鹿島・荒木遼太郎、創造性と判断力を培った東福岡時代 #antlers

アンカーらしくないアンカーに成長

高校3年生の夏前には、『アンカーらしくないアンカー』として稀有な存在になっていた。そんな荒木と与えられているポジションや役割についてどう考えているかを議論したことがある。その時の彼の言葉が印象的だった。

「サイドでやっていた時よりも考えてプレーする機会が増えました。アンカーだと周りに全てのポジションの選手がいて、その選手たちにボールを当ててからのセカンドアクションが重要になってきます」

「具体的に言うと、どの位置でボールを受けるのか、受けた位置からどうゴールに向かっていくのかを考えます。その上で次はどのポジションの選手にどういうボールを出すのか、(自分が)前に行くのかその場に止まるのかなど、本当に今まで考えなかったことを考えるようになりました」

「いくか、いかないかの判断が少しでも遅れるとボールを失ってカウンターを浴びたり、チャンスの芽を潰したりしてしまうので、頭を休めている暇がありません。でも、全ては周りのサポートがあってこそのプレーだと思っているので、凄く新鮮さを感じるというか、周りに感謝をしながらプレーできています」

夏を過ぎるとプレーの引き出し、判断の質はさらに向上し、「遼太郎の存在が全て」と森重監督に言わしめるほど、ずば抜けた存在になっていた。荒木の言葉もこう変化している。

「ボールを持った瞬間、パスコースがたくさん見えるので本当に楽しいというか、自分で仕掛けることもできるし、シンプルに叩いて連動することもできる。守備面でも最初はただボールを持っている相手に寄せにいく感覚でしたが、今では相手の目線とかを意識して見るようになりました。重心のかかり具合を見て予測をしたり、パスを出すコースをわざと空けておいて、そこに出させて奪うとかができるようになりました。今までやってきたことが全て繋がっている感覚です」

荒木のなかでアンカーで経験を積むことによって、これまで経験したポジション、経験していないポジション全てを繋ぎ合わせることができた。攻守においてどの場所にいて欲しいか、逆にいてもらいたいか。どう関わるべきか、関わってもらいたいか。だからこそ、冒頭で述べたように、ピッチ上で物語を紡ぐことができるようになった。

荒木らしさがでた今季初ゴール

そして2020年鹿島に加入すると、高校で培った創造性と判断力と技術力をさらに高みへと押し上げていった。

「高校からプロの世界に来て、プレースタイルやプレースピードも意識して変えています。高校の時は中盤で好きなようにやらせてもらっていましたが、ここではそういうわけにもいかない。より柔軟に、監督の意図、周りの意図を感じ取りながら、何度も動き直してボールに関われるようにしたい。そこでアンカーの経験がものすごく生きていて、サイドでも中央でも『自分ならどうして欲しいか』を考えながらプレー選択ができているのは大きな財産になっています」

荒木はこの言葉をプレーで証明している。第3節の柏レイソル戦は今季初のベンチスタートとなったが、0-0で迎えた56分にトップ下として投入される。65分に中盤のこぼれ球を拾って右サイドの鈴木優磨に展開し、自身は相手DFのスライドを見ながら、中央にできたスペースに入り込んだ。

するとDF常本佳吾の折り返しを右足裏で正確にトラップして、対峙したDF高橋祐治の重心を見ながらキックフェイントで駆け引きし、右に持ち出してから素早く右足を一閃。高橋のシュートブロックは間に合わず、後ろにいたDF古賀太陽にディフレクトしてゴール左に吸い込まれた。

荒木の巧みな展開力とポジショニング、そして駆け引きと技術が凝縮された今季初ゴール。どのポジションでもゴールに直結する物語を紡ぐことを実証して見せたシーンだった。

これからもどのような物語をピッチで表現してくれるのか。鈴木唯人と共に将来を嘱望される『何でも出来るアタッカー』として日本サッカー界を明るく照らしてくれることを今から期待してやまない。

■プロフィール
安藤隆人(あんどう・たかひと)

1978年2月9日生まれ。岐阜県出身。大学卒業後、5年半の銀行員生活を経て、フリーサッカージャーナリストに転身。大学1年から全国各地に足を伸ばし、育成年代の取材活動をスタート。本田圭佑、岡崎慎司、香川真司、柴崎岳、南野拓実などを中学、高校時代から密着取材してきた。国内だけでなく、海外サッカーにも精力的に取材をし、これまで40カ国を訪問している。2013年~2014年には『週刊少年ジャンプ』で1年間連載を持った。著書は『走り続ける才能達 彼らと僕のサッカー人生』(実業之日本社)など。

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