• HOME
  • 記事
  • その他
  • スケートボード・根附海龍「守りに入らない」_CROSS DOCUMENTARYテキスト版

スケートボード・根附海龍「守りに入らない」_CROSS DOCUMENTARYテキスト版

2021年東京オリンピック。スケートボード競技で日本は2つの金メダルを含む、5つのメダルを獲得し、一大旋風を巻き起こした。その中にいるはずだった、いてもおかしくなかった男が今、ひと気の無いパーク(スケートボード競技施設)で、黙々と練習を積んでいる。

 

パリオリンピック日本代表候補・根附海龍(ねつけかいる)、20歳。この時、2023年12月の世界選手権。日本代表争いの行方を左右する戦いを控えていた。

 

「世界と戦える技は(自分に)あると思っているので、それを大会で決めきる力が大事になりますね。表彰台に乗りたい」

 

 

根附が独り、練習に集中していたここは、静岡県静岡市内の屋内型スケートボード専用パーク[東静岡アート&スポーツ・ヒロバ]。セクションと呼ばれる、競技用の障害物が設置され、プロツアーの試合も開催されているという。その整った環境の中で、根附は難易度の高いジャンプの練習に時間をかけていた。

 

パリオリンピック代表の座を勝ち取るには、国内ランキング上位3名に入らなければならない。この時、根附のランキングは5位。代表選考を兼ねた大会は、残り4つ。ランキングを上げていくには、新たな武器がいる。彼は確信していた。

 

「(大きな国際大会で)決勝に進む人たちの滑りを観ていると、色々なセクションを使って、色々な技を繰り出しているのに気づいたんです。普段のスケボーの大会だと決勝へ行ける滑りが、オリンピック選考の大きな大会では厳しいんですよ」

 

[ヒールフリップバックサイドオーバ―Kグラインド]

 

根附が新たな武器にしようとしている技の名前だ。セクションに対し、背後からジャンプ!ボードを一回転させ、先端部分のみで滑る最高難度の技。それだけに、怪我のリスクも大きい。

 

すると、根附が大技に入る直前、『怖い・・・』と呟き、中断してしまった。セクションへの突入スピードが速すぎて、瞬時に危険回避したのだ。トップ選手の彼が、恐れを口にするのには理由がある。それは5年前、東京オリンピック出場を賭けた日本選手権直前の練習。[足首の靭帯損傷]に見舞われ、欠場を余儀なくされてしまったのだ。東京オリンピックの出場は夢と消えた・・・

 

「自分がいないオリンピックで日本人が金メダルを取って、スケボーが盛り上がったじゃないですか。素直に悔しい気持ちがありましたね」

 

それでも、悪いことばかりではなかったという。

 

「ずっと滑れなかったし、もう最悪って思っていたんですけど、それで体のケアに関心を持つようになったので、そういう面ではプラスもあったかなと」

 

スケーターにとって怪我は宿命。根附はそれを受け入れつつも、今では週に一度、スポーツ診療所に通い、自身のメンテナンスを怠らない。

 

しばらくすると、パークにキッズスケーターたちが集まって来た。東京オリンピック以降、スケートボードを取り巻く環境は大きく様変わりした。競技人口は、子供たちを中心に急増したという。根附は、キッズスケーターの一人と、親しく会話を交わす。

 

「スケボーやってなかったら、こんな小さい子と仲良くなる機会はなかったでしょうね。(東京オリンピック以前の)昔だったら、世代を越えてなんて、考えられないですよ」

 

 

練習の後、根附が自宅へ案内してくれた。部屋の中は、試合で勝ち取ったトロフィーやメダルはもちろん、スケートボード関連のグッズで溢れ、正にスケボーに取り憑かれているようだ。

 

そんな彼がスケートボードと出会ったのは、小学1年生の頃。

 

「伯父さんがスケボーしていたのがきっかけですね。河川敷のスケボー教室で、先生がやっている技を見て、自分もマネしたりして・・・」

 

ジャンプひとつ取って見ても、人それぞれ形や高さに違いがあり、そこに心惹かれ、どんどん競技にハマっていった。夢中になっている根附を見て、両親は自宅の庭に練習場を作ってくれるなど、温かい目でバックアップしてくれた。やがて・・・

 

「AJSAというプロを決める大会があって、中部大会から勝ち上がって、全日本大会まで進めた時、はっきりプロを目指そうと思いました」

 

その翌年、プロ転向を果たすと、根附のスケートボードへの思いは加速する。

 

「スケボーで生きていきたい」

 

強い思いでトップスケーターへの道を歩み始めると、2019年にはアメリカで開催された国際大会で見事優勝!その名を世界に轟かせた。だが、有力視されていた東京オリンピックへは、件の怪我で出場は叶わず、悔いと共に夢をパリに持ち越したのである。

 

「オリンピックで堀米雄斗選手が優勝して金メダル取って、すごい盛り上がりだったじゃないですか。それを目の当たりにして、自分もパリでメダル取りたいと強く思いました」

 

 

そして昨年12月、パリオリンピック日本代表の行方を左右する、ワールドスケートボード東京2023(世界選手権)が開催された。国内外のトップスケーターが集結し、火花を散らす一戦だ。

 

問題の根附の国内ランキングは5位。代表圏内の3位に入るためには、表彰台が必須条件。特訓を重ねてきた、[ヒールフリップバックサイドオーバ―Kグラインド]を成功させれば、充分に可能性はある。

 

周囲と、そして何より自分自身の期待を背負い、準々決勝で会心の滑りを見せた根附は、トップで準決勝に駒を進める。だがこの時、恐れていたことが起きてしまった。演技終了後、しきりに右足首を気にしている。演技中の負傷・・・ 危険な痛みを感じていた。

 

「焦りました。痛み止め飲んで、テーピングでガチガチに固めて・・・」

 

痛みに耐えながらの準決勝は6位。何とか決勝進出を決めたものの、心中は不安でいっぱいだった。表彰台を逃せば、パリは遠ざかっていく。覚悟を決めるしかなかった。

 

そして運命の決勝。根附は勝負に出る。痛みの不安と恐怖にさらされながら、世界も驚く高難度の技に挑んだのだ。

 

根附海龍が高く跳んだ!実況と観客の興奮に満ちた大歓声が、大技の成功を物語っていた。

 

表彰台で銀メダルを授与される根附。この結果で、国内ランキングは3位に浮上。パリオリンピック代表の座に、大きく近づいた。

 

「優勝する気で臨みました。そうじゃないと、勝てるものも勝てないなと思ったので」

 

だが、そのあおりで銅メダルを獲得しながらも、国内ランキング4位のままに留まった、東京オリンピック金メダリストの堀米優斗は、火の玉のようになって追ってくるに違いない。ほかのライバルたちもまだまだ諦めてはいないだろう。代表選考は残り3試合。優位に立った根附だが・・・

 

『守りに入ったらやられる』

 

それを痛いほど感じていた。試合後、足首の状態が気になって尋ねると・・・

 

「毎日治療院に通ってケアしてもらいます」

 

少し笑みを浮かべながら、答えてくれた。

 

夜の帳が降り、根附が帰路に就く。パリオリンピック代表の座はまだ確定しておらず、今日よりもさらに厳しい戦いが待ち受けているのだが・・・ その背中が何だか大きく見える。

 

「(銀メダルは)重いですね・・・ 重いんですけど、やっぱり次は金メダルが欲しくなりました」

 

 

パリへのビクトリーロードは、何色に輝いて見えているのだろうか?

 

栄光を掴むその時まで、根附海龍は自分を磨き続ける。

 

 

TEXT/小此木聡(放送作家)

関連記事