【テキスト版】CROSSOVER「STANCE」深堀圭一郎×北澤豪

そんな夢を抱いた少年時代。

Jリーグ誕生後は世界で戦う代表入りを目指す

深堀:今回から、Jリーグ創成期にその人気を支えたレジェンドプレーヤー・北澤豪さんにお話を伺います。現在はサッカー解説をはじめスクールの主宰や『日本障がい者サッカー連盟』の会長を務めるなど、さまざまな分野でご活躍中ですが、何か特別な想いをお持ちですか?

北澤:求めているのは「広がり」ですね。Jリーグがスタートしたときもサッカー界は広がりましたけど、さらに幅を持たせていく必要があると思うんです。実際に海外のサッカー先進国では、そういう取り組みをしている選手が数多くいます。

深堀:ゴルフ界も、海外では地域交流を深める活動などがあります。僕と親交のある丸山茂樹プロも海外でのプレー経験から『ジュニアファンデーション』などを開催しています。海外経験のあるプロが実践してくれると、僕らもメディアも注目します。その結果、多くの人たちが応援し始めるなど、ゴルフ界も以前より幅が広がってきていますね。

北澤:これはサッカーもゴルフも同じだと思いますが、世界で通用する選手が出てきてこそ理解してもらえると思うんです。サッカーならワールドカップの出場がそうですしね。やはり、競技が強くならないと発展しないと思います。

深堀:今はJリーグがあり、スタジアムも整備されていると思いますが、北澤さんの学生時代はグラウンドの状況はどうでしたか。

北澤:まさにJリーグが発足して大きく変わった部分だと思いますね。例えば、昔は国際試合を冬に日本で開催すると芝が茶色い状態だったんです。海外の選手が来日して、それを見て「どこで試合するの?」といっていましたから。みんな「緑の芝」しかイメージがないわけです。ところが、僕らは学生時代から土のグラウンドで試合をしていたので違和感がないんです。高校生のときにインターハイでベスト8ぐらいまで進むと芝のグラウンドになるのですが、当時は逆にやりにくくて。いつも土の上でしたから(笑)。今の高校生は基本的に「土の上で試合はできません」というスタンスなので、圧倒的に環境が変わったと思います。

深堀:僕もゴルフを始めたころは、河川敷でプレーしていました。最初はショートコース、うまくなったら河川敷の18ホールをプレーするんです。そして、河川敷でまともにプレーできるようになったら「本格的なコースでラウンドできる」と、父にいわれました。当時は芝ではなく雑草地帯からボールを打っていましたが、そういう環境で練習したことがプラスになっていると思います。理由は、世界には状態の悪いコースが数多くあるからです。世界を舞台に活躍するにはライが悪い状況で打てる技術を持っていたほうが有利なわけです。今の若い人たちとは違い、僕らがゴルフを始めたころはクラブがフルセットそろっていないのも普通でした。パターも含めて4~5本でプレーしていたんです。その中で「どう距離を合わせるか、風に負けないためにどう打つか」など、状況を考えながらラウンドしていましたね。

北澤:サッカー先進国でも、ブラジルなどに行くと子供たちがデコボコのグラウンドでプレーしていますね。とはいえ、ここまで発展している日本で、あえて悪い環境をつくるのは難しいかもしれません。

深堀:北澤さんが若いころは、まだ日本にはJリーグが存在してなかったと思うのですが、当時から「プロになりたい」という夢はあったのでしょうか?

北澤:小学生のころから「プロになるには海外しかない」と思っていましたね。それで中学生のころに「ブラジルに行こう」と考えたのですが、最後の決断で迷いが生じ断念しました。ただし、中学生のころに読売サッカークラブのジュニアユースに所属していたので「プロ的な思考」には触れていました。当時は、ラモス瑠偉さんや都並敏史さんらがトップチームにいて、彼らが給料を現金で受け取る姿なども間近で見ていましたから。今のJリーグの取り組みと一緒ですが、同じ施設内に「トップ選手」「その下の選手」「高校生」「中学生」がいる環境に身を置くと、頂点までの道筋が見えやすいんです。

深堀:本物を間近で見ることは大切ですよね。実際に社会人からJリーグというプロの世界へ移行したときは、環境なども激変したと思うのですが。

北澤:そうですね。いきなりプロになったので、最初は戸惑いもありました。その先には、日本代表という舞台も見えていたので。当時からトップ選手たちは、世界を相手に戦える日本代表入りを最大のモチベーションにしていたと思います。

深堀:サッカー界もトップ選手は、やはり世界を意識しているんですね。

プロで生き抜くため中盤に転向!

スポーツは表現だからこそ感情を露わにしてプレー

深堀:僕のなかで、北澤さんは走り回っていたイメージが強いですが、これは自然にできた動きですか?

北澤:そうですね。もともと動けるタイプでした。実際に測定してみたんですけど、僕の場合は乳酸値が一度上がると、それ以上は高くならなかった。だから走れたのかも知れません。そういうトレーニングもしていましたしね。とはいえ、もともと僕がブレークしたのは「得点王」になったから。それで日本代表に選ばれてヴェルディ川崎(現・東京ヴェルディ)に声をかけていただいた。ところが、移籍したら得点を取れる選手がチームに溢れていたんです(笑)。すぐに「このポジションでは生きていけない」と感じて、ひとつ後に下げました。前線にうまい選手は数多くいるけど、ディフェンダーとの間に隙間が生まれるから「そこを埋めるポジション」がよいのでは、と考えたわけです。

深堀:僕は、北澤さんのポジションは重要だと思いますね。中盤を支えるダイナモは、サッカーIQが高くないと務まらないでしょうから。いわゆるゴルフIQが高い選手と同じですね。例えば、単調にドライバーを飛ばしてピンを狙うより「どう攻めようか」など、状況に合わせた押し引きが可能で流れも読める、それがIQの高い選手だと思います。

北澤:そうかもしれませんね。当時のヴェルディ川崎(現・東京ヴェルディ)は、ゲームで抑揚をつけられるチームでした。実際に、一定のリズムでサッカーをしていると怒られるときもありましたから(笑)。「体に音楽(リズム)を持っていないのか」みたいにいわれるんです(笑)。日本のサッカーでは「1・2・3・4」みたいな単調な流れが多いですが、ブラジルは「パン・パン・パパパン」みたいにリズム感がある。そういう意味でも、僕は日本代表においても「新しいものをつくる」という気持ちが強かったですね。たとえば、先輩たちは海外チームをリスペクトしすぎていた。そこで当時、先輩たちに「勝利するつもりで戦わなければ勝てません」といったんです。実際に、負けていたのは気持ちで、技術的には日本の方がうまい部分もありましたから、どうして「負ける」という先入観を持つのか理解できませんでした。

深堀:「新しいサッカー界」という表現が正しいか分かりませんけど、新時代の幕開けでしょうか。

北澤:その言葉は、むしろ現在の方が当てはまるかもしれませんね。僕たちは「ワールドカップに出場していない国」でしたが、香川真司選手らと話をすると、彼らは「日本がワールドカップに出場できることが前提」。そこは大きく違うと思います。

深堀:北澤さんは現役時代「感情を表に出すタイプ」に見えましたから、反感を持たれることもあったと思います。応援してくれる方もいたでしょうが、その辺りはどうですか?

北澤:Jリーガーになってから、自己演出で「そういうイメージ」にしていたんです。今は淡々とプレーする若い選手が多いと思います。しかし「スポーツは表現」だからこそ、感情を露わにすることも大切です。

深堀:感情を出さなくてはいけないタイミングは絶対にありますよね。ゴルフのトーナメントも、同じ組で一人もバーディが出ないと重苦しい雰囲気になるんです。そんなときにスーパープレーでバーディが取れてガッツポーズや雄叫びあげると盛り上がる瞬間があります。僕は、ゴルフ界の若い選手も「喜び方」など、見せ方を学んだ方がいい。例えば、18番ホールのグリーン上にくると選手の名前がコールされるんですが、リアクションが少ない。帽子を取ったり、手を上げるなどいろいろパフォーマンスはできるので工夫してほしいですね。北澤さんは、プロ選手は「どう在るべき」だと思いますか?

北澤:やはり「お客さんが喜んでくれるプレー」をするべきだと思います。僕の場合は、学生時代がサッカーをしていて一番楽しかったんです。責任がないし、好きなようにプレーできましたから。しかし、プロだとうまくいかないことが多くなります。そこを苦しいと感じたり、チャレンジ精神がない人は成功するのは難しいと思います。

深堀:僕も子供のころはゴルフが楽しかった。当時は「一打いい球を打つ喜び」がありましたから。ところが、あるレベルを超えると「一打のミスを後悔する」ようになったんです。やはり、プロはすべてのショットに責任を持たなければいけませんし、次は「どのように準備するか」も考え続ける必要があります。

主宰するサッカースクールでは生徒の弱点をプラスに変える!

障がいを持っている子供たちの環境づくりにも注力

深堀:引退後の活動についてお話いただければと思います。現在はサッカー中継の解説などもされている北澤さんですが、まずは「サッカーを楽しく観戦する方法」について伺います。特に子供たちは「こういう目線で見るといい」みたいなポイントはありますか?

北澤:なるべく「今起きているプレーの先」を予測しながら観戦すれば楽しめると思います。「次はこうなる」と想像力を働かせながらプロの競技を見ることで、自分たちの試合でも「先読み」ができるようになってきますしね。僕の場合は、子供のころはいつも上のほうから観戦していました。やはり「俯瞰で見る目」も持たなければいけないと思います。

深堀:サッカー選手の皆さんは、引退後に監督になるため資格を取得したり、その後の人生をしっかり組み立てるイメージがあります。そういう流れもあって、北澤さんもサッカースクールを10年以上続けられているのでしょうか?

北澤:自分がプレーするわけではありませんから、僕らを喜ばせてくれる選手が育てばと思ってサッカースクールを主宰しています。中には運動能力に長けていない生徒もいますが、1年後にはすごくうまくなって驚くこともある。例えば、足が遅い子供がキックで何人もかわすようなテクニックを身につけたり、弱点をプラスに変えていくような。生徒が本来持っている能力や性格などを考慮して指導していますね。さらにうまくいったか、失敗かを分かっていない場合が多いので、そこを明確にするよう心がけています。

深堀:スポーツに子供が熱中していると応援するご両親も同じ気持ちになり、中には叱責する方もいたりしますけど親御さんの子供とのかかわり方はどのように考えていますか?

北澤:難しい質問ですね。ちなみに、深堀さんの子供のころはどうでした?

深堀:僕の場合「褒められて伸ばしてもらった」感じですね。うちの父も厳しかったのですが、「悪いところを指摘するより、いい部分を伸ばす」指導法でした。例えば、僕の場合スイング中にヒザの動きが強いタイプでしたが「ヒザの動きを止めたらゴルフが終わるから、絶対に弱めず最後まで振り切りなさい、それが一番の長所だから」といわれました。

北澤:それは最高のコーチですね!僕が大切だと思うのは「スクールに来ることの楽しさ」ですね。生徒に「やりたくない」といわれるのは最悪。スポーツで重要なのはチャレンジ精神ですから、失敗しても「また頑張りたい」と思える環境づくりを心がけています。

深堀:日本では、子供たちが学校以外では一つの競技を長く続けていくイメージがあります。例えばスポーツ先進国のアメリカではまったく違う競技をする時期があったりします。その中で「自分に合うものを探すスタイル」が確立されていると思うのですが?

北澤:僕も子供のころは違う競技を経験したほうがいいと思いますね。例えば、肉体的な部分もそうですし、知識や頭脳にも刺激が与えられますから。それから音楽を聴くことも必要でしょうし、アートに触れることもスポーツの感性を高めてくれます。実際にサッカーの場合は、イタリアやスペインの育成選手などは練習以外で感性を高める機会が多いんです。

深堀:スポーツに真剣に取り組んでいると、調子が悪かったり行き詰まる時期があると思います。そんなとき、別のスポーツを楽しむことでリフレッシュできますよね。そういう選択肢を自分の中につくっておくことも大切だと思います。よくスポーツをするときは「楽しみなさい」という言葉も耳にしますが、北澤さんはどう思いますか?

北澤:意味を勘違いしてはダメですね。「楽しむ」という言葉に込められているのは「バカ騒ぎする」ということではありません。苦しい後に訪れる「うれしさ」や、次に向けての期待から生まれる「ワクワク感」を楽しむことだと思います。

深堀:北澤さんは、日本障がい者サッカー連盟の会長としてもさまざまな活動をされていますが、その中で何か気づいたことはありますか?

北澤:少しずつですがスポーツを取り巻く環境もいい方向に変わってきていると思います。しかし、それでも障がい者の方々が日常でスポーツを楽しめる環境は、まだ万全とは言い難い。さらに障がいを持つ子供たちが、パラリンピックなどの日本代表を本気で目指せるような環境も十分ではありません。僕はそこを整えていきたいと思っています。

深堀:本当に北澤さんの熱い想いには頭が下がります。

日本代表がワールドカップで優勝する瞬間を見届ける……

それが今の活動のすべての原点!

深堀:現役を引退してからの活動についてお伺いしましたがその中で、東南アジアや南米、アフリカなどに行ってサッカー教室を開いたりボールやウェアを寄贈するなど、国際的な舞台でもご活躍されていると思います。このような国際貢献については、どのように考えていますか?

北澤:とにかく彼らはハングリー。お金や家、さらに両親がいなくても「俺はサッカーで成功してやる!」という強い意思を持っています。子供たちがはだしでプレーしながら「オレはサッカー選手になる」と僕にいってくるんです。そういう「強さ」は、学ぶべきでしょうね。例えば、現地にボールがないと聞き、日本からサッカーボールを持っていくと本当にないんです。100人ぐらいの子供たちに対してボールが1個。50対50でサッカーするのは無理なので、限られた子供しか試合に出られない。だから残りの80人ぐらいは「エアドリブル」でイメージを膨らませるんです。ボールを持たせると、これがすごくうまい。日本では、一人に1個ボールがありますが、ドリブルだったら彼らのほうがテクニシャンです。僕はそのときに「ボールを持ってこないほうがよかったかも」と思いましたね。大切なのはボールの数ではない気がして。そういう意味では刺激になります。

深堀:北澤さんは、病気と闘う子供たちと、その家族を支援する「ドナルド・マクドナルド・ハウス」のチャリティ・アンバサダーとしてフルマラソンに出場したり、チャリティフットサルを開催するなど数々の社会貢献もされていますね。実は、僕も寄付やチャリティゴルフなどに出場しています。ご縁があってもう20年ぐらいのおつき合いですね。

北澤:20年はすごいですね。やはり発信力がある人が、積極的に活動していくことは大切ですね。

深堀:北澤さんは、国内外を含めて多くの子供たちも指導されてきたと思いますが「サッカーが持つ力」とは、どういうものだと感じますか?

北澤:例えば、団体競技だから協力してプレーするため「一人じゃない」ということが強く感じられると思います。さらに、一つの目標に向かって一緒に取り組んでいく過程では、助け合いの精神なども。チーム力を向上させるには、うまくいったプレーと失敗したことの記憶をたどり、次に生かしていく必要があります。そういう意味では、社会性を身につけるのと同じ過程なので、プロ選手として成功しなくてもサッカーをしていたことが社会でも役立つと思います。

深堀:プロの選手になることがゴールではなく「人として成長していくために必要なこと」が、サッカーをしていく過程で身につくわけですね。北澤さんは、いろいろな講演活動もされていて、その中で「自分を知ることや目標設定の大切さ」についても話されていますが、具体的にはどういうことなのでしょうか?

北澤:現代は「迷う時代」だと思うんです。特に子供たちは迷いやすい。一番怖いのは「行き先」が用意されていないこと。ですから、自分の「行き先」を見つけられるようにすることが大切です。

深堀:僕はダメなときもありましたが、小さいときから「ここに行ける」と確信していた。ですから、厳しい状況でもつらいとは思わなかったですね。それが「自分で目標が設定できた」ことなのかもしれません。最後に、今後Jリーグや日本代表がさらに強くなるために必要なこと、そして北澤さんの夢も伺いたいのですが?

北澤:これはサッカーだけの話ではありませんが、スポーツ産業に変革をもたらすようないい人材が入ってきてほしいですね。例えば、データを解析できる人も必要だと思います。効率よく進化できる方法を科学的に分析できるでしょうから。また、フットサルなどもプログラミングで戦略を立てたり。実際のプレーはしないけど、作戦を立てる戦略家みたいな存在がいてもいいと思います。そして、僕の夢はワールドカップで優勝すること。もちろん、プレーはできませんけど(笑)。今は、そのために活動をしているといっても過言ではないです。現状では、アジアの大陸はFIFAランキングで100位台が多いですが、そんな大陸からワールドカップの優勝国が誕生するわけありません。ですから、アジアの支援をしなければいけないと思います。とにかく、自分が生きている間に日本がワールドカップで優勝する姿を見たいですね。

深堀:北澤さんは、今後もエネルギッシュに活動をされていかれるでしょうし、もし日本がワールドカップで優勝する瞬間が見られたら本当にすごいですね。今回は楽しいお話を聞かせていただきまして、ありがとうございました。

▼北澤豪/きたざわ・つよし

1968年8月10日生まれ、東京都出身。(公財)日本サッカー協会理事。(一社)日本障がい者サッカー連盟会長。サッカー元日本代表で、Jリーグのヴェルディ川崎(現・東京ヴェルディ)の選手として活躍した。

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