• HOME
  • 記事
  • ゴルフ
  • 被災地に心からお見舞いを~私たちにできることを考える~ 【原田香里のゴルフ未来会議】

被災地に心からお見舞いを~私たちにできることを考える~ 【原田香里のゴルフ未来会議】

熊本地震から一年後、KKT杯バンテリンレディスでは追悼セレモニーが行われた(撮影:村上航)

ゴルフを愛するみなさん、こんにちは。原田香里です。元日に襲った能登半島地震で、被災された皆様には心からお見舞いを申し上げます。一日も早く心穏やかな日常を取り戻せるようお祈りしております。

今回の地震で東日本大震災、熊本地震のことを思い出していました。2011年3月11日の東日本大震災の時、私は選手として開幕2戦目のヨコハマタイヤゴルフトーナメントPRGRレディスに出場していました。高知県の土佐CCで行われた大会初日の金曜日。私は遅いスタートで、スコア提出所で「関東が大変なことになっています」という話を聞いたのです。

高知なので揺れを感じることはなく、その後映像を見て驚いたのはもちろんですが、津波注意報が高知にまで発令されたことにもびっくりしました。土佐CCから臨める太平洋にも津波が来るかもしれないというのです。海が近いと言っても、コースは高台にあり、クラブハウスにいるのが最も安全だということになりました。その時点でコースを離れていなかった選手だけでなく、スタッフはもちろんギャラリーのみなさんも含めて、落ち着くまでそこにいることになりました。まだ日の短い3月初旬のことです。だんだん日が暮れる中、ギャラリーバスに避難したみなさんのために、何かできることはないかそこで率先して動いたのが、有村智恵さんでした。

彼女を中心にした選手たちの有志が、ギャラリーバスに乗り込み、サイン会をして不安なみなさんの気持ちを紛らわしていたことを、とても鮮明に覚えています。今思えば有村さんは当時まだ23歳。東北高校出身ということで東北への思いも強かったとは思いますが、すぐにそうした行動ができるのは本当に素晴らしいと思ったものです。

結局、高知に津波が来ることはありませんでしたが、試合は中止になり、その後さらに3試合が中止となりました。私たちプロゴルファーに限らず、スポーツを仕事にしている方の多くが抱いた複雑な思い…。災害そのものの対応でお役に立てるような仕事ではないからです。「ゴルフをしている場合なのか」という話はあちこちで出ていましたし、その後、3試合は開催中止になっています。ツアー再開後は、チャリティ活動に力を入れるようになり、私たちがプレーしている姿で元気が出ると言っていただくこともありました。それでも「私たちの仕事って一体…?」という気持ちはずっと抱き続けることになりました。

5年後の2016年4月の熊本地震は、まさにツアーを直撃しました。最初の大きな揺れがあった4月14日は木曜日。熊本空港CCでのKKT杯バンテリンレディス初日を翌日に控えた午後9時26分のことでした。当時、私は理事だったのですが、現場にはいませんでした。後日、聞いた話ではホテルの中にいるのが安全かどうかわからず、車中泊をしたJLPGAのスタッフもいたとのことです。もちろん翌日からの試合は中止になったのですが、2日後にまた大きな揺れが襲い、被害が拡大したのはご存じのとおりです。空港も使えず、福岡まで何とか移動して自宅に戻った人が多かったようです。この時は、次の試合も中止にすることなく開催しながら被災地を応援する活動が行われました。私たちが通常通りに試合を続けることが、被災者のみなさんに少しでも元気を出していただくきっかけになれれば、ということだったと思います。

試合であちこちを転戦し、みなさんから応援していただいている私たちは、あちらこちらとご縁があります。最近では2023年の日本女子オープンは福井県の芦原GCで行われましたし、この地域とツアーのご縁もたくさんあります。これに個人個人のご縁が加わるのです。どこで災害が起きても、私たちにとってはつねに身近なことに感じられます。もちろん、今回の能登半島地震も同じです。被災者のみなさんが少しでも早く安心できるようになることを祈りつつ、私にできることをしていきたいと思います。

■原田香里(はらだ・かおり)
1966年10月27日生まれ、山口県出身。名門・日大ゴルフ部にで腕を磨き1989年のプロテストに合格。92年の「ミズノオープンレディスゴルフトーナメント」でツアー初優勝。93年には「日本女子プロゴルフ選手権大会」、「JLPGA明治乳業カップ年度最優秀女子プロ決定戦」勝利で公式戦2冠を達成。通算7勝。その後は日本女子プロゴルフ協会の運営に尽力し21年3月まで理事を務めた。

関連記事