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陳清波から学んだ技で“恩返し”! 「ビッグ・スギ」初V秘話【名勝負ものがたり】 | ゴルフのポータルサイトALBA.Net

杉本英世の初Vものがたり(撮影:ALBA)

歳月が流れても、語り継がれる戦いがある。役者や舞台、筋書きはもちろんのこと、芝や空の色、風の音に至るまでの鮮やかな記憶。かたずを飲んで見守る人の息づかいや、その後の喝采まで含めた名勝負の舞台裏が、関わった人の証言で、よみがえる。

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杉本英世がスターへの第1歩を踏み出したのは東京五輪の開催中、1964年10月29日のことだった。パー4のティーショットで楽々1オンするほどの飛距離から「ビッグ・スギ」と呼ばれ、のちに河野高明、安田春雄とともに「和製ビッグスリー」として一時代をリードすることになる杉本は、この時まだ無名の一選手でしかなかった。その一方で出場選手中ナンバーワンの飛距離を身につけていた。

杉本は川奈ホテルからほど近い、静岡県田方郡小室村川奈(現伊東市)に生まれた。子供の頃の遊び場も川奈ホテル内のゴルフ場。木箱に竹2本のソリをつけた芝ソリだったという。中学の頃からはキャディのアルバイトも始めたが、両肩に2つずつバッグを担いでも「全然平気」(杉本)というほど、すでに屈強な肉体を有していた。

というのも、杉本の家は集落の高台にあり、共同で使用している井戸は300メートル下った場所にあった。水をたっぷり満たした桶を二つ、天秤棒を通して3往復。これを3日おきに行うのが末っ子である杉本の仕事だった。「稲尾(和久=元西鉄ライオンズ投手)さんは舟の櫓(ろ)をこいで二枚腰を得たというけど、私はこの作業が源。階段の幅が広くて、大股で上り下りしなくちゃならない。それが良かった」(杉本)。バランス感覚に加え腹筋、背筋、下半身、体幹の強さを身につけたのだ。

ソフトボールで垣間見せた桁外れのパワーは、プロ野球関係者の耳にも入った。県立伊東高校卒業を目前にした年の正月、プロ野球の近鉄パールス(現オリックス・バッファローズ)の選手兼任監督・別当薫氏の来訪を受け、直接入団を勧誘されてもいた。しかし杉本は川奈でのキャディ生活に入り、練習に来ていた陳清波の指導を受ける。その後も「18歳ぐらいの時に陳さんのスイングを見て気づいたんです。ほかのプロは手首を返そうとしないのに、陳さんだけはインパクトで手首を返していた。それを真似しているうちに飛ぶようになった」(杉本)。

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