今季大注目のヤングスター・松崎快。変幻自在のドリブルは浦和を救うか?


12日に行なわれたFUJIFILM SUPERCUP 2022で、浦和レッズが今シーズン最初のタイトルを手にしました。Jリーグ2連覇中の川崎フロンターレを相手に2-0の快勝。シーズンへの期待が膨らむ戦いを見せました。

この試合でも途中出場を果たし、浦和の中で注目のヤングスターとして期待されているのが、松崎快選手です。変幻自在のドリブルを武器に、水戸ホーリーホックで頭角を現すと、今季からJ1の舞台に挑戦することになりました。

サクセスストーリーを歩む松崎選手ですが、その道のりは決して順風満帆ではありません。学生時代から松崎選手を知る、サッカーライターの安藤隆人氏にこれまでの成長過程を綴っていただきました。

■クレジット
文・写真=安藤隆人

■目次
変幻自在のドリブラー
オファーはゼロ。挫折を味わう
ラストチャンスを掴んで水戸入団
ついにJ1の舞台に立つ

いよいよ開幕する2022年明治安田生命Jリーグ。今年はW杯イヤーということもあり、開幕が通常よりも前倒しになった。キャンプ期間や開幕に向けての準備期間が短くなり、新型コロナウィルス感染症の猛威が収まらなかったことも影響し、多くのチームはこの期間を有効活用しづらい状況になってしまった。チームの土台づくり、選手の土台づくりに差が出ているが、開幕を迎える高揚感が高まっていることは間違いない。

今回は、今年のJリーグにおいてブレイクしそうな選手にスポットを当ててコラムを展開したい。まず真っ先に推したいのは、今季、水戸ホーリーホックから浦和レッズに移籍をしたMF松崎快だ。

変幻自在のドリブラー

正確な左足のキックを持ち、ウィングでもインサイドハーフでも質の高いファーストタッチからスピードとキレのあるドリブルを駆使して、アタッキングエリアを攻略していく。そんな彼の凄さはサッカーIQの高さにある。ドリブラーにありがちな個で突っ込んでいってしまうタイプではなく、自分の立ち位置、周りの選手の特徴に合わせてドリブルを出す形を変化させられる。

実はその特徴が周りに伝わりづらく、プロからの評価が思うように上がらなかった。しかし水戸での2年間で自身の能力を証明。だからこそ、プロ3年目に浦和というビッグクラブへのステップアップに繋がった。

左右のサイドハーフ、ウィング、そしてインサイドハーフをこなすことができ、ビルドアップ面でも持ち味を発揮できる。特にリカルド・ロドリゲス監督はビルドアップの質にこだわっており【4-2-3-1】、【4-3-3】などのシステムを駆使して、ボランチを軸に攻撃を組み立てるサッカーを標榜している。ビルドアップに関わりながらも、そこから1列、2列前に個で運んでいける松崎のリンク能力は、浦和にとって大きなプラスになるだろう。

まさに松崎にとってプロとしての真価が問われる2022年シーズン。ここで彼のこれまでの歩みに触れてみたい。

オファーはゼロ。挫折を味わう

大宮アルディージャの下部組織で育った松崎は、大宮U-18時代は黒川淳史(現・ジュビロ磐田)、長谷川元希(現・ヴァンフォーレ甲府)、川田拳登(現・AC長野パルセイロ)、藤沼拓夢らと共に破壊力抜群の攻撃陣を形成していた。

その中でも彼のドリブル突破からのシュートセンスは群を抜いていた。高3になると突破からのシュートだけではなく、味方を使う動きが増えた。アタッキングエリアまで運ぶドリブルからシュートを狙うと見せかけ、フリーの味方へとシンプルに叩いたり、ワンツーでペナルティーボックス内に侵入したり、ドリブルの緩急とプレー選択の幅が広がった。

だが、クラブ史上最多となる4人の選手(GK加藤有輝、黒川、川田、藤沼)がトップ昇格を果たす一方で、彼はそこに入ることができなかった。大きな挫折を味わった松崎だが、彼の心は折れなかった。

「大学を経てプロになる。この気持ちだけは変わらなかった」と東洋大に進むと、坂元達裕(現・KVオーステンデ)と共に強烈なアタッカー陣を形成。3年時には、東洋大サッカー部創部以来初となるインカレに出場。印象に残っているのが1回戦のIPU・環太平洋大戦の坂元との華麗なコンビネーションだった。

26分に坂元がボールを持った瞬間に、ペナルティーエリア付近のスペースにいち早く入り込んで坂元からのパスを引き出した。ボールを受けてからは、ダイレクトシュートかそのままドリブルで持ち込んでシュートまで行くかと思われた。しかし直前で判断を変えたのか、仕掛ける素振りを見せながらも、前に出てきた坂元へのダイレクトパスを選択。ワンツーを受けた坂元が冷静に先制弾を流し込んだ。

「快は足元の技術が高くて、タイミングも凄く合う。リーグ戦でも2人で崩していくシーンはたくさんあったし、イメージの共有はしやすい」と坂元が絶賛したように、『いてほしい場所にいて、してほしいプレーができる選手』だった。

4年時には坂元からエースナンバー10を受け取り、名実ともにチームのエースになったが、高校時代同様にプロから具体的なオファーがなかなか届かなかった。172cmと大柄ではないが、左利きで無駄の少ないプレーをする彼は、違った見方をすると「ずば抜けた特徴がない選手」のように写ってしまう側面もあった。高校時代も、大学時代もその側面に彼は大いに苦しんだのだった。

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