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「アメリカでも日本でも戦えなくなる」 決意のオフを迎える渋野日向子が小学生たちから学んだもの

大盛況のうちに終わった渋野日向子のソフトボール大会。改めて子供たちへの感謝を述べた(撮影:福田文平)

一年の最後を、晴れやかな表情で締めくくった。今年のクリスマスイブも地元の小学生たちに贈ったプレゼントは、そのまま自分への大きなプレゼントとして返ってきそうだ。

渋野日向子は、主催者として出身地の岡山県で『渋野日向子杯 第2回 岡山県小学生ソフトボール大会』を今年も開催。小学生時代に熱中した競技、そして地元への恩返しにもなる一日を「昨年も元気をもらえたけど、小学生たちが最後まで全力でプレーしている姿からは学ぶものがありますし、頑張らないといけないと思えた。来年、その先も(大会を)続けていかないと、って」と振り返る。

“今年を漢字一文字で表すと?”という質問をうけ、悩んだ末に出てきた答えは、情けないの『情』。それほど苦悩を抱えた一年も間もなく終わる。スイングに大きな改造を施し臨んだ米国ツアー2年目のシーズンは、3月の「LPGAドライブオン選手権」で7位になるなど、順調に滑り出したように見えた。しかし、4月頃には左手の痛みを発症。「やり続けると言ったことが、指が痛くなって、怖くて妥協したりして続けることができなかった。情けない」。結果的にトップ10入りはこの1試合のみで、ポイントランキングも83位に終わりシードを喪失した。

「指が痛くなって、スイングも気持ちもごちゃごちゃになり、右肩下がりのシーズンでした。すごく残念な一年。落ちるところまで落ちたと感じるので、来年以降は這い上がるしかないという思いがある」。米国ツアーは、ポイントランキング81~100位までが“準シード”という位置づけになるが、年間の出場権は約束されていないため、リシャッフルも意識する必要がある。「出られる試合でしっかり結果を残していかないと」という思いを胸に、オフを過ごしていく。

そんな浮上への思いを、今回のイベントがさらに搔き立てることになる。まだオフを過ごす場所や、来季初戦をどこにするかなどは未定だが、「このままではアメリカで戦えないことは見て分かるし、自分でもそう思う。安定して、再現性が高いものを追求しないとつぶれて終わる。アメリカでも日本でも戦えないことになる」という危機感を打ち消すため、汗を流していく。

少しだけ「ぐーたら」な年末年始を終えると、そこから復権へ向け本格始動することになる。この日の決勝戦では、大量リードを奪われながら、最後まで諦めず立ち向かっていく小学生たちの姿勢が印象に残ったともいう。閉会式は参加した子どもたちに「自分がすごく元気をいただいた。来年の活力にもなります」と感謝の思いも伝えた。

特別ゲストとしてイベントに参加したのは、21年の東京五輪で日本にソフトボールの金メダルをもたらした山田恵里さんと原田のどかさん。山田さんは「どういう状況でもシンデレラ・スマイルを見せてくれた。みんなが幸せになった大会ですね」と初参加したイベント、そこでの渋野の姿を評した。子どもたちはもちろん、ゲストの二人、そして見守った観客、関係者もみな笑顔だった一日を、大きな力に変える。

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