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【引退直前インタビュー】「たとえ1秒でも」。45歳、金山友紀が練習でも試合でも、ピッチに立つ限り全力で走り続けた意味

答え合わせに、臨ませてもらった。

なぜ、引退を決意したのか?

なぜ、続けて来られたのか?

ワンクラブで22年、何度でも怪我から復帰し、163cmの小さな身体で、45歳を過ぎても第一線でプレーしてきた現役最年長だからこそ沸いてきた。

なぜ今なのか。なぜ今まで、と。

爆発的なスピード、ライン際のスライディング、アクロバティックなボレー、必殺のファー詰め、いつだって見る者を驚かせ、そして熱くさせてきた唯一無二のスピードスターの、真髄とはなにか。

1秒に、一瞬に、全力でプレーし続ける、そのマインドの原点とはなんなのか、と。

金山友紀は、考察に値する選手だ。

もちろんここで全てを解き明かすには、そのキャリアはあまりにも重く分厚い。それでも聞かずにはいられなかった。

引退発表直後のホームゲームで今シーズン初得点を挙げた翌週の1月19日、お互いに希望した久々の対面取材で、結果的に2時間半も付き合ってもらってしまった。ちょっとかかり気味のうるさい質問に、根気よくていねいに、明解に答えてくれた。

金山友紀を金山友紀たらしめたものとは。

インタビュー・編集=高田宗太郎
写真=高橋学

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練習で全力の自分が、練習で怪我を気にしだした

──1月10日に引退発表されました。「ついにこの時が来てしまったのか」と思った方は多いと思います。改めて引退を決意された理由とタイミングを教えてください。

もともと「2桁取れなくなったら引退」と公言していて、2018-2019シーズンに初めて1桁だったんです。

──その年は出場25試合で3得点。Fリーグ初年度から11年連続の2桁得点がそこで途切れてしまった。

「ああ、このタイミングだろうな」と思っていたら、岡山(孝介)監督からルイス(ベルナット)監督に代わるとなって。ブラジル人監督の下ではプレーしてきたけど、スペイン人監督は初めてだったから、どんなフットサルをするのか「1年やってそこで」という思いになりました。

──岡山監督体制最後の2018-2019シーズンは、前年2位だったチームにアウグストらを補強して優勝を獲りにいったシーズンでした。ピレス・イゴール(現浦安)、森岡薫(現葛飾)、ダニエル・サカイ(現しながわ)、クレパウジ・ヴィニシウスら外国出身の選手と、代表歴のある日本人選手が揃っていました。しかし融合できず、その前のシーズンの良さも消えてしまった。金山さんも14得点から3得点に。

ずっともどかしかったし、自分自身ももっとやれるのにと思いながらシーズンを送っていました。

──結果的に2桁が途切れ、引退を考えていたところに新たなモチベーションが?

そうですね。初のスペイン人監督の下でどれだけやれるか、1年だけ続けようと、自分の中での挑戦でした。

──スタートのアピールがすさまじかったのを覚えています。日本のリーグも選手も知らない監督に対して「最初の印象と結果が大事だから」と得点にこだわって。「いや、ベテランがギラギラしすぎっす」と、話をさせてもらいました。

そうそう、プレマッチから気合いが入っていたし、実際、湘南とやった時に得点を取れてね。結果的にルイス監督1年目は6得点で、出場時間も限られていたけど、運もあってその前の年よりは取ることができた。

──勝負どころの時間帯で出てきて2点を取って試合を決めたこともありました。

ルイス監督は「この試合はベテランを使う試合」みたいにはっきりしていたし、前半で勝負が決まった試合の後半に、俺や森谷(優太)や(横江)怜といった当時のベテランを急に試したり。でも、そのなかで必要だと思ってもらったので監督から「次の年も」ということになり。

──ルイス監督の下でプレーしたことで金山さんにも変化が?

それまでは、得点を取ってチームに貢献するということ“だけ”で自分の価値や存在感を見せようとしていたんだけど、それが変わった。いろいろな選手が去っていくなかでチームのバランスを保つために、ベテランである自分がどういう位置にいないといけないのかを意識したところもあったかな。ルイス監督体制の2年目から3年目へのタイミングでは、さらに若いチームにシフトするなかで、唯一の初年度からチームにいる選手として必要だなと俯瞰した部分もあって。

──得点以外でも貢献できることがある。必要とされるなら「3年目も」と。

もちろん自分自身がやりたいという気持ちもあったし。

──2桁が途切れた後は、その「得点以外でどうやってチームに貢献するか」を考えて、それすらできなくなった時が引き際だろうと。

それを考えてここ数年を過ごしていたのは間違いない。練習から全力でプレーする姿とか、なにか見せられることはあるんじゃないか、と。ただ去年あたりから、練習でギアが上がっていくと怪我をしてしまう、ということがあって。結果的に昨シーズンは1回、今シーズンは2回、そういうことがあった。今シーズンの開幕前は、足首の痛みとか、蓄積された細かい痛みなども抜けて「ここ数年で一番いいコンディションだ」と甲斐(修侍監督)さんとも話していたんだけど、開幕2日前の練習で怪我をしてしまって。

──右半腱様筋損傷で全治6週間というリリースでした。

それで前期を棒にふり、中断明けに復帰。立川と名古屋の試合に出て、ここから上げていくというタイミングでまた怪我をしてチームから離れ……練習で全力を見せてきた自分が、練習で怪我を気にしだしてしまった。

──怪我を恐れて?

恐れて、ということはないけど、気にするようになってしまった。それがすごく歯痒かったということもあり……タイミング的には、来たかなと。

──恐縮ですが、練習は練習として、多少強度を落としたり、ちょっと抜いたりしながらやっていくのもベテランの技術というか、そういうふうに続けていくという選択肢はなかったんですか?

「そういうふうにやることができたら、もう少し長くできたんだろうけど」と甲斐さんにも、引退を伝えに行った時に言われました。でももし、そういう考え方でやったとしても、目の前で若い選手がすごい強度でプレーしていたら、自分もと思っていただろうし。それに、4、5年前までは練習でコンディションのことを考慮して、疲労が溜まっていたら「ちょっと追い込み過ぎかな」とか思ったりしたこともあったんだけど、ここ数年は逆に上げないといけない年齢になってきていて。

──落として調整するよりも、上げて調整しないといけない年齢に?

若い選手と同じ量をやっているだけだと負荷が入りきらない部分もあって、全体練習が終わった後にトレーニングマシンを使って刺激を入れたりして。本当にコンディションって難しいなと思うよ。

──そうだったんですね。「落としたり抜いたりは?」と質問しておいてアレですが、「それができたら」と甲斐さんも話されたように、それができないから、それをしないから「金山友紀」だったんだな、と。甲斐監督に引退の意思を伝えたのはいつですか?

昨シーズンから今シーズンへ契約更新するタイミングで「最後の1年と考えています」と。それに対して「本当に引退を決断する時が来たら言ってくれ」と言われました。正式に伝えたのは2022年の年末、横浜とのホームゲームへ向かう週ですね。監督とチームに伝えました。

 

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