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ビースト・林大地。一生懸命さが生み出すサクセスストーリー #sagantosu #daihyo

履正社高の歴代最強チーム

この年の冬に、彼らは早速チームの歴史を塗り替えた。林を含め、1年生レギュラーが6人という若いチームは、激戦区・大阪の選手権予選を勝ち抜き、創部11年目で念願の選手権初出場を果たした。全国大会でも快進撃を続けてベスト8に進出。平野監督の母校でもある四日市中央工との準々決勝では、試合終了間際まで1-0でリードしながらも、ほぼラストプレーで追いつかれ、PK戦の末に涙した。

高校2年生になるとチームが【4-3-3】と【4-4-2】を併用することになったことで、林は右ウィングと右サイドハーフ、FWの3つのポジションをこなすようになった。どのポジションで出場をしても、自分の特徴である前への推進力を発揮した。

FWに入ればマークが複数ついても構わず、相手を引きずってでも前に進む。鬼気迫る表情とともに、前線からの献身的なチェイシングで相手を追い込んでいく。サイドハーフでも中央でも突破を仕掛け、ボールを奪われたらすぐに守備モードに切り替わり、攻撃時に見せた獰猛な牙をそのまま剥き出しにしてボールを奪いに行く。

自陣深くまで戻ってボールを奪い、クロスやシュートブロックも厭わない。学年を上げるごとに相手を背負うプレーもできるようになり、確実にプレーの幅を広げていった。

チームもプリンスリーグ関西昇格1年目にして破竹の14連勝を飾るなど、ダントツで優勝を手にし、プレミアリーグ昇格戦も勝利をして最短でトップレベルに登りつめた。2年連続出場を果たした選手権でも再びベスト8に輝くなど、林をはじめとした選手たちの反骨心は大きな結果を残した。

高校3年生になって印象的だったのは、高校最後のインターハイ・2回戦の流通経済大柏戦でのプレーと立ち振る舞いだ。

前半の早い段階でGKが退場するという苦しい展開となっても、前線で体を張ってボールを収めて時間を作ったり、長距離のドリブルで一気に敵陣深くまでボールを運んだりと攻撃の起点となる。かと思えば、相手ボールになるとすぐに爆発的なスプリントで自陣深くまで戻るなど、攻守にわたってスーパーハードワークを見せた。

その上で林は最後まで大きな声で仲間を鼓舞し続け、0-1で迎えた後半アディショナルタイムに、彼のアシストから牧野の劇的なゴールで同点に追いつき、PK戦の末に勝利を収めた。この勝利で勢いに乗ったチームはベスト8まで進出。次々とチームの歴史を塗り替えていく歴代最強チームを力強く牽引した。

挫折を味わったからこそ「俺には時間がないんや!」

個人としてもチームとしても存在感を放ったが、なぜか林の下にはプロからのオファーが1つも来なかった。さらには関西学院大の進学を希望するも、そこも落とされてしまうほどだった。

正直、プロからのオファーがなかったことは今でも不思議で仕方がない。確かに技術レベルは高い方ではなかったが、それを補うに余りある前への推進力と身体操作、スピードとバランス感覚を持っていた。

結局林は、平野監督の繋がりで大阪体育大に進学。結果としてこの道が彼にとってはベストだった。大体大ではセンターフォワードとして起用され続けた。正確かつ強度の高いボールが前線に届くサッカーに、林のフィジカルと身体操作の能力がマッチし、ポストプレー、ターンからのシュート、1発での裏への抜け出しなどストライカーとして必要なプレーが磨かれた。

それと同時に林の特徴である獰猛さもさらに磨きがかかった。『ビースト』ぶりを象徴する印象的なエピソードがある。

それは林が大学3年の時、正月に履正社の初蹴りに他の同級生OBとやってきた時だった。彼らが中心となったチームと、新チームのレギュラー組と試合を行なったのだが、笑顔でサッカーを楽しむOBたちの中で、林はただ一人だけ空気感が違った。

大学でのリーグ戦さながらに、前線で爆発的なスプリントを何回も繰り返し、ボールを回そうとする後輩たちに容赦なく襲いかかる。強烈なフィジカルコンタクトを仕掛け、球際ではスライディング。ボールを持ったら迫力あるドリブルで仕掛け、パンチ力のある本気のシュートを放つ。

新年を飾る初蹴りの和気あいあいとした雰囲気とは明らかに場違いな本気オーラを放ち、ハットトリックを達成した林の姿に、試合中の後輩たちからは「あの人えぐいって!」という声が出た。周りのOBチームの仲間からも「おい大地、そんな後輩相手にムキになるなよ」と笑っていじられたが、林は大きな声で「ちゃうねん!俺には時間がないんや!」と反論したという。

当時、まだ林はプロ入りが決まっていない状態だった。ユニバーシアードで得点王を取るなど目に見える結果は出していたが、過去の苦い経験が頭を過っていた。

ユースに昇格できなかった中学時代、目に見える結果をたくさん出したのにも関わらずプロから一切声がかからなかった高校時代。この2つの経験があるからこそ、「どこからはオファーが来るだろう」という甘い考えは一切なかった。

どんなに結果を出そうと、実際に正式オファーが来るまでは一切気を緩めている暇はない。仮にオファーが来たからと言っても常に危機感と意欲を持ってやらないと、その先のもっと大きな目標も掴めない。彼のパッションあふれる言葉はこれだけではなかった。

「俺はお前らみたいにのほほんとしてられへんねん!」

一生懸命という大きな才能を武器に

そう、どこまでも一生懸命な男の姿がそこにあった。この叫びを聞いた平野監督は、「あいつなら絶対にプロになって活躍をする」と確信をした。実際にその後の林は、大卒でサガン鳥栖に入って1年目からブレイク。2年目でエースストライカーとなり、東京五輪代表にも滑り込みでバックアップメンバーに入ると、コロナ禍の影響で大会レギュレーションが変更され正式メンバーとなって、結果的には主軸級の活躍を見せた。

バックアップメンバーとなった時も、正式メンバーになった時も林は律儀に平野監督に報告をした。

「ぶちかましてきます」

東京五輪に向けてこうシンプルに言い放った林は、有言実行をして見せた。ゴールこそなかったが、前線で鬼の形相で相手に食らいつき、体を張って前線で起点を作る姿に心を打たれた人は多いだろう。

それをベルギーに行ってからも継続し、かつ進化させたからこそ、重要な一戦を前にして日本のエースストライカーの離脱という緊急事態で彼に白羽の矢が立ったのだった。

「日本は2列目にタレントが揃っているからこそ、大地のように前からの献身的な守備、起点作りは大きなプラスになるし、チームとマッチすると思う。世界のサッカーの流れは前からのチェイシングが当たり前だけど、大地は昔からそれが当たり前というか、ストロングポイントとしてやってくれているからこそ、この大事な時に追加招集されたのだと思う」

こう分析する平野監督のもとに、冒頭で触れたように林から律儀に報告が届いた。

「変わらずあの子は根っからのサッカー小僧であるし、本当にチャンスに愛されているというか、チャンスが巡ってくる子だなと思います。もちろん、最初の段階で選ばれていないという事実があるからこそ、彼も決して偉ぶることはないし、自分がやるべきことを真摯にやろうとしている。だからこそ、プレーに波がないし、『こいつだったら何かをしてくれるかもしれない』と選ぶ側に思ってもらえるのだと思う。何が何でも貢献するという意志が強いし、それは高校時代から変わらない。やっぱりどこまでも一生懸命な奴なんですよ」

一生懸命という大きな才能を武器に──。林大地は大一番で『ビースト』としての雄叫びを挙げてくれるはずだ。

■プロフィール
安藤隆人(あんどう・たかひと)

1978年2月9日生まれ。岐阜県出身。大学卒業後、5年半の銀行員生活を経て、フリーサッカージャーナリストに転身。大学1年から全国各地に足を伸ばし、育成年代の取材活動をスタート。本田圭佑、岡崎慎司、香川真司、柴崎岳、南野拓実などを中学、高校時代から密着取材してきた。国内だけでなく、海外サッカーにも精力的に取材をし、これまで40カ国を訪問している。2013年~2014年には『週刊少年ジャンプ』で1年間連載を持った。著書は『走り続ける才能達 彼らと僕のサッカー人生』(実業之日本社)など。

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