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愛娘を失った悲しみを乗り越え… 元“スパイダーマン”、9年ぶりの優勝は「奇跡」【舩越園子コラム】

勝利の瞬間、天を見上げた(撮影:GettyImages)

PGAツアーのフェデックスカップ・フォールは、ラストから2試合目の「バターフィールド・バミューダ選手権」が開催され、来季のシード権争いが大詰めを迎えつつある中、勝利を飾ったのは、カミロ・ビジェガス(コロンビア)だった。

首位から1打差の単独2位で最終ラウンドに臨んだビジェガスは、前半で4バーディを奪うと、後半も15番、17番でバーディを重ね、2位に2打差の通算24アンダーで逆転勝利。2014年以来、実に9年ぶりの復活優勝を果たした。

コロンビア出身のビジェガスは、米国のフロリダ大学を卒業後、04年にプロ転向。06年から米PGAツアーに参戦し、08年の「BMW選手権」で初優勝。そして最終戦の「ツアー選手権」を制し、大きな注目を集めた。

当時は、グリーン上に腹ばいになるような格好でラインを読む独特のポーズが話題になり、「スパイダーマン」「カメレオン」などと呼ばれていた。

2010年「ザ・ホンダ・クラシック」で通算3勝目、14年「ウィンダム選手権」で4勝目を挙げ、順風満帆なキャリアを歩んでいた。

しかし、翌年からビジェガスの成績は大きく下降。とはいえ、結婚し、長女ミーアを授かった彼の私生活は幸せそうだった。

だが、ある日、ミーアは脳腫瘍と診断され、6カ月にわたる闘病生活を経て、2020年7月に天国へ逝ってしまった。

愛する娘が2歳のバースデイすら迎えることができず、わずか生後22カ月でこの世を去ったことは、ビジェガスと妻マリアにとっては辛すぎる現実だったが、夫妻は「自分たちと同じように大変な現実に直面している子供たちやファミリーをサポートしよう」と思い立ち、財団を創設。『ミーアのミラクル』と名付け、活動を開始した。

ミーアの闘病を見守っていた2年間はツアーを休んでいたビジェガスは2021年から戦線復帰したものの、一時は7位にまで登りつめた世界ランキングは3桁まで下降。今季もレギュラーシーズン終了時点では734位と低迷していた。

それでも諦めず、『フェデックスカップ・フォール』で必死にランクアップを狙っていたビジェガスは、先週の「ワールド ワイド テクノロジー選手権」で久しぶりに優勝争いに絡み、2位タイでフィニッシュ。今週も優勝争いに絡み、そして勝利を掴んだ。

「不思議なほどのエネルギーを感じ、自信がどんどん増していくのが自分でもわかる」

右手首には『姿勢』、左手首には『ポジティブ』という文字のタトゥーを入れ、辛いときも苦しいときも常に自身を鼓舞してきた。

どんなときも決して諦めず、頑張ることができたのは「我が娘ミーアが空の上から僕を見ているからだ」とビジェガスは言った。

パパは頑張るからね――娘にそう語りかけ、先週も今週も黙々と戦った。そのとき彼は「不思議なほどのエネルギー」を感じ、「自信がどんどん増していく」のを感じたという。

かつてツアー選手権というビッグタイトルを手に入れ、光り輝いていたビジェガスが、今ではビッグネームの姿がほとんど皆無のフェデックスカップ・フォールの大会でシード権争いをしていることは、見方によっては「凋落」なのかもしれない。

しかし、最愛の娘を失った深い悲しみを乗り越え、新たに授かった息子はすくすく育って2歳になり、そして今、9年ぶりに勝利して通算5勝目を達成した喜びを噛み締めたビジェガスは、かつてのような輝きを取り戻し始めている。

最終日。バンカーからでも、どこからでも、自信満々にショットし、ピンそばにピタリピタリとつけていったビジェガスの戦いぶりには強い信念が感じられた。

「絶対に寄せる」「絶対に入れる」「負けるもんか」「絶対に勝つ」

そんな声なき声が聞こえてくるかのようで、“パパの声”は天国のミーアにも、きっと届いていたことだろう。

ビジェガスの復活優勝は、まさに『ミーアのミラクル』だった。

文・舩越園子(ゴルフジャーナリスト)

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