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「寄付」で故郷いわき市に恩返し シード選手になって描くこれからの未来【岸部桃子が振り返る3.11】

妹の華子(左)はティーチングプロ。姉妹で活躍を続けていく(撮影:ALBA)

QTランキング22位でレギュラーツアーに参戦した昨シーズン、安定した成績を残して初シードを獲得した岸部桃子。終盤の「伊藤園レディス」では優勝争いのすえ2位に入る活躍をみせた。だが、それまでのプロ生活は決して順風満帆なものではなく、東日本大震災が起きた12年前の3月11日を境に、それまでのゴルフ人生は様変わりした。“被災者”として、そして“プロゴルファー”としての12年間を振り返る。後編は現在と未来について。

震災を経験しながらも、プロテストに一発合格。そして10年後、岸部は初めてシード権を獲得した。

「レギュラーは一年だけだった(2018年)けど、ステップ(・アップ・ツアー)には出られていた。試合に出られなかった年はなかったから、毎年早く過ぎていた感じでした。10年と言われれば長いなと思うけど、感覚では長くなかったです」

昨年4月の「富士フイルム・スタジオアリス女子オープン」では初めての最終日最終組入りを果たして優勝争いを経験。そして11月の「伊藤園レディス」では女王戴冠がかかる山下美夢有に最後までくらいつき、2位で終えた。「伊藤園で悔しい思いもした。今年は優勝したいけど、そのためにまずはたくさん優勝争いに加わりたいですね」と今季の抱負を語る。

シード選手になったら、したいことがあった。「最初は結果を出したい、それで恩返ししたいって思っていました。でもそこから自分が稼げるようになってきて、寄付を考え始めるようになりました。徐々に、ですかね。それができる立場になったらと思っていたけど、シードが獲得できたので寄付しました」

昨年末、故郷である福島県いわき市の『いわき市スポーツ振興基金』に100万円を寄付。その名前の通り、「スポーツ振興、発展のために使ってもらいます」と恩返しのスタートを切ったと話す。

さらに今年に入ってからは、福島県のジュニアゴルファーにボールを配れるように、準備を着々と進めている。「まだ納品待ち」だと言うが、自身が過去に出場していた福島県ジュニア大会に参加する子供たちに「参加賞」という形で配ってもらうという。

「最初は震災がなかったら…って思ったときもありました。けれど、とにかく前を向かないといけない。だから、自分がいまできることを、と考えて前を向いて過ごしてきました。

わたしは恵まれたほうで、幸いにも身近な人は亡くなっていないし、周りの人にもたくさん助けてもらいました。常に感謝の気持ちを持ちながら過ごしていることは、この10年間で変わっていないと思います」

震災から12年が経ったが、その出来事を忘れたことは一度もない。“恩返し”そして“感謝”の気持ちを持って、岸部はこれからもプロゴルファーとしての活躍を誓い、地元を思い続ける。

取材/文・笠井あかり

岸部桃子(きしべ・ももこ)
1993年12月25日生まれ、福島県いわき市出身。8歳でゴルフを始めると、2012年7月のプロテストに一発合格。16年には下部のステップ・アップ・ツアーで勝利を挙げると、21年にも同ツアーで勝利。22年シーズンはメルセデス・ランキング39位で初シードを獲得した。塩田建設所属。

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