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女子柔道・古賀ひより「うまくいかなくて当たり前」_CROSS DOCUMENTARYテキスト版

格技場に、受け身の乾いた音が鳴り響く。

柔道着を身に纏った乙女たち、畳の上が青春の舞台—

岡山県岡山市に拠点を構える、女子柔道の名門・環太平洋大学。35名の部員を束ねるのは、練習中も先頭に立って声を出す、主将の古賀ひより。

「自分の中で、もっと一本背負いを極めていかなきゃって思いは強いです」

それは、平成の三四郎と呼ばれた柔道界のレジェンド、父・古賀稔彦の得意技。柔道部の総監督を務めていたその父は、昨年他界・・・ 一本背負いは、父の形見でもある。

ひよりたち、環太平洋大学柔道部は、団体戦の全日本学生柔道優勝大会を間近に控えていた。流れる汗を拭うことも忘れ、稽古に没頭する。そんな彼女たちの視界には、大学日本一の頂しか映っていない。格技場にまた、受け身の乾いた音が鳴り響く—

柔道部の一日は、朝7時前からスタートする。大学があるのは、岡山市郊外の山間地。練習場所としては、絶好の立地だという。その通り練習は、キャンパスへと続く坂道での猛ダッシュから始まった!幾度も急坂を駆けあがる、その総距離は、ゆうに2kmを超える。

ところがこれはまだ序の口らしい。休む間もなく、今度はペアを組み、パートナーを背負っての坂道往復ダッシュが始まった。柔の道は甘くない・・・ しかも、今過酷な練習に身を投じているのは、全員控えの選手なのだ。

その頃、ひよりたち団体戦の選抜メンバーは、撮影禁止の秘密特訓を行っていた。終了を見計らって、様子を覗いてみると・・・ 格技場の通路に倒れ込む、柔の乙女たち。みんな声も出せないほど、消耗しきっていた。だが、大会まであと10日あまり。追い込みの調整は続いていく。

取材を通して感じたのは、主将のひよりに、暗い悲壮な表情を見かけないこと。練習の合間には、疲れているにも拘らず、率先してふざけ?ケタケタ笑っている。亡き父・古賀稔彦と二人三脚で柔道部を育てた、矢野智彦監督は、そんな様子を微笑ましく見守りながら言う。

「こういう時のひよりの悪戯っぽい目は、父親とびっくりするくらい似てますよ」

その持ち前の明るさに、皆が付いていくのだ。不要な上下関係も無い。もちろん、柔道における真摯な厳しさは保ちつつ、ひよりたち35人は姉妹のように日々を送っている。

それを証明するのが、ひよりのランチタイム。体重階級制の柔道では、各自の体重管理は必須事項。質と量を計算した、後輩の手作り弁当に、満面の笑みでかぶりつく。その様子を眺める後輩もまた、満面の笑みだ。2人はこの後【恋バナ】をネタに、なぜか爆笑タイムを迎えていた。

午後の練習は、週に一度のウエイトトレーニング。スイッチを入れたひよりは、鬼の形相でバーベルを上げる。間近に控える団体戦では、ひよりは3番手の中堅を務める。大会のルールでこの中堅には、70kg以下級の選手までが出場可能。普段57kg以下級のひよりは、二階級上の選手と戦う可能性があるのだ。もちろん不利な力勝負になったとしても、負けるわけにはいかない。黙々とパワーアップのメニューをこなしていく。

激しいウエイトトレーニングをこなした後、ひよりは独り、キャンパスの細道を登っていく。向かったのは、大学内にある整骨院。ひよりは怪我のケアをするために、最近はほぼ毎日通っているという。彼女への施術を担当する整体師は—

「みんな何かしらのケガを抱えて戦っていますから。少しでも助けになりたいと思いますよね」

その通り、ひよりはここしばらく、試合に万全の体で臨んだことは無い。受け入れて、あるがままの状態でベストを尽くすしかないのだ。その手本は、1992年バルセロナオリンピックでの、亡き父・古賀稔彦。試合前の練習で左膝に大ケガを負う、絶体絶命の試練・・・ 父はそのケガを受け入れ、執念で金メダルを掴み取った。だからひよりは、弱音を吐かず、代わりに父のようにケタケタ笑う。

古賀ひよりは、2000年、父・稔彦待望の長女として誕生した。父はこの愛娘をどこへでも連れて行ってしまう。

「小さい頃から、父の道場が遊び場でした」

2人の兄は、すでに父から柔道を習っている。ひよりが遊びではなく、道場に通うようになるのは必然だった。父からは温かく見守られながらも、柔道のいろはを教わった。長じて、父が総監督を務める環太平洋大学へ進学する時も、迷いはなかった。

だが、蜜月の親子関係は、突如終わりを告げる。2021年3月、闘病の末、平成の三四郎・古賀稔彦永眠・・・ 死の前日まで、ひよりとの電話で冗談を飛ばしていたという。

「監督や仲間の支えが無かったら・・・ 耐えられなかったと思います」

ひよりは、絶望の淵から立ち上がる。その年のインカレで、環太平洋大学は5年ぶりの団体優勝!ひよりは中心選手として、大学日本一に貢献したのだ。この時の、Vサインでおどけるひよりの写真が残っている。柔道着に、父の名が刺繍されていた。

大会まで1週間となったその日、ひよりたちの調整も仕上げの段階。矢野監督が、乱取り稽古の組み合わせを決めている。ひよりの相手は、本番の中堅戦を想定して、重い階級の選手だ。なぜ彼女を、重い階級の選手が相手となる中堅に指名したのか?そこには、矢野監督の先々を見越した狙いがあった。

「階級が上の選手を積極的に投げに行く姿勢が出来れば、本来の階級に戻った時の技のキレ味が変わってきます。楽な戦いにはならなくとも、得るものの方が大きいはずなんです」

それでもひよりは勝利に貢献できると、矢野監督は踏んでいる。父が得意とした、投げ切る技—大会は絶好の腕試しの場でもあるのだ。

6月25日、日本武道館。いよいよ全日本学生柔道優勝大会当日を迎えた。2回戦を全員勝利の5対0で圧勝したひよりたちは、関東の強豪・早稲田大学との3回戦を迎える。

先鋒、次鋒が引き分け、中堅・ひよりの出番が来る。想定通り、相手は二階級上、しかもかなりの身長差だ。判定の基準は技あり以上。ひよりは押し気味に試合を進めたが、決め手に欠き、結局ここも引き分け。試合は、副将戦、大将戦で1勝1敗となり、勝敗の行方は代表戦へもつれ込むことに。抽選の結果、代表は中堅の選手となった。主将のひよりが、勝負を決める大一番に臨む。

試合開始直前の緊迫の瞬間、ひよりはいつも胸に抱く、亡き父の言葉を唱えていた。

『うまくいかなくて当たり前』

人事を尽くしても天命が下りるとは限らない。だが人事を尽くした者にしか天命は下りない。心を平らかにして試合に臨むための、父の金言だ。

「始め!」

主審の掛け声と共に、ひよりは前に出た!試合はゴールデンスコア。技のポイントが入った時点で決着となる。ミスは許されない。

二階級上の選手を相手に、ひよりは攻め続ける。そして次の瞬間!磨いてきた一本背負いが炸裂!相手の背中が畳に叩きつけられ、勝負あり!

環太平洋大学は、ひよりの執念で、ひとつ目の難関を突破する。

その後も順調に勝ち進んだ環太平洋大学は、事実上の決勝戦と目される、ライバル東海大学との準決勝を迎えた。リードを許す展開の中、一度はひよりの一本勝ちでタイに持ち込むが、結局1対2の惜敗。心をひとつにして闘い抜いたひよりたちは、全国3位で大会を終えた。

悔し涙に暮れる仲間たちを、ひよりは主将として慰め、そして鼓舞する。

「やるべきことをやってきたから悔しいよね、この悔しさを忘れるな!」

ひよりの目からも、大粒の涙が零れ落ちた・・・

しばらくして、彼女が姿を見せてくれた。もう涙の跡も無い。

「本当に勝ちたかったけど・・・ 父は、みんな頑張った姿を誉めてくれると思います。だって、うまくいかなくて当たり前なんですもん」

ひよりはすでに前を向いている。目指すは、本来の階級での個人戦日本一!

父に、また一つ成長した姿を届けられるように。

TEXT/小此木聡(放送作家)

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