【テキスト版】CROSSOVER「STANCE」深堀圭一郎×狩野舞子

その中で自分と向き合いながら進化

深堀:今回からは、中学生で女子バレーの日本代表候補に選ばれ、その後は怪我に苦しみながらも復活を遂げ、オリンピック出場を果たした狩野舞子さんにお話を伺っていきます。現役を引退してから約一年ですが、現在はどんな活動をされているんですか?

狩野:今は小学生や中学生にバレーボールを教えたり、試合の解説などをしています。

深堀:僕も解説の仕事をやらせていただくことがありますが、現役時代に近い方が行うとリアリティが向上すると思うんです。時代によって戦術や考え方も違いますし「生の声」に近い解説が聞けるから、うれしいという話も耳にしますし。

狩野:そうですね。引退した直後は私が解説するのは「どうだろう」と思った時期もありました。しかし、「こういう気持ちでプレーたんだと思います」みたいに、選手目線で説明できる面もありますから、それを多くの方に伝えていければと考えています。

深堀:バレーボールを真剣に始めたのは、東京都三鷹市のスポーツクラブで小学校4年生ぐらいのときと伺いましたが、きっかけは何だったのでしょうか?

狩野:両親、姉など家族全員がバレーボールをしていて、幼いころから母のママさんバレーに同行していたんです。それで小学校4年生のときに、一番仲のよかった先輩がバレーボールチームに入部して誘われました。

深堀:小学生ぐらいのころの練習は厳しかったですか?

狩野:チームで違うと思いますが、私が所属していたところは基本を大切にしていましたね。小学生のときに勝てなくても「その先で開花する選手」を育成する方針だったんだと思います。私はそのときに「バレーボールを楽しむ」ことを教わりました。

深堀:バレーボールは、ジャンプしたりスパイクを打つなど、関節へのショックが大きいと思います。狩野さんも腰痛に長年苦しんだと伺っていますが、体の痛みとはどのように向き合ってきたのでしょうか?

狩野:若いころに腰痛を発症したのですが、体ができていないうちに一生懸命頑張りすぎたのかな、という気持ちもありました。そして腰痛をきっかけに、食事や生活スタイルを変えるようになったんです。この先「どれだけ長くできるか」を中心に考えましたね。

深堀:中学1年生のころに、身長が170センチを超えていたんですよね。それだと成長スピードに骨格がついてきていない可能性も高いですよね。

狩野:当時はトレーニングよりボールを使った練習が多く、体への十分なケアがない状態で頑張りすぎたのかもしれません。

深堀:狩野さんは腰痛で日本代表を辞退する経験もされています。相当辛かったと思うのですが、気持ちをどう整理されたのでしょうか?

狩野:当時は無理をしないで、まずは体を鍛えようと考えました。最初の痛みの発症がすごく若かったので。

深堀:そのころは活発というか、明るい性格でしたか?

狩野:元気で明るくて、私が中心になりチームを引っ張っていたと思います。エースでキャプテンでしたから。ところが怪我でプレーできなくなり焦りも出ましたね。

深堀:最終的に腰痛を完治できたのでしょうか?

狩野:一度簡単な手術をしましたが、あまりよくなりませんでした。それでブロック注射などをしていましたね。

深堀:狩野さんは、腰痛で苦しまれた後、今度はアキレス腱を断裂して北京オリンピック出場を断念するなど、怪我にたびたび見舞われて大変だったと思います。僕も怪我の経験がありますけど、心も痛いですよね。リハビリなどは、どのようにされたのでしょうか?

狩野:最初はチームドクターがいる病院で診てもらい、ある程度動かせるようになってからはチームで行いました。

深堀:僕もプロ生活27年ですが、怪我などで落ち込んでいるときにチームスタッフなどの支えがあったから乗り越えられたと思っています。そして、怪我を経験し人の優しさや強さなども学びましたが、狩野さんは怪我から得たものはありますか?

狩野:「怪我づくしの人生」といっても過言ではないですけど、それにより「自分を見つめ直す時間」ができました。リハビリも一人で行ってましたし。復帰までに必要なことが明確でもメンタルをそこに持っていくにはどうすべきか。「焦っちゃいけないという自分」と「少しでも早くよくなりたい自分」がいて、このバランスを取るのが大変でした。

深堀:自分を見つめ直すことで、狩野さんは強くなられたんですね。

ロンドン五輪で銅メダルに輝く!

その後はセッター経験を活かしスパイカーとして完全燃焼

深堀:今回は狩野さんに、海外でのプレー経験やオリンピックなどについて伺いたいと思います。狩野さんは2010年にイタリア、翌年にはトルコと2カ国の海外クラブチームでプレーしていますが、環境面なども含めてどうでしたか?

狩野:海外でプレーして、改めて「日本は恵まれている」と感じました。日本のバレーボールチームは多くの場合、所属している企業から「守られている感じ」があるんです。私は日本では寮生活をしていて、海外で初めて一人暮らしを経験しましたが、食事面なども含め苦労しました。一方で、海外チームではハプニングが起こるたびに「楽しい」と思えたのがよかったです。

深堀:海外でのプレーを経験して、ひと回り成長した感じでしょうか?

狩野:そんな気がします。ひとつのことで「クヨクヨしなくなった」というか。帰国後すぐに日本代表の合宿があったのですが、以前より自分の意見がいえるようになってすごくオープンになりましたから。

深堀:もともと持っていた潜在能力のひとつが、覚醒したのかもしれませんね。狩野さんは、2012年にはロンドン五輪に出場されて銅メダルに輝いていますが、オリンピックの舞台はどうでしたか?

狩野:全員の力で勝ち取った銅メダルだったと思います。当時は代表選手に選ばれたうれしさより、責任を感じていました。頑張ってチームに貢献して結果を残さなければ、という重圧がすごかったですね。

深堀:バレーボールは「ひとつのボールを全員でつなぎながら勝利を目指す」イメージがありますが、オリンピックでもチームの結束力などがポイントになったのでしょうか?

狩野:バレーボールは、次のプレーヤーのことを考えて動く必要があります。ですから、チームメイトが「どういうボールを欲しがっているか」など、仲間のことを把握しておくことが大切です。そのため、普段の会話でも「こういう考えなのか」など、理解を深めるようにしました。

深堀:もともとスパイカーの狩野さんですが、帰国後、古巣の『久光製薬スプリングス』に復帰後、セッターに転向されていますね。キャリアの途中でスパイカーからセッターに変わるのは異例だと思いますが、ご苦労はありましたか?

狩野:セッターは司令塔ですから、自分が選手を動かす立場になるわけです。全員と目を合わせて作戦を決めていく。最初は、そんなプレーができるか不安でした。しかし、取り組んでみると、難しいですがすごくやりがいがありましたね。

深堀:スパイカーとセッターの両方を経験することで、例えばセッターをするときに「スパイカーが欲しがっているボールを供給しやすくなる」などはありますか?

狩野:スパイカーの気持ちがわかるので、お互いの妥協部分も見えますし、大変なところを理解できるよさはありますね。そういう意味では視野が広がったと思います。

深堀:狩野さんは、2015年に一度引退といいますか長期休養に入られていますが、当時はどのような心境だったのでしょう?

狩野:セッターに転向してからいろいろうまくいかない部分も出始めてきて、このまま続けるとバレーボールが嫌いになる、と感じたんです。それを避けるために一度離れる決意をしました。

深堀:僕も調子が悪いときはゴルフをしません。体のコンディションを整え、リフレッシュすることを優先します。調子がよくないときに練習しても、悪い状態で固めることになるので、一度リセットしてから再スタートをする方がいいと思うんです。狩野さんは、1年間休養されて、2016年に『PFUブルーキャッツ』に入団し、現役復帰しています。その間に春高バレーなどの解説もされて「伝える側」を経験していますが、それがプラスに働いた点はありますか?

狩野:自分が「バレーボールが大好き」というのを再認識できましたね。復帰後はスパイカーでしたが、体作りも含め最後まで頑張り抜きたいと強く思うようになりました。

深堀:約20年間、バレーボールを続けてきたなかで「この人はすごい」と感じた選手はいますか?

狩野:姉です。努力の塊のような人ですごく刺激を受けました。困ったときは、いつも姉に相談していましたね。

深堀:すごいと思える人が、身近にいたことも、狩野さんのバレーボールでの成功につながっているんだと思います。

様々なポジションの経験が今に繋がる…

名将・菊間崇祠監督の指導のもと人間的にも成長!

深堀:狩野さんが大きな影響を受けた指導者の方々について、お話を伺いたいと思います。例えば、八王子実践中学の監督さんは、どんな指導法だったのでしょうか?

狩野:中学校ではさまざまな小学生チームのエース級の選手が集まっていましたが、その中で私は身長こそ高かったもののボール扱いは下手でした。しかし、当時の監督さんは、あまり型にはめすぎず指導してくれたんです。たとえば、攻撃も高いトスだけでなく、速効などを織り交ぜる。さらに、さまざまなポジションがこなせるようにしていただいたのも、後々の狩野舞子につながったと思います。監督は人柄も明るく面白い方だったので、本当にバレーボールを楽しみながら教えていただきました。

深堀:目先の結果ではなく、選手の成長を見据え「現時点でどんなことをしておくべきか」考えながら指導されていた感じでしょうか?

狩野:そうですね。おそらく目先の勝利にこだわっていたら、違う形になっていたでしょう。たとえば、ポジション固定で育てた方が早かったと思いますが、私が「どのポジションに向いていて、どんなプレーができるか」を考えながら指導していただいたので、中学校の3年間でものすごく成長できました。

深堀:八王子実践といえば、当時は高校に名将・菊間崇祠監督がいましたが、どんな方で指導方法はどのような感じだったのでしょうか?

狩野:ミスをすれば怒ることもありますし、基本的には厳しい方です。でも、選手と寮生活をしていて、365日ほぼ一緒にいたので、寮長みたいな感じで面倒を見てくださり、私生活の部分でもお世話になりました。目上の人への挨拶の仕方から、手伝いに来てくださった父兄の方々への言葉使いまで、細かいところまで教えていただいたことが今も生きています。バレーボールだけでなく、人間として育ててくれた先生ですね。

深堀:社会に出てから、そういった人間性の部分が身くことは非常に大切ですよね。指導者のスタンスは時代によっても変わると思うのですが、狩野さんは指導法が選手にどのような影響を与えると思いますか? もし、ご自身が教える立場だったらいかがでしょう?

狩野:偉そうなことをいえる立場ではないですが、指導者が一方的に物事を進め生徒側に選択する余地を与えない手法では、選手は育たないと思います。指導者が「コレはこう」と決めつけて伝えると、「そうなのか」と思い込んでしまう。「コレもアレもある」と、選択肢を用意することが大切ではないでしょうか。「いわれたことだけやればいい」という指示待ちではなく、自分で想像力を働かせるような環境が選手には必要だと思います。

深堀:その通りですね。各々考え方や性格も違いますし、僕も通り一辺倒に「コレをしなさい」というのは、ナンセンスだと思います。合わない手法を強要されると、逆に選手の成長を止めてしまうケースもありますし、オリジナリティが消えることも考えられます。「指導する」というのは本当に難しいですね。ちなみに、狩野さんはいわれたことを上手く呑み込んで実践できるタイプだったのでしょうか?

狩野:基本的には、監督のいうことを実践しなければ……と思う選手でした。しかし、中でも「合うもの」と「そうでないもの」を取捨選択しないと自分のプレースタイルが崩れてしまうので、その点には気をつけるようにしていました。

深堀:狩野さんは、これまで多くの指導者からさまざまなことを学ばれたと思います。その経験を踏まえ、子供たちはどんな形でスポーツに触れていくのがいいと思われますか?

狩野:まずは、いろいろなスポーツを見て欲しいですね。そして良さを知ってもらい、さまざまなことを経験することが大切ではないでしょうか。その結果、自分に「何が向いているのか」も見えてくると思います。

深堀:いろいろなスポーツに挑戦することで「つながる瞬間」も出てきますよね。たとえば、ゴルフをす人がバレーボールをすると「こういう動きもあるのか」みたいに視野が広がると思うんです。僕も野球をやっていたのですが、さまざまなスポーツの経験が可能性を大きくすると感じます。その中で「自分に合うものを見つけ出す」ことが理想的ですね。

一球に気持ちを込めて次の人へ託す…

まさにチームプレーがバレーボールの素晴らしさ!

深堀:今号は、狩野さんにスポーツの可能性やご自身の今後の夢などを、伺いたいと思います。狩野さんは、子供のころからスポーツ全般が好きだったそうですが、もしもバレーボール以外だったら、どんな競技をしてみたかったですか?

狩野:小学生のときに父親が色々なスポーツをしていて、私も一緒に行っていたんです。その中で面白いと感じたのが、テニスとバレーボールでした。結果としてバレーボールに本格的に取り組みましたが、ネット競技が好きですね。バドミントンなども楽しいと思います。

深堀:駆け引きが必要なスポーツという感じですね。

狩野:そうですね。特別強いわけでもないのですが(笑)。現役を引退した今は、いろいろなスポーツに挑戦したいですね。最近は、フットサルやバスケットボールなどもやらせていただいていますが、全然うまくできません。切り返しなど体の動きが違うみたいで。そういう意味では、自分に合うものも分かってきました。

深堀:狩野さんが、ゴルフ、テニス、水泳などいろいろなスポーツに本格的にチャレンジしている姿を見てみたいですね。基本的にスポーツは楽しむものだと思いますが、競技となる結果も重要。しかし、教育という意味で考えると捉え方が違ってくると思うんです。やはりバランスが難しいと感じますが、狩野さんはどう思われますか?

狩野:好きだから結果を求めるわけですが、その過程で「楽しくなくなること」もあると思います。私も練習でうまくいかないときなどは「行きたくない」という気持ちもありました。それでも、やはり好きだから続けてこられた。そういうのを全部含めて楽しんでほしいですね。スポーツを始めたばかりのころは、毎日上達していくのが分かるからすごく楽しいですが、成長過程が止まったり、落ち込んだりしたときに「自分がどう考えるか」の方が大切ではないでしょうか。

深堀:練習すれば上達する、という期間が永遠に続くわけではありませんよね。成長が止まったとき「どう乗り越えるか」が鍵になると思います。うまく乗り越えられたときに一番伸びるはずですから。成績も大切ですが、やはり目前の「自分がやるべきこと」をしっかり行う必要がありますね。ちなみに、狩野さんはバレーボールのどこに魅力を感じて、本格的に取り組むようになったのでしょうか?

狩野:魅力はいろいろありますが「絶対にボールを落とさない、みんなでつないでいく」という部分は、本当に素晴らしと思います。私たちは「一球に気持ちを込めて次の人へ託す」みたいなイメージでプレーしますから。

深堀:バレーボール中継を見ていると、点数が入ったときやタイムの際にはチーム全員とハイタッチをしますよね。まさに一つになるための「意識づけ」をしているように感じます。

狩野:ハイタッチも含めて、チームメイトに「触れる」というのはよくありますね。試合中も背中を「ポン」と叩いたり、本当に大切な場面では手をつないだりしますから。

深堀:チーム一丸となってつないでいくのがバレーボールの魅力の一つなんでしょうね。狩野さんは、これからのスポーツの可能性については、どのようにお考えですか?

狩野:選手は一生懸命に自分が好きな競技をプレーしていると思います。さらに、その姿を見ていろいろな人が感銘を受けて、次の世代の人たちが「やってみたい」という気持ちになる、そういう点が素敵ですし、影響力もあると感じますね。

深堀:スポーツは言葉にはない魅力があるし、見る人はそこに心を打たれると思うんです。たとえば「全力プレー」というのは、見えていない部分の力も加わるから大きなパワーが生まれる。だから人はすごいと感じるのではないでしょうか。最後に、スポーツ選手を志す子供たちやそのご両親に伝えたいことなどはありますか?

狩野:自分は「こういう選手になりたい」という目標を持つことが大切だと思います。想像できることは、本当に頑張って努力すれば達成できるはずですから。毎日を惰性で過ごすのではなく「絶対にこうなる」という理想を持って、そこに向かってほしいですね。

深堀:僕は、寝るときに「成功体験」を想像していたのですが、それが目標設定につながりました。狩野さんは、今後も新しいステージでご活躍されると思いますが、ぜひスポーツの魅力を発信し続けていただければと思います。今回はありがとうございました。

▼狩野舞子/かのう・まいこ

1988年7月15日生まれ、東京都出身。15歳で全日本代表候補に選ばれ、春高バレーなどで活躍して久光製薬スプリングスに入団。2大海外リーグへも挑戦しロンドン五輪に出場した。2018年に現役を引退。

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