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【引退直前インタビュー】西谷良介はなぜ「フットサルの教科書」と呼ばれ愛されたのか?盟友・渡邉知晃に明かした、現役ラストメッセージ

代表ではずっと不安定なパフォーマンスだった

西谷良介のFリーグラストマッチを見逃すな!ABEMAでプレーオフ決勝生中継!

──Fリーグでは何年プレーした?

Fリーグ開幕2年目からだから、15年かな。

──15年を振り返るとどうだった?

どうだったんだろうね(笑)。一言でいうのは難しいけど、フットサルを本当に知らないで入ってきたから、自分がここまでやれたのは、フットサル経験がゼロの選手を根気強く、我慢強く指導してくれた方たちがいたからだろうなというのはすごく強く感じる。

最初は小さいサッカーだと思っていたからさ。でもいざピッチに入ると全然違う。やっていくうちにこれは別競技だなって感覚もあったから、素晴らしい指導者に巡り会えたこと、自分がこれだけ長い道のりを歩めたのは、その方たちのおかげだなって。

──誰かを挙げるのは難しいかもしれないけど、特に影響を受けた指導者は?

めちゃムズイなぁ。俺の歩んできた過程で、最初はデウソン神戸でスタートして、当時はチーム自体がフットサルっぽくなくてサッカースタイルだったんだけど、それも良かった。そこから比嘉リカルド監督に、初めてフットサルを指導してもらった。こういう守り方、攻め方、いろいろな戦術を教えてもらい、日本代表でミゲル(ロドリゴ)監督に教えてもらい、そこでもこんなやり方があるのかって発見があった。戦術メモリーというか、自分の中の引き出しが増えたね。もちろんフットサルの壁にはぶち当たったんだけど。そう言われると、比嘉さんとミゲルは俺の中ではデカかったのかな。

──サッカーから入って、本格的なフットサルを教わることになった2人だね。

自分をフットサル選手にさせてくれた。そのタイミングもすごく良かったと思う。その後には須賀(雄大)さんとか、代表ではブルーノとは思い出もあるし、たくさんのエピソードはあるけど、ベースを作ってくれたのは彼らかなって。

──サッカーから入って、フットサル選手になっていく。最終的には、日本代表としてW杯に出て活躍するところまで上り詰めた。ターニングポイントはあった?

ミゲル監督時代のアジアインドアゲームス、韓国の仁川でやった大会だね。トモもいたでしょ?俺はあの時がターニングポイントだったと思う。

──パッシャン、ブラジルは行った?

グランプリ?行ったよ。

──グランプリでは、(北原)亘さんと、てつくん(村上哲哉)の2人がキャプテンで、俺ら中堅から若手が混ざったメンバーで行った。2012年のW杯に出たメンバーと、これから代表に絡んでいく選手の融合チーム。あのメンバーをベースにミゲルは今後を考えていたと思うんだよ。そんな中で、グランプリで惨敗したじゃん。

したね(笑)。

──その後に行われたアジアインドアゲームスのメンバーはFリーグのシーズン中ということもあり、ほぼ若手だった。

そうだったね。滝田(学)と逸見(勝利ラファエル)と、(皆本)晃。智貴が韓国に行く前に離脱しちゃったけど。(佐藤)亮もいて、同世代が多かった。

──他のアジアの国はフル代表で、日本は若手。それでもアジアの強豪に勝ち続けて、決勝まで進んだ。イランには負けたけど準優勝。この結果でミゲルは世代交代を決意したと思うんだよね。

そうだね。個人的にはそれまで代表には選ばれていたけど、自分の中で代表に入った時にストレスを抱えていた。何がストレスって、自分が思ったプレーもできていないし、自分の良さも出せてないし、常に評価を気にしているというか。普段のプレーを評価されて代表に選ばれていると思うけど、その場所では自分を見失う。選ばれて嬉しいけど、地に足をつけてプレーできていない感覚があった。もどかしいというか、手応えがない中でずっと代表合宿をしていた。なにかしっくりこない気持ちでグランプリにも行って。

それで、インドアゲームズだよね。俺の中で、なんか吹っ切れた。なんだろう、今までは監督の目ばかり気にしていたし、それに気を取られていたから相手と戦えていなかった。仁川に行く前だったかな、気づいたのは。監督の評価を気にするのはやめよう、と。そこと戦う場所じゃないし、相手と戦えていないことに気づけたのがそこだったね。それからは矢印が相手に向かっていくようになったかな。

──たしかに、パッシャンは代表定着までに少し時間がかかったよね。

だいぶね。かなりかかったよ。

──翔太さんや、俺とか滝田とか晃とかその世代がコンスタントに呼ばれるようになってからも、パッシャンは飛び飛びで呼ばれていたよね。

そう。全然自信がなかったし、そういう評価をされても仕方がなかった。代表に行けば不安定なパフォーマンスだったと思うからね。

──そういう意味でも、仁川がデカかった。

デカかったね。自分の中で矢印が変わった感覚があったからね。

──アジアの他国のフル代表を相手に、あの若くて経験のないメンバーで勝てたことも自信になったよね。

そうだね。結果も出たから自信が持てて、今後につながったと思うんだよね。

──その代表での葛藤は知らなかったわ。

めっちゃ悩んでたよ。最初、訳がわかんなかったもんね。

──言われてみると、チームの時の方がパフォーマンスいいなと思って見ていた。

そうなんだよ。あの時、トモや滝田の年代とプレーすることが多かったけど、「合ってる?」「大丈夫?」って聞くのが口癖だった。でも、振り返ればその時間も絶対に必要だったと思うけどね。

──それがあったからこそ。

無駄じゃなかったなと思うね。

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