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【引退直前インタビュー】西谷良介はなぜ「フットサルの教科書」と呼ばれ愛されたのか?盟友・渡邉知晃に明かした、現役ラストメッセージ

「フットサル選手の教科書」と言われ、たくさんのフットサルプレーヤーがお手本にしてきた男が、ユニフォームを脱ぐ決断をした。レギュラーシーズンも佳境を迎えた1月16日、クラブのHPを通して今シーズン限りの現役引退を表明すると、SNSなどでもその発表を惜しむコメントであふれた。本当に多くの人に愛された選手である。

大学時代は日本学生選抜に選ばれるなど“サッカーエリート”街道を駆け上がってきたなか、飛び込んだのがフットサルの世界。デウソン神戸でキャリアを再スタートすると、「フットサル選手」として完成していく過程で、少しの時間を要した。

チームメートや監督に恵まれ、徐々に才能を開花させていく。

2021年9月、ワールドカップのブラジル戦で決めた左足のゴールは、多くの人々の記憶に残っている。このゴールが、ブルーノ・ガルシア監督が率いたブルーノ・ジャパン最後のゴールであり、西谷にとっても日本代表における最後のゴールとなった。

実は、2016年にブルーノ・ジャパンが発足してから、公式戦で最初のゴールを決めたのも西谷だった。ハンガリー代表との国際親善試合で、西谷は試合終盤、左足で同点ゴールを決めた。余談だが、アシストしたのは筆者である。

利き足ではない”左足”から生まれた2つのゴールは「フットサル選手・西谷良介」を象徴するようなゴールだ。ブルーノ・ジャパンは、西谷で始まり、西谷で終わった。

「自分の中では、なにか物語があるのかなと感じている」

西谷は、多くのフットサルプレーヤーに目標とされてきた。そんな稀有な選手は、なにを大切にしてきたのか。なぜ引退を決断したのか。ゆっくりと語り出した。

※インタビューは1月20日に実施

インタビュー・編集=渡邉知晃

西谷良介のFリーグラストマッチを見逃すな!ABEMAでプレーオフ決勝生中継!

 

どう?俺まだやれてる?

──いきなりだけど、引退を決断した理由は?

自分の中で目標にしていたW杯の舞台を経験できたことが一つ。それが大きなウエイトを占めていて、あとはやりきった感覚を得られているので決意したという感じかな。

──年齢を考えた時に、W杯が終わったタイミングもやめる時期の一つではあったと思うんだけど、現役を続行した。そこから1シーズン続けた理由は?

自分の中に、W杯熱じゃないけど、燃えているもの、欲というのが当時はあったと思う。直後はね。引退するという決意をそこまで持っていなかったし、その選択肢は全くなかった。

──引退するというのは、どのタイミングで決めたの?

今シーズンに入る前には決意していたかな。

──W杯を終えて、新シーズンを迎える時には今シーズンがラストのつもりだった。

そうそう。欲を言えば、Fリーグを噛み締めて終わる1年にしたかったのと、もし昨シーズンでクビを切られたら引退を決意したけど、チームから必要とされているならしっかりと向き合って、最後、Fリーグの舞台で楽しみたい。初心を思い出させるようなシーズンにしたいなっていうのがあって、延びた1年だった。

──引退発表は、シーズン前に発表する(星)翔太くんのような例もある。このタイミングでのリリースには意図があったの?

翔太のようにシーズン前っていう選択もあったけど、特に意図はないかな。チームといつ発表するかを話し合った時に、アジアカップや中断期間もあったから、そのタイミングで発表するのもなということで、年明けでお願いしますという感じかな。

──俺が引退した時は、シーズン開幕前に決断はしていたんだけど、もしかしたら撤回する可能性もあったから終盤の発表になった。そういう気持ちはなかった?

引退コメントにも書いたけど、決意したシーズンだったから、ずっとカウントダウンをしている感覚で、撤回する気持ちには正直ならなかった。だからこそ、1分1秒を噛み締めたいという気持ちが出てきた。それと同時に感謝だよね。その気持ちしか出てこない。だからシーズン途中で撤回する気は俺の中ではなかったね。

──ABEMAで解説をさせてもらっていて、名古屋の試合ももちろんチェックしているけど、まだやれると思ってるでしょ?

はははは(笑)。知晃さんどうですか?俺、やれてる?

──やれてるでしょ!

年齢なのか、若い時にできていたプレー、前はできていたのになって思うことも多くなったのが正直なところ。ここで足が出ないかとか、ここで自分をスピードダウンさせちゃうかとか。自分の理想と現実のギャップ。考えないようにしているけど、そういう現状もあったりして、まだまだやれるという部分はあると思うけど、自分が思い描いているプレー像に届かなくなっているというのは感じている。

──引退にはいろんな考え方がある。カズ(三浦知良)さんのようにやれるまではとことんやる。もしくは主力で活躍している間はやるとか、それぞれあるけど、理想の引退の仕方はあった?

ボヤっとしていたかな。それじゃダメだからW杯を一つの目標にしていた。自分の夢だったし、そこを追いかけてきたからね。でも、W杯が終わったタイミングではやめられなかった。まだやりたかったのか、自分でもまだ整理がついていないけど、W杯以降はやりきって終わりたいと思っていた。

日本代表を自ら放棄したくなかった

──今の新生日本代表になってから、木暮賢一郎監督と話した?

特に話してはないね。今、トモに言われて思ったけど、俺が小さい時から、例えばJリーガーとかが「代表引退します」っていうニュースを目にするじゃん。アレがよくわからなくて。日本代表はチャンスがあれば入りたいとずっと思っていた。

当時は若かったというのもあるけど、チャンスをなんで自ら放棄するんだろうなという感覚でもあった。思い出したけど、W杯が終わって、直後にトモ(渡邉知晃)の取材で今後について聞かれて、誤魔化したじゃん(笑)。

──うん。

でも、代表を引退する選択肢はなかった。特別な場所だし、俺の価値観では常に目指す場所だし、自ら幕を降ろすことはしたくなかった。今回のアジアカップを戦ったメンバーとか、新生日本代表が始まったタイミングで、もし選ばれたなら準備もしていたし、選ばれるために今まで通りやっていた。

そこに自分の名前がなかった時に、世代交代もあるかもしれないけど、日本代表チームがどんどん進んでいくことを実感した。一つの区切りなのかなって思っちゃったというのは正直なところ。でも、俺から代表引退しますとかは、グレさんには言わなかった。言ったらチャンスがなくなるし、自ら放棄したくなかったから。

──ベテランという年齢でも選ばれている選手がいる。アルトゥール、バナナ(クレパウジ・ヴィニシウス)、(ピレス)イゴール、黒本(ギレルメ)。(吉川)智貴はまだそこまで年齢は高くないけど。次、W杯予選を兼ねたアジアカップとW杯本戦が2年後にあるから、まだパッシャンはチャンスがあるんじゃないかと思っていた。グレさんの中で、選手のバランスや経験値を考えた時に。そこまで引っ張ろうとは思わなかった?

そうね、なかったかな。ある程度、自分が決意して臨んだシーズンだったし、そのなかでやれることがあればやろうという。

──代表に呼ばれたら現役続行するというのもあった?

いや、なかったと思う。

──その場合は、仮に今回のアジアカップを戦っていても引退していた。

していたね。その大会での役割は全うするけど。

──揺るがない気持ち。

そういう意味でもやり切りたかった。それがすごい自分の中で強い意志だったね。

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