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【新時代サッカー育成対談】幸野健一×カレン・ロバート|「元Jリーガー経営者はなぜグラウンドを作るのか?」|前編

掲載協力・WHITE BOARD SPORTS


■登壇者
幸野健一|プレミアリーグU-11実行委員長/FC市川GUNNERS代表/サッカーコンサルタント
・カレン・ロバート|房総ローヴァーズ木更津FC代表

■ファシリテーター
北健一郎|サッカーライター/ホワイトボードスポーツ編集長


現役時代から思っていた千葉への恩返し

──カレン・ロバートさんといえば、現役時代の華麗なプレーだったりドリブルだったりを覚えてる方が多いと思います。引退後は、どういう活動をされていますか?

カレン 木更津市、茂原市、印旛郡栄町というところでサッカー施設、サッカースクール、サッカークラブをやらせてもらっています。出身は茨城県土浦市ですが、育成年代で柏レイソルと市立船橋高校にお世話になってプロ入りしたので、千葉県にすごく恩を感じています。千葉県に恩返しをしたいという気持ちで今の取り組みをしています。

──現役を引退されたの何年前ですか?

カレン 第一線から身を引いたのは、2年前になります。ただ今でも自分のチームでプレーを続けています。

──国内ではジュビロ磐田に入団し、ロアッソ熊本でもプレーされました。その後の海外挑戦では、どういったクラブでプレーしていましたか?

カレン オランダにあるVVVフェンロのテストに合格して、3シーズンはオランダでプレーしました。イギリスでプレーしたい思いが強かったのですが叶わず、タイ、韓国、インドを渡り歩きました。

その間もイギリスでプレーしたい思いが強く、最終的には下部のリーグでもいいと思い、3年前にイギリスの7部でプレーしました。セミプロの契約で1年弱プレーし、一昨年の3月に帰国して、房総ローヴァーズ木更津FCの経営をさせてもらっています。

──幸野さんとボビさん(カレン・ロバートの愛称)の繋がりはいつから?

幸野 5年前かな? 正確にいつというのは忘れてしまいましたが、一緒にサッカーをやったり、僕の試合に来てくれたりしていました。それからの仲で、去年はボビの誕生日を2人でお祝いしました。

──そんな2人が情報交換するようになったきっかけは?

カレン 僕から、健さんに連絡したことがきっかけです。ケンさんはイギリスにも行かれており、サッカーの経験が高い方で、一度お話しを聞きたいなと。フェイスブックで繋がって、船橋のお店でお話しさせてもらいました。

──ボビさんのキャリアなら、指導者や解説者に進む方が一般的かなと思います。そこはイメージされていなかった?

カレン 全くイメージしていなかったですね。自分のサッカークラブを持って、強くしていきたいという考えを持っていました。僕は指導者に向いていないので、日本サッカーをよりよくする立場でやっていけたらなと。27歳で企業して、次が8期目。順調すぎるくらいにことが進んでいますね。

──それまでビジネスをやってきていない元サッカー選手が、起業するリスクは高いと思うのですが、ケンさんいかがでしょう?

幸野 リスクよりも、起業してビジネスマンとして自分のクラブを作るという目標が大きかったのかな。普通だったら、指導者の道にいくことが多い。でもボビはイギリスの7部でプレーして、自分が理想とする小さくても満員になるようなグラウンドやクラブをイメージできた。

そういうものを日本で作りたいという思いが、伝わってきました。自分の持っている知見をボビに伝え、「いつかでっかいことやるんだなぁ」と思っていたら、5年であっという間に抜かされちゃいました(笑)

カレン そんなことない(笑)。当時、ケンさんはすでにフルピッチを持っていました。だから話を聞きたくて、相談したのが始まりでしたね。

──グラウンドを作るにはどうしたらいいんですかって話だったんですね。

カレン そうです。フルピッチを持ってるって方はほんとに少ない。ほとんどいないなか、ケンさんはすでに持っていたので、どこをどうやったんだろうと。過程や経緯、裏話を聞きました。

グラウンドを作りたい思いが芽生えた理由

──今日のメインテーマは『元Jリーガー経営者はなぜグラウンドを作るのか』です。そもそも、何故グラウンドが必要だったのですか?

カレン Jリーグを目指すクラブを作りたいと思っています。特に千葉県への恩返しとして、千葉県をサッカー王国にしたい思いが強いです。静岡県がサッカー王国と言われていますが、ジュビロで6年半プレーしてその理由がわかりました。サッカーのステータスだったり、天然芝の数だったり、女子サッカーの普及だったり、エスパルスを応援する番組やジュビロを応援する番組がローカルテレビ局であったり。

それらを千葉県に置き換えると、まずはグラウンドがそれほど多くない、女子サッカーも普及されていない、レイソルやジェフの応援番組もない。「これはなんとかしないといけない」ということで、最初にグラウンドを作りたいと思いました。それはオランダにいる時から思っていたことです。

──ボビさんは北アイルランド人のお父さんと日本人のお母さんがいます。実際、ヨーロッパのサッカーの風景はご自身の中にありましたか?

カレン それはなかったです。お父さんはマンテェスター・ユナイテッドが好きで、お兄ちゃんもサッカーが大好き。けれど海外サッカーを観る機会はなかったですし、海外のサッカー環境も知りませんでした。20代でオランダでプレーしてから、ヨーロッパサッカーの文化に触れました。

その時から日本とは大きな差があるなと感じていましたが、イギリスに行ってさらに感じましたね。オランダよりもさらに進んでいて、「サッカーの母国はすごいな」と。その経験を踏まえて、日本サッカーを少しでも前進させたくて、千葉県というエリアに絞って活動しています。

──ボビさんの物事の捉え方や見え方は、選手目線というよりもビジネス目線ですね。ヨーロッパサッカーを見て「この技術がすごいな」、「この戦術がすごいな」という見方をする人が多い。しかしボビさんは、仕組み、環境、文化が目に入っているんだなという印象があります。

幸野 私もボビと同じで目線ですね。数年間ヨーロッパにいましたが、サッカーの違いだけではなく、取り巻く人たちや環境、文化などの違いを強く感じました。じゃあ、なぜそうなるかというと、人々の生活の中にサッカーが入り込んでいるから。

サッカーとともに生きている人たちがいるから、こういう環境ができるんだなと。羨ましい思いと、日本が追いつくためにはここまで達しなければいけないのかという思いがありました。

──ケンさんはボビさんより先にグラウンドを作っていますが、その経緯は?

幸野 ヨーロッパでは、基本的にグラウンドとクラブハウスがあるものを“クラブ”としています。なので、イギリスでは5部や6部などの小さなクラブでも、必ずグラウンドとクラブハウスがあります。例え小さくても、設備があることで文化やクラブの空気感が宿る。

しかし日本だと関東リーグクラスのクラブでも、グラウンドを持っていない。時間で利用者が変わるので、グラウンドにチームの雰囲気が残らない。それを見て、グラウンドやクラブハウスがあることは、大切なことだと感じた。私のグラウンドに戻ってくると、子どもたちが毎日のように来ている。それが私のクラブの雰囲気。これはすごく大事なことだなとつくづく思います。

──日本におけるグラウンドは、ほとんどの人にとって使用するために取るもので、作るものではないですよね?

幸野 それは間違いないです。でも私は、どうしてもグラウンドが欲しかった。以前の人たちは、そもそもグラウンドを作ることは不可能だと思っていました。無理だと思えば絶対にできません。私はできる前提で考えていました。闇雲に欲しいと言っているわけではなく、ビジネス的な戦略を立てて考えていました。

具体的には、PFIというビジネスモデルの手法を学んでいて、それを活用しました。もちろん、私一人で作ったわけではなく、一緒にやっている方たちがいるからできたこと。一人ではできなくても、みんなでできる。そういうチャンスが巡ってきたので、ずっと温めてきたものを実現化することができました。そこには大きな情熱があったし、どうしてもグラウンドを持ちたかった。7年経ちますが、本当に良かったと思っています。

── PFIとは具体的にどういう手法ですか?

幸野 イギリスでサッチャー政権が崩壊するってときに、イギリスを再生させるために生まれた法律です。プライベート・フィナンシャル・イニシアティブの略です。簡単に言うと民営化みたいなことで、国をスリム化して助けること。日本にもPFIは入ってきて、実行されているものもたくさんあります。

ただスポーツ施設への応用はまだ少なく、おそらく7年前に私たちが日本で最初に取り入れました。簡単に言うと、公園や市の土地にファンドを作って、投資家から集めたお金でグラウンドとクラブハウスを作る。民間会社としてサッカークラブの運営をして、利益をファンドに返すことによって、市は何もなかった空き地にグラウンドを提供できるようになり、さらに賃借料金も入る。僕のクラブは利益を出し、ファンドは利息を受け取って、子どもたちは喜ぶ。

4者が幸せになる仕組みです。使われていない土地は誰にとっても価値がないものですが、ここに命を吹きかけることによって宝の山に変わる。関わるすべての人たちが恩恵を受け受けるような形がPFIの仕組みです。

──今きれいな人工芝になっているグラウンドは、もともとどういった土地でした?

幸野 小川の脇にある場所で、川の氾濫に備えた遊休地でした。その後、水工事が終わって水が出なくなったにもかかわらず、そのままにされていた土地でした。

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