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【陸上】スプリントコーチ秋本真吾さん『スプリントコーチを当たり前の職業にしたい。』

武岡優斗です。元Jリーガーで、現在はセルソースで働いています。そんな僕が、セルソースと縁のあるアスリートにインタビュ―していく企画「CROSS OVER」。

本企画の第3弾は、元陸上選手で現在「スプリントコーチ」として多くのアスリートの走り方の指導をする、秋本真吾さんにインタビューさせていただきました。

>>【特別連載・セルソース × SmartSportsNews】 アスリートインタビューの記事一覧

秋本 真吾|Shingo Akimoto

1982年4月7日 福島県大熊町出身。
400mハードルのプロ陸上選手として活躍し2010年に200mハードルアジア最高記録(当時)を樹立。2012年6月の日本選手権を最後に現役引退。引退後はスプリントコーチとしてプロ野球球団、サッカー日本代表選手、Jリーグクラブ所属選手など500人以上のプロスポーツ選手に走り方の指導を展開。2021年よりサッカーJ2・いわきFCのスプリントコーチに就任。また、自身も2019年アジアマスターズ陸上100m走と4×100m走リレーで金メダルを獲得するなど、チャレンジを続けている。

ごぼう抜きする父の姿に憧れ、陸上の道へ

――陸上を始めたきっかけを教えてください。

元々、父が陸上をやっていたんですよ。僕が幼稚園の時、父が町内の父親対抗リレーで他のお父さん達をごぼう抜きして、トップでゴールしたんです。それを見て「カッコイイ!僕もこうなりたい!」と思ったのがきっかけです。

高校では幅跳びや三段跳びをしていましたが、結局自分の中でしっくりこなくて。高校の恩師に「ハードルをやってみないか?」と言われ、やってみることになりました。

――ハードルはご自身の中でしっくりきたのですか。

初めての試合は、地区大会ダントツの最下位でしたよ(笑)。僕の中では、「これでハードルを終われる」と思ってたんですけど、試合に出るたびに自己ベストを更新していくのが楽しくなってきて。3年目にはインターハイにも出場しました。そこからはずっとハードルです。恩師に出会ってなかったら、絶対にやっていないですね。

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