ハンドボール・土井レミイ杏利「最後の大仕事」_CROSS DOCUMENTARYテキスト版
銀座にある、大手酒造メーカーのビルで、料理動画の撮影に臨む男がいた。短くキャッチーなカットを次から次に収録していく様子は、正しくプロの仕事。彼は、フォロワー数690万人を誇る、噂のTikToker〈レミたん〉。そして、ある時は・・・
ハンドボール、日本リーグの一戦―ゴール手前6mで踏切り、豪快なジャンプシュートを決める男がいた。日本代表キャプテンとして東京オリンピックに出場、33年ぶりの勝利に貢献した、土井レミイ杏利、33歳。彼は今、所属する〈ジークスター東京〉を日本一にすべく、魂を賭けて闘っている。
「それが僕の(ハンドボール選手としての)最後の大仕事かなと思ってます」
TikToker〈レミたん〉との二足の草鞋を履いて、ハンドボール界で異彩を放つ男の戦い、その結末は果たして・・・?
どうしても気になって、日本リーグのシーズン真っ只中に料理動画を撮影する〈レミたん〉こと、土井レミイ杏利に聞いた。優勝争いの大変な時に〈レミたん〉の活動は負担にならないのかと。だが・・・
「僕はプロ契約選手ですが、日本のハンドボールはまだ実業団でプロ化されていないので、選手のほとんどは仕事をしながらプレーしているんです。そう考えると同じ土俵じゃないですか。体力的にはきついこともありますけど、言い訳できませんよね」
※2024年にプロ化予定
完成した料理動画は、想像の斜め上を行くアイデアが詰め込まれ〈バズり〉必至の愉快な作品となった。
「自分が露出することで、少しでもハンドボールが注目されるきっかけになればと思っています。あらゆることに挑戦して、自分を出していくことがハンドボールの未来に繋がると信じてますし・・・実は単純に楽しいんですけどね」
土井レミイ杏利は、1989年、パリ生まれの千葉県育ち。フランス人の父と日本人の母を持つ。ハンドボールを始めたのは、小学校3年生。高校、大学と強豪校に進むも、怪我に悩まされ、日本の実業団へ進むことはなかった。
ところが、留学先の父の母国・フランスで、アマチュアとしてプロハンドボールチームに加入するや、瞬く間に頭角を表し、あれよあれよという間にプロ契約。2013年から6年間、ハンドボール大国フランスのトップリーグで活躍した後、日本の実業団に加入し、東京オリンピックを目指したのである。
インタビューで、土井はハンドボールにおける、フランスと日本の格差を話してくれた。
「ハンドボールは(フランスでは)文化のように根付いてますよ。日本で言うところの、野球みたいに。プレーヤーとは無縁の人たちも、当たり前のように地元のチームを応援して、週末には試合観戦に出かけます。サポーターや選手、スタッフの熱量が、日本とは全然違いますね」
そこに、土井の忸怩たる思いが垣間見えた。だからこそ、彼はその現状に風穴を開けるべく、〈レミたん〉としての活動を通して、戦い続けているのである。幸いにも、最近は〈レミたん〉に憧れて、ハンドボールを始めたという子供たちが増えているらしい。素直に嬉しさを顔に出す一方で、土井は大きな責任を背負ったとも感じている。
「その子たちが将来『ハンドボールをやってて良かった』と思えるような環境を作るまでが、僕の責任です。2シーズン後のプロリーグ化に間に合うよう準備するのが目標です。せめて夢の大きさだけは、他の競技と肩を並べたいじゃないですか」
日本のハンドボールの未来は自分が作る・・・土井はそんな思いで、現在進行中のリーグ戦に臨んでいた。
日本リーグ最終戦を間近に控えたある日、チームメイトと共に練習に励む土井を訪ねた。彼が所属するジークスター東京は今季、すでにリーグ2位でのプレーオフ進出を決めている。勢いに乗ってプレーオフを戦うためにも、最終戦は勝利で終わりたい・・・ウォーミングアップから、土井たちに気合が漲っていた。
特に土井は、今33歳。チャンスは無限にあるわけではない。自分に課した役目を果たすために、一試合一試合に魂を込めている。ちなみに、彼にハンドボールの魅力を聞けば、もう止まらない。世界、特にヨーロッパでは、国技として多くのファンを魅了しているハンドボール、その魅力を肌で味わってきたからに他ならない。
「『空中の格闘技』と呼ぶのが相応しいかな。色々な競技の良さが混じったような感じで、ラグビーのような激しい当たりがあったり、バスケ以上に展開が早かったり・・・一度観てもらえれば、この魅力、絶対に判ってもらえるはずです」
TikTokerとの二足の草鞋を履いて、ハンドボールの普及と発展を自らの使命とする、土井レミイ杏利。そんな彼を、仲間たちはどう見ているか気になった。ジークスター東京、横地康介監督は、とにかく頼りになる存在だと語る。
「フランスでのプロの経験や、オリンピックを含めた日本代表のキャプテンを長く務めた経験から来る、プロ意識、リーダーシップが群を抜いて優れていますね」
二足の草鞋を履くことについても、土井のプロ意識を絶賛する。
「普段はオチャラけた雰囲気ですけど、いったんスイッチが入ると(ハンドボール選手としての)集中力が高まって、別人のようになっている感じがしますね」
横地監督が語るその傍らに、別人のような土井がいた。
日本ハンドボールリーグレギュラーシーズン最終戦。対大崎電機。
大勢の観客の中には、女性ファンの姿も目立つ。これもTikToker〈レミたん〉効果だろうか。
「チームの日本一、そこが僕のハンドボールの最終章、最後の一幕だと思っています」
取材開始後、幾度もその言葉を口にしてきた土井は、この日、控えに回った。チームは、プレーオフのためにエースを温存したのだ。
試合は拮抗した展開の中、1点リードで残り時間30秒。決められれば同点の、相手の強烈なシュート!キーパー甲斐のスーパーセーブでピンチを切り抜ける。そしてジークスター東京は、ラストプレーで追加点をあげ、エース抜きでの勝利を飾った。勝利に沸くチームメイトを迎え、労う土井。目指す日本一に向け、勝負はここから。その目には覚悟が現れていた。
2週間後、プレーオフ初戦の当日を迎えた。日本リーグのプレーオフは、まずリーグ3位と4位のチームが対戦。リーグ2位のジークスター東京は、その勝者と戦い、勝てばリーグ優勝チームとの決戦に持ち込める。つまり敗北は許されない。
土井レミイ杏利の〈日本一〉を賭けた闘いが始まった。
相手は、リーグ3位のトヨタ車体。序盤、ジークスター東京は、敵の猛攻を受け、前半で4点のリードを許してしまう。
迎えた後半、ジークスター東京が、土井を軸に反撃を開始する。土井の破壊力満点のジャンプシュートが幾度も相手ゴールを揺らす!そして残り時間30秒、土井の正面突破のシュートが決まり、1点差に詰め寄る!
だが・・・
試合は土壇場でジークスター東京が追いつき、延長にもつれ込むも、そこで土井たちは力尽きた。実況の声が空しく響く。
『ジークスター東京、悲願のタイトル奪取、夢ここで潰えます!』
後日、失意の傷が癒え始めた土井が、カメラの前に姿を見せてくれた。
「滅茶苦茶悔しかったですね。またイチからになりますけど、見えてきた課題をひとつひとつクリアしていきながら、過去の僕のハンドボール人生の中でも、最高の自分になれるような(来シーズンは)そんな1年にして、何ひとつ悔いが残らないように戦いたいですね」
この言葉が、付け足す必要も無く、彼のこれからの行く道を示していた。
土井レミイ杏利の〈ハンドボール最終章〉、その最後の一幕は、まだ上がっていない。
TEXT/小此木聡(放送作家)
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