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Wasse(フリースタイラー)。Jリーガーを目指した少年が、新たな夢を叶えるまで。

今回は、フリースタイルフットボール・Wasseさんにお話を伺いました。

Wasse(ワッセ)さんはプロフリースタイルフットボーラーとして19歳でデビューし、書籍やDVDの出版の他、JリーグやFリーグの試合で演技を披露されています。また、足裏リフティングの世界ギネス記録を持つなど、記憶と記録に残るパフォーマンスを行っています。

Wasse(ワッセ・フリースタイルフットボール):
京都産業大在学中、19歳でプロフリースタイルフットボーラーとしてデビュー(当時の最年少記録)。リフティングを始め、ボール扱いの技術をエンターテインメントの領域まで仕上げたフリースタイルで人気を博す。書籍やDVD出版の他、JリーグやFリーグの試合で演技を披露。足裏リフティングの世界ギネス記録を保持している。

フリースタイルフットボールとの出会い

——まずWasseさんがフリースタイルフットボールに至るまでのスポーツ経歴を教えてください。

Wasse 初めてボールに触れたのは小学校1年生の頃で、友達と集まって公園のベンチをゴールに見立て、ストリートサッカーをしていました。それでサッカーが好きになって、少年サッカーチームに入り、小学校、中学校と本格的にやることになります。

——高校は大阪でも有数のサッカー強豪校・北陽高校に進学されています。

Wasse とにかく練習がきつくて大変で、走ってばかりいましたね。

——高校時代は怪我に悩まされたそうですね。

Wasse 怪我をしたのは練習がハードで、疲労が溜まっていたからというのもありますが、僕自身が高校時代に成長期を迎え、身長が大きく伸びたというのも原因だと思います。そのせいで腰の軟骨が成長に追いつかず、何回か折れてしまいました。始めに右を、次に左を、そしてもう一度右をやってしまった後、今度は右をトレーニングしすぎて軟骨が硬化してしまいました。

——高校でどのくらい身長が伸びたのですか。

Wasse 15cmくらいです。身長が一気に伸びたせいで血中のヘモグロビンの量が足りなくなり、貧血を起こすこともありました。約2年間は怪我と体調不良との戦いでした。

——そこからサッカーではなく、フリースタイルフットボールへの道に至るまではどういった経緯があったのでしょうか。

Wasse 僕はプロサッカー選手を目指していました。高校からプロ選手になる人の方が大学から行くよりも多かったので、卒業後はそういった進路を描いていました。しかし、高校で僕は怪我をしてしまい、プロになれないという現実にぶち当たったわけです。

そこで北陽高校の野々村監督に相談したんです。するとリフティングがうまいことを褒められました。「リフティングがうまいからサッカーがうまいわけではない。でもサッカーがうまい人はすべからくリフティングがうまいのだから、個人技に自信があるなら諦めずに頑張ってみろ」とアドバイスを頂きました。

当時は小野伸二選手など、テクニックに長けた選手が数多く活躍していました。僕はその言葉からサッカーへの情熱を取り戻すことができたんです。

——諦めずに別のアプローチで夢を追うことにしたんですね。

Wasse 僕は夢の途中でぶち当たった壁を乗り越えるのではなく、他の夢を持つという選択をしました。とにかく夢を持ち続けるというのが大切です。

僕にはJリーグの選手として活躍するという夢がありましたが叶わなかったので、それなら他の方法でJリーグの舞台で活躍できる人になろうと考えるようになったんです。ただ、いろいろとJリーグに関係する仕事を調べたものの、どれも僕に向いているとは思えませんでした。

ならば新しく作ろうということで、元々得意だったリフティングの技術を極めていこうという結論に至りました。でも当時はまだフリースタイルフットボールという言葉自体が存在していませんでした。

——まだ競技や言葉自体もない中でどのように学んでいったのでしょうか。

Wasse 独学で勉強しつつ、当時ナイキのCMに小野伸二選手やロナウジーニョ選手が出演していたのを見たりして、発想力を磨いていきました。

Jリーグの舞台に立ち、ギネス記録も取得

——知名度も全くない状態からスタートし、どのようにしてJリーグの舞台でパフォーマンスをできるまでになったのでしょうか。

Wasse Jリーグの舞台に立つという夢を叶えるためにそれまでの道筋を逆算して考えるようにしました。高校まではとにかくサッカーの練習を努力してやれば結果的にプロになれるだろうという考え方でしたが、目指すべきゴールを設定して、そこから逆の手順を考え、実行するというアプローチに変えたんです。まずは技術力を向上させ、フリースタイルフットボールを世に広めるために所属事務所を探すということをしました。

フリースタイルフットボール業界は日本ですとナイキさんが先駆けで、指導本も全4冊出しています。僕もそこに出たいというのを目標に頑張っていたところ、当時最年少の19歳で載ることができました。それをきっかけにさらにフリースタイルフットボールを普及させたい、観てもらいたいという気持ちが強くなっていきました。

Jリーグでパフォーマンスできるように自らいろいろなところに足を運んで実際に見せたり、プレー動画を送ったりもしていきました。その中で単純にフリースタイルフットボールの技術を磨くだけではなく、打ち合わせをしたり、自分を売り込んだりする力が身についていきましたね。ただ自分には自信があったとしても前例がないことなので、営業に行ってもなかなかうまくいかない場合が多かったです。でもその中で足りない部分などを指摘して頂き、参考しなから自分は成長してきたと感じています。

Wasse

ギネス記録証明書を持つWasseさん

——Wasseさんは足裏リフティングのギネス記録をお持ちですが、なぜそういったことに挑戦しようと考えたのでしょうか。

Wasse ナイキさんの指導本に掲載されている中に当時のリフティングギネス記録保持者のMr.Wooという方がいて、自分も世界一に何か1つでもなりたいと考えるようになりました。そこから僕の夢は世界一になることと、フリースタイルフットボールでJリーグの舞台に立つことの2つに変わり、真剣に取り組むことになります。

正直プロ選手にもなれなかった自分が2つも夢を叶えることができるのか不安もありましたが、そこは自分への挑戦だと思っていました。一度壁にぶち当たって夢破れてしまった時の悔しさを知っていたので、今後自分で作った夢や目標については絶対叶えてやるという強い気持ちを持って行動していきました。

——大学卒業後、フリースタイルフットボールを続ける上で当然お金も必要だったと思いますが、どのようにして収入を得ていたのでしょうか。

Wasse サッカーのコーチをやるか、アルバイトをしながら続けるか、就職するかという選択肢の中から僕は就職して広告代理店に入ることにしました。まだ当時はフリースタイルフットボールを世に広めようとプレゼンや営業をしている人はいなかったので、自分でやる必要があると考えていました。

広告代理店にいればメーカーからの要望を聞き、どういったイベントを開催するのか、どのような形で集客をするのかを知ることができますし、パフォーマーを呼ぶ場合の価値や金額などについても把握できます。そうしてイベント全体の流れを学び、今後の活動に役立てていこうと考えて働いていました。フリースタイルフットボールだけで生活できるようになったのは2013年頃からです。

Wasse

——Wasseさんのパフォーマンスの特徴を教えてください。

Wasse 僕の場合はちょっとしたブレイキング(ダンス)を入れたりします。他にも足の裏やピンポン球を使ってリフティングをします。僕は総合的な見せ方の部分に自信を持っています。

——パフォーマンスをする時はかなり緊張されると思いますが、何か気を付けていることはありますか。

Wasse まずたくさんの成功体験を重ねることが必要ですが、そのためには場数をこなして土台作りをしなければなりません。それもただ数をこなせばいいというわけではありません。当然失敗をすればその分自分の地位も下がっていくことになります。

なので、まずはしっかり安定して決めることができる技を作るところからスタートします。その上で自分が最高のパフォーマンスを発揮できる状態を作り、後悔のないように演技することを心がけます。中には天候などの悪条件が重なり、やりにくい環境になってしまうこともありますが、できる限りのベストを尽くします。

——それでも失敗してしまうことはありますよね。

Wasse 当然失敗することもあります。そこでどのように考えるかがポイントです。失敗したことを引きずるのではなく、素直に謝ってしまう方がいいですね。

——大きな舞台で失敗した経験はありますか。

Wasse エコパスタジアムで行われたJリーグの静岡ダービー、清水vs磐田戦でパフォーマンスをさせて頂く機会がありました。当時は3人でパフォーマンスをやっていました。

僕らのパフォーマンスの最後に大きくボールを蹴り上げて、それを逆立ちしてキャッチするという技があります。普段はほぼ失敗しない技です。でもその時は芝生の上で転んでキャッチできませんでした。ハーフタイムに撒かれた水の影響で、ピッチ上は普段僕らがパフォーマンスの時に履くトレーニングシューズでは滑りやすい状態だったんです。

とにかく焦りましたね(笑)それで僕の口から咄嗟に出た言葉が「皆さん、すみませんでした!」でした。「また次回皆さんの前に立つまでにパワーアップして帰ってきます」と言うと観客の皆さんから暖かい拍手を頂くことができました。そこから失敗を素直に受け入れて、自分の糧にするというプラスの感覚が生まれてきました。

——一番初めにパフォーマンスをした時のことを覚えていますか。

Wasse 初めてパフォーマンスしたのは六本木にあるクラブです。ステージが暗くて、お客さんも近く、かなり緊張したのを覚えています。もちろん初めてなのでうまく話すこともできないですし、どうやって進めていいかも分からないままでした。

——場所によってパフォーマンスのやりやすさも変わってきますか。

Wasse やはり室内がいいです。パフォーマンスする上で一番厄介なのが風と地面です。最高の場所は体育館ですね。

Wasse

——パフォーマンスの構成は事前に決めているのでしょうか。

Wasse ある程度の概要は考えていますが、僕は逆に決められている方が苦手かもしれません。アドリブの方が得意ですね。時間だけ指定してもらって、丸投げして頂いた方が僕はやりやすいです。意外とそういうプレーヤーは少ないと思います。

その場にいる人の顔を見ながら、対面でトークして巻き込んでいくというのが僕のスタイルです。あとは自分よがりにならないように意識しています。

淡々と進めるよりも相手の反応を見て臨機応変にできた方がより人を惹きつけることができますよね。もし観ている人の中で少しでも興味を持っている人がいればピックアップして一緒にリフティングするなど、そこにいる人が手を挙げやすいような環境を作るように心がけています。

悩ましいのが、自分が難しいと思っている技とお客さんが観て難しそうだと感じる技が全く違うところです。緊張すると足に影響が出るので、足技の連続やそれに伴う細かい技術が僕にとっては難しいです。例えばaround the worldという技なら逆足から蹴ったり、逆足でキャッチしたりするだけで難易度がものすごく上がります。見た目はほとんど変わらないんですけどね。なので、お客さんに見せる時は動きが大きくて分かりやすい技を選ぶようにしています。

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