特別編「誰かのために」_ CROSS DOCUMENTARYテキスト版

「誰かのために」だからこそ、人は大きな力を発揮できるのではないだろうか?

アスリートや、そのアスリートをサポートする人々に出会い、話を聞くたびに、キーワードとなるのが「誰かのために」なのである。

綺麗ごとにも聞こえるだろう。しかし結局のところ「自分のため」だけに出来ることなんて、たかが知れているのかもしれない。

≪第二のアスリート人生を行く アメリカンフットボール・石川雄洋≫

グラウンドに揃う、屈強な男たち。ある時は肉体を激しくぶつけ合い、ある時はボールを追ってスピード豊かに地を駆ける。アメリカンフットボールの強豪チーム・ノジマ相模原ライズの練習に、年齢だけはベテランの、異色のルーキーの姿があった。元プロ野球選手の石川雄洋だ。アメフト歴3カ月、35歳の男が間もなく、デビュー戦で奇跡を起こす。

石川は、プロ野球の横浜ベイスターズに16年在籍した、俊足好打の内野手だった。チームのキャプテンを務め、一流の証し、1000本安打も記録している。そんな彼が、成績の下降を理由に戦力外通告を受けた。しかし・・・

「どこかでまだ勝負したかった。まだ体も動くって自信もあったので」

それまでアメフトのプレー経験は無かったが、観る機会は多く、どこか憧れの気持ちを持っていた。今なら間に合うかもしれない・・・ 石川は、第二のアスリート人生を模索し始めた。

ノジマ相模原ライズは、国内最高峰のX1スーパーリーグで、日本一を狙う強豪チームだ。ルーキーの石川は、このチームでワイドレシーバーとして期待されている。相手ディフェンスをかい潜り、味方のパスをキャッチするポジションだ。プロ野球時代の俊足は、今も健在。練習では、ディフェンスの選手を一瞬で置き去りにするスピードを度々披露した。だが、それだけでは到底戦えない。敵を欺くフェイントなどのステップワークは、まだまだ修練が必要だ。さらにアメリカンフットボールには、数百にも及ぶサインがあり、パスを受ける場所も決められている。石川には、覚えなければいけない事が、山のようにあった。

チーム練習が休みの日も、石川はトレーニングジムに姿を見せ、肉体改造に余念がない。野球仕様の体を、アメフト使用の強い体へ―厳しく自分を追い込む。だがすでに35歳。心身ともにきついことは否めない。ただ「燃え尽きていないから」という理由だけで、ここまで出来るものだろうか?

「まずはチームに受け入れてくれた人たちに恩返しです。採って良かったと思われるような選手になりたい。今は子どものスポーツ離れもありますし、何をやろうか迷っている人にも、挑戦している姿を見せることによって、後押しができるような活躍をしたいんです」

9月、国内最高峰のX1スーパーリーグが開幕した。その開幕戦の終盤、石川に出番が訪れる。ワイドレシーバーのポジションに入り、味方からのパスを待つ。そもそもは経験を積むだけの途中出場だったが―

クォーターバックがロングパスを投じるタイミングで、スピードに乗った石川が、相手ディフェンスを置き去りにする。そして背後から伸びてくるボールをキャッチした!

最高峰の舞台で、アメフト歴わずか3カ月の男が成し遂げたビッグプレー。

第二のアスリート人生、アメリカンフットボールプレーヤー・石川雄洋の挑戦は、まだ始まったばかりだ。

≪世界のトップを目指して 女子ラグビー・津久井萌≫

ラグビー合宿の聖地・長野県菅平に、女子ラグビー日本代表・サクラフィフティーンの姿を見る。その中に、ひと際小柄な体を躍動させる選手がいた。津久井萌、21歳。代表のチームメイトと比べてもひと回り小さく、強豪国の選手と比べればふた回り小さい彼女が目指すのは、秋の欧州遠征、そして来年のワールドカップで、世界のトップに肩を並べること。

兄の影響でラグビースクールに通い始めたのは、5歳の時。後に進学する、東京農業大学第二高等学校、そして青山学院大学では、男子と共にプレーをしていた。ちょうどその頃、津久井はある試合を見て衝撃を受ける。男子日本代表が2015年のワールドカップで起こした番狂わせ【ブライトンの奇跡】。強豪南アフリカを相手に、試合終了間際に逆転勝利した試合だ。

「日本のラグビーが世界に通用するんだって感動しました。自分も背中を押されたような気持になって―」

津久井は、自分も世界で輝く可能性を信じ、ラグビーにのめり込んでいく。

2年後の2017年、津久井は最年少の日本代表選手として、女子ワールドカップの舞台に立つ。全試合出場、世界のベストフィフティーンにも選ばれた。だがチームは、世界の厚い壁に跳ね返され、個人の栄誉など簡単に吹き飛んでしまう。津久井はワールドカップに借りを作った・・・

「体の大きさもフィジカルもスピードも技術的にも、全てが劣っていると感じたので、次のワールドカップまでのフィジカル強化と、ゲームコントロールの部分を自分の課題として磨いていきたいと、あの時強く感じました」

その言葉通り、津久井は、愚直なまでに自らを成長させていく。だが・・・

今年7月、津久井は7人制の試合で、手の甲を骨折してしまう。そこから2ヵ月に渡り、代表チームから離れることを余儀なくされた。4年に一度のワールドカップは、コロナ渦によって1年の延期が決まっている。つまり5年間の中のたった2カ月に過ぎないが、彼女の心は焦燥感で溢れていた。

津久井のポジションは、攻撃の要となるスクラムハーフ。離脱すれば、すぐにライバルがその席に座る。ただ回復するのを待ってはいられない。今出来ることを、彼女は考え始めていた。

「手をケガしたことで、下半身の強化にフォーカスできたのは、寧ろ収穫でした」

ケガのショックから、すぐに前を向いた津久井。事実、持ち味であるスピードやステップワークは、さらに磨きがかかっていた。世界では恐らく、最小の部類に入るだろう津久井萌。そのハンデもケガも乗り越え戦い続ける原動力とは?

「一番は、ラグビーが楽しいから。もうひとつは、支えて応援し続けてくれる家族へ結果で恩返しがしたいから」

そのためには、自分が世界一のスクラムハーフになり、サクラフィフティーンが世界一のチームになること。彼女はそれを信じて疑わない。

≪日本が世界に誇るクラブマイスター クラフトマン・伊藤友男≫

鉄を削り出す音が響く。0コンマ数ミリの微妙で繊細な作業、それを、魂を込める作業と語る男がいた。

岐阜県の、通称『養老工場』で、世界のミズノと謳われる、ゴルフクラブが作られている。そしてここに、日本が世界に誇るクラブマイスター・伊藤友男の姿があった。モノづくり一筋の30年、神の手を持つ男の、飽くなき原動力と夢を知りたくなった。

伊藤は、ミズノに入社するまで、ゴルフのゴの字も知らなかったという、異色の存在だ。ところが、伊藤が生まれ育った実家は、この養老工場の近所なのだから、見えない縁で結ばれていたのかもしれない。

「学生の頃、養老工場に世界のトッププロがクラブを作りに来たのを見て、カッコいいなぁと思ったのが、きっかけなんですかね」

入社当初は、量産品の生産ラインに配属され、来る日も来る日も同じ作業の繰り返し…

「毎日が勉強、訓練みたいなもの。失敗も数えきれません。でもつくり甲斐は感じてました」

伊藤は、ゴルフという競技の、そしてモノづくりの魅力に取りつかれていく。

「いつかは世界で認められる仕事をしてみたい。そんな風に思い始めていました」

しばらくして、その思いは現実のものとなる。欧州ツアーに帯同し、世界のトッププロたちをサポートする重責を担ったのだ。ある有名プロのクラブを手にした時は、責任の重さに震えが止まらなくなったと言う。こうした、しびれるような経験の積み重ねが、伊藤をクラブマイスターの地位に押し上げたと言っても過言ではない。

仲間のクラフトマンやクラブフィッターたちは口をそろえて言う。

「あの人にだけは敵わない」

最近は、後進の指導や、イベント出席の機会も増えてきた。それでも、いちクラフトマンであることへの拘りは捨てられない。

「終わりの無い仕事だからですよ。プロはどんないいクラブを手にして、どんなに良い成績を出しても、もっと良いクラブをと求めてくる。僕はそれに応えることでさらに技術が磨かれて、何よりも応えられた時の喜びがね。その繰り返しで、本当に終わりが無い。だから続けられるんです」

≪世界での経験を日本のアマチュアゴルファーに クラブフィッター・平井誠一≫

東京赤坂のミズノゴルフスタジオ。ここで、訪れたゴルファーにとって、最適のクラブを選び出す『フィッティング』が行われている。今も、一人の男が、一般ゴルファーのスイングをじっと見守っている。国内外のツアープロを始め、多くの一般ゴルファーから絶大な信頼を集める、クラブフィッター・平井誠一だ。

「クラブフィッティングは、医者と患者の関係そのものだと思っています」

フィッティングのゴールは、訪れたゴルファーの悩みを解消し、要望に応えることだと、平井は言う。だから彼のフィッティングでは、問診の時間を多く取っている。

平井は、父の影響で、ゴルフに興味を持ち、たまたま通っていた高校にミズノの求人があったことで、その後の運命が決まった。入社後は、ゴルフクラブの製造、修理業務を経て、欧州ツアーや国内トーナメントの場で、ツアープロのクラブメンテナンスを手掛けることに―

「自分が手掛けたクラブで、それを使ったプロが活躍すると、自分のところに挨拶に来てくれるんです。これが嬉しくて、励みになりましたね」

几帳面で仕事が早い―そんなイメージがある日本人であることも手伝って、平井は多くの海外のトッププロたちと信頼関係を築いていった。時には無理難題を押し付けられることもあったが、それすらしっかりクリアすることで、平井は自らのクラブへの造詣を深めていく。

日本でクラブフィッターとして活動する際も、国内外のトーナメントでの経験が客のゴルファーにフィードバックされているという。そして逆に―

「自分のフィッティングを受けたお客様が、喜びの声を戻してくださるんです。

これがクラブフィッターであり続けることの喜び、モチベーション、原動力ですね」

TEXT/小此木聡(放送作家)

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