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五十嵐史弥、イタリアへ。「いっぱい回り道をしてきました」(前編)

五十嵐の卓球の原点

五十嵐は卓球のトップ選手には珍しく、両親のいずれも卓球経験者ではない。
地元山形の長井ジュニアスポーツ少年団に、母親の知り合いのコーチがいたからという理由で卓球を始める。
小学6年のホカバ(小学生の全国大会)で自己最高のベスト8に入り、青森山田中学・高校の吉田安夫総監督から誘われ“憧れの”青森山田中学に入学する。

山田では2学年上に、後の全日本チャンピオン・及川瑞基や三部航平など、同世代のトップ選手が集っていた。「近くにお手本や目標になる選手がいっぱいいて、とても恵まれた環境でした」。

青森山田中学時代の五十嵐史弥
写真:青森山田中学時代の五十嵐史弥(最前列)/提供:本人しかし、その後、青森山田はそれまでのような卓球部強化ができなくなったため、五十嵐は中学三年の引退後に地元・山形の中学に編入、高校は石川県の強豪・遊学館に進学する。

「結果もそこまで残せてないのに、すごく大切に育ててもらった」と振り返る遊学館では出雲卓斗、三上貴弘ら同世代トップクラスの同級生たちと切磋琢磨しながら腕を磨き、高校3年のインターハイでは団体準優勝、出雲と組んだダブルスで3位入賞するまでに力をつけた。

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急成長の理由の一つに、遊学館のコーチ・金谷昌宣先生との出会いも挙げる。

「理論的な指導でした。僕は小さいときからあまりセンスがなかったので、頭で理解してから身体に移す、という指導法が自分にぴったりハマりました」

うーん、例えばと言って、身振り手振りで説明してくれる。
「フォアドライブ一つとっても、最初に強く当ててから回転をかけるのか、それともボールに先に回転をかけてから前に打つのかで打法はぜんぜん違います。フォームを見て真似するだけじゃなくて、最初に頭でその理論を理解してからやると、結構できるようになっていって、僕には合ってるなと思いました」

五十嵐史弥(早稲田大学)
写真:五十嵐史弥(早稲田大学)/撮影:槌谷昭人## 「お前、どこ行きたいんだ」「早稲田です!」

そして、かねてから志望していた早稲田大学へ進学する。
高校の世界史の先生からの「五十嵐、お前どこ行きたいんだ」「早稲田です!」という掛け合いが、クラスの恒例になるほど、いつも口にしていた早稲田大学だった。
「早稲田の卓球部は、大島祐哉さんが自分で頑張って頑張った分だけ結果を出しているというイメージでした。入ってみて、そのイメージ通りでしたね。」

大島祐哉
写真:2013年ジャパンオープンでの大島祐哉/提供:ittfworld五十嵐の判断基準は、自分が考え、自分で決め、自ら奮起できる経験が積める場所かどうか、だ。
「でも入ってから知ったこともあって」五十嵐は柔らかい笑顔を見せた。

「早稲田は、勉強で入ってきた人の卓球への愛情がすごくって、“練習したいです”ってお願いしたら、いつでもやってくれる先輩がいっぱいいた。それは幸せなことでした」

写真:五十嵐史弥(早稲田大)/撮影:ラリーズ編集部
写真:五十嵐史弥(早稲田大)/撮影:ラリーズ編集部“言われたことを器用にこなせるタイプではない”と自身を分析する五十嵐。しかし、自ら考え、経験したことからは、人一倍多くのことを学んできた。

そのぶん、回り道をしてきたなとも思いますけどね

そして、五十嵐が次に選んだのが、日本人初のイタリア卓球リーグへの参戦だった。

五十嵐史弥(早稲田大)
写真:五十嵐史弥(早稲田大)/撮影:ラリーズ編集部(来月公開の後編へ続く)

【学生トップレベル】曽根翔(愛知工業大)vs五十嵐史弥(早稲田大)

## 五十嵐史弥の卓球ギア

>>五十嵐史弥(早稲田大学)の用具紹介|俺の卓球ギア#17

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