り組む中で出会ったのが広報の職。

片倉さんの“どう他者を圧倒するか、どう1人の人間として魅力的にみせるか”という考え方は、スポーツ業界で働くことだけにとどまらず様々な場面で役立ちます。スポーツ業界に飛び込んだ経緯から、どういう人材と共に働きたいかということを語っていただきました。

サッカーも大阪についても知らなかった

僕はもともとサッカーに関しては無知なんです。やってきたスポーツはボクシングと空手。辰吉丈一郎(※元WBC世界バンタム級王者)のことが小学校くらいの時からとても好きだったんですよ。学校の休み時間に見よう見まねでボクシングの真似事みたいなことをして、とてもやんちゃな少年時代を過ごしました。高校生になってからは空手部に入って、空手という格闘技の世界にのめり込んでいき、大学では空手ではなく、ボクシングの同好会に入りました。ボクシングは、視力が一定以上ないと試合に出れないという規定があるので、体育会ではなく同好会を選んだという訳です。

就職活動の当時、人材輩出企業としてリクルート、日本IBM、野村証券の3社が有名でした。その中でも、リクルートは“営業”で有名でしたので、リクルートで営業を学んでおけば将来絶対役に立つという印象があったので、リクルートで働き始めました。

リクルートでの仕事は求人広告の飛び込み営業で、ものすごくしんどかったですが、そこで働く人間は魅力的な人やスーパーサイヤ人のようなものすごい人がたくさんいたので刺激的でした!誰もが皆、“数字にこだわる” “結果にこだわる”という

姿勢でしたので、当時の経験は今でもすごく役に立っていますね。

その後、新しい世界で勝負したいと思い、登録していた転職エージェントからセレッソ大阪の求人の紹介がありました。“Jリーグクラブの求人”なんて初めて見たので、すぐに応募しました。結果、運良く採用していただきました。

後から話を聞くと「ちょっと違う考えの人、斜めの発想が出来る人間を採用したかった」と聞き、たまたま自分が運よくハマったのかもしれません。

ですが、「サッカーやってないし、大阪にも住んでないし、なんで来たの?」「よくそんなので採用してもらえたね」と周りからは言われました。サポーターからも言われることもありましたので、入社直後は超アウェイでした(笑)。

選手の顔も名前も一致しなかった

今の広報グループ長が広報に異動になった時に、僕を引き抜いてくれて、そこから広報としての生活が始まりました。前年まで一緒にイベント運営をさせていただいていたので、そこで評価してもらえたのかなと思っています。

Jリーグの広報は華型というイメージだったので、嬉しかったですね。組織として最も重要なのは営業だと思いますが一般的に憧れを持たれるのは広報じゃないかなと。選手と触れ合える、メディアと一緒に仕事をする、ということができますからね。

最初の仕事はクラブ広報としてHPの更新、プレスリリースやメールマガジンの作成で、2年目の、2015年からチーム広報に異動になりました。

チーム広報は常に選手と一緒に行動を共にします。日々の練習時は常にグラウンドに一緒にいて、キャンプ時も勿論チームと一緒に帯同します。主な仕事は、番記者の皆さんが取材しやすいような環境を整えたり、取材調整をしたり、あとはSNSを更新してチーム情報を発信することですね。

2015年は残念ながらJ2でしたので日々の取材対応は正直それほど多くはありませんでした。

そのため自分は特にSNSを鬼のように更新しました(笑)。多いときは1日10件ぐらい更新して、家に帰ってからも寝る前まで更新している時もありましたね。とにかく選手の顔と名前と魅力を多くの人に届けたかったんです。全選手を主役にしたくて。あとは更新しているスタッフの人間味も意識しました。投稿文は定型文よりも、更新する人の想いとか情熱が少しでも伝わればサポーターの皆さんが喜んでくれるかなと思って。おかげでフォロワーも少しずつ増えていったので、すごくやりがいはありました。

企画としては選手の日焼けを紹介する“日焼け選手権”、GWにイケメン写真とイケメンエピソードをひたすら投稿する“GWイケメン祭り”、選手の誕生日をブラジル流の粉かけでお祝いする動画などがよくバズりました。

ただチームの現場の雰囲気は想像以上でした。選手は1年毎の契約で働いていて、シーズンオフになったら半分ぐらいの選手がいなくなる。そういうところを目の当たりにすることで、シビアな世界に自分はいるんだなと感じたんです。その当時は現場広報とチームスタッフが同じ部屋だったのですが、隣にいたマネージャーが翌年いなくなったり、通訳がいなくなったりするので、すごくピリピリしているんです。なので浮かれた気持ちはほとんどありませんでした。「サラリーマンの僕が来ていい場所なのかな」とも思いました。

選手とのコミュニケーションも最初は大変でした。広報の立ち位置はすごく難しいです。メディアとしては選手を起用して露出を増やしたい一方、選手全員がメディア露出に協力的なわけでもない。その中間に立つのがチーム広報です。

選手の味方として選手の言い分を加味しながらメディア露出を図っていきたいのですが、選手の言うことだけを聞いているとなかなか取材調整が進まなかったり、取材が出来なかったりします。一方メディアからの要望だけを強く選手に押し付けても選手との関係が崩れてしまう。最終的には勿論選手側に立って対応しますが、選手の方々と口論になったことも、怒られたことは何度かありますね…。今思うと自分では選手側に立っていたつもりが、メディア側に立っていたのかなと反省しています。

僕の考えと選手の考えが対局になっているのは結構多いので、僕は選手と距離を置くようにしています。広報は選手と距離が近い感じがありますが、僕はビジネスライクです。しんどい時も仕事として伝えますね。もちろん2人きりの時は親身に話をするときもありますが、あまり近すぎることはありませんでしたね。

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