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障壁を楽しみ尽くせ!女性パラアスリートが語る「挑戦の極意」とは

自分で自由に動きたいと、新しい世界へ

入院生活も終盤に差し掛かった2014年、倉橋さんは入所していた所沢市の国立障害者リハビリテーションセンターで、ウィルチェアーラグビーに出会う。リハビリの一環として、水泳や卓球など複数のスポーツをすることできたが、彼女はラグビーが一番面白いと感じていた。

「怪我した瞬間、もう寝たきりのときから早く動きたい、動きたいってそればっかり。スポーツしたいなって友達と話していたのですが、そもそもパラスポーツにどんな競技があるのかも知らなくて」

ウィルチェアーラグビーに出会い、また知らない世界の扉を叩くことになった。

倉橋香衣

自分で自由に動きたい、と入院生活の間そう思い続けていた彼女が、ハイスピードで、自由自在にコートを駆けるラグ車(競技用車いす)に惹かれるのは当然だったのかもしれない。

「ラグビーをやり始めた当初は、ただただ楽しいなって思っていて。ラグ車に乗っているだけで楽しかったんです。特にルールも分からない状態でした。でも、やっていくうちに、だんだん知らないことに出会っていって、それがまた面白かった。そこからまたどんどんはまっていきました」

ウィルチェアーラグビーは、バスケットボールのコートで行い、バレーボールに似たボールを使用する。ラグビー、バスケットボール、バレーボール、アイスホッケーなど、様々な競技の要素が組み合わさっており、なかなか奥が深い競技だ。

「今でも学んでいる最中というか、知らないことだらけで面白いです。健常者のときだったら知らなかったことが、今はたくさん知れるようになって…。この状態が良かったというわけではないけど、いいことだらけだなとは思います」

退院後は、以前通っていた埼玉の大学へ復学し、大学4年次に本格的にウィルチェアーラグビーを始めた。

親からは実家に戻るよう言われたが、反対を押し切り東京に残り、再びスポーツをすることを選んだ。この選択に、はじめ両親は賛同してくれなかった。

「それでもラグビーを知って欲しくて、東京からマメに連絡をしていました。今度テレビでウィルチェアーラグビーやるから見てね、とか。とにかく知ってもらいたかった」

倉橋さんの努力の甲斐もあり、実家の家族もだんだんウィルチェアーラグビーを知り、理解し、好きになっていった。

「今は親も、やりたいって決めたなら頑張りなさいと応援してくれています。
また怪我したら?でも、怪我はつきものですから。親にも怪我したら怪我したでしょうがないって思ってくれたらなって」そう言ってはにかんだ。

倉橋香衣

プレイヤーとして「好きなもの」を発信する

2020年の東京大会に向け、日本全国でパラスポーツを推進する動きが多くある。その中で、パラアスリートとして彼女はどのような社会の変化を感じているのか。

「正直そんなに“変わった”とは感じていないです」

パラスポーツを福祉・リハビリの一環としてではなく、一競技として捉えるという変化は、感じているという。しかし、その競技ひとつひとつへの理解や関心が十分に高まっているかと言われると、まだその段階には達していないのを実感しているとも話す。

「『ウィルチェアーラグビーって何?見たことない』とよく言われます。そもそもウィルチェアー=車いすっていうことが知られていないから、ウィルチェアーラグビーと言っても伝わらないことは頻繁にあります。だから自分が話すときは、“ラグビー”と言うことが多いんです」

自分自身がプレイヤーになるまで、パラスポーツについてほとんど何も知らなかった。だから今、世間の人々がパラスポーツを詳しく知らないということは仕方ないことだと倉橋さんは考えている。
「自分がメディアに出ていったりすることで、どんどんこの競技を知ってもらいたいし、ただ楽しんで競技をするだけでなく、ウィルチェアーラグビーを広める立場にいるという自覚を持たないと」

ウィルチェアーラグビーに出会った当初から抱いていた、好きなことを他の人にも知ってほしい、という純粋な想い。今はそれに加え、競技を世間に知ってもらうという競技者としての責任が加わった。それでも彼女はそのことを重くは感じず、やはり楽しむ姿勢を忘れない。

「今年の12月、パリで女性選手だけのウィルチェアーラグビー大会があります。日本はまだまだ女性選手が少ないけど、他の国の女性選手のプレーやチームの体制など、たくさん見て学んでこようと思っています。いろいろな国の人が集まってくるので楽しみにしています」

倉橋さんの原動力は好奇心だ。「知らない」ということを受け入れ、新たに「知る」ことを楽しむ。壁に当たっても、その先に広がる世界が見たいからと、笑顔で壁を突破していく。そんな彼女の姿を見ることで、私たちも自分自身の前にある壁が、意外と簡単に崩せるものだと気づくことができるのではないだろうか。

2020年、東京で彼女は新たに何を知り、何を楽しむのだろうか。笑顔いっぱいの若き挑戦者から目が離せない。

倉橋香衣
(写真提供:商船三井)

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