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最愛の母を失ったW・クラークが、良き味方とともに手にいれたビッグ・タイトル【舩越園子コラム】

全米オープンタイトルを手にしたW・クラークにあった物語(撮影:Yasuhiro JJ Tanabe)

全米オープン3日目を首位タイで終え、メジャー大会の最終日を生まれて初めて最終組で回ることになったウインダム・クラークは、こんな言葉を口にしていた。

「ボギーなら戦いは終わりにはならない。でもダブルボギー、トリプルボギーは戦いに幕を下ろす」

初日こそスコアが爆発的に伸びたものの、戦いの舞台となったロサンゼルスCCの難度は2日目以降は日に日に高まり、スコアを伸ばすことは至難のワザと化していった。サンデー・アフタヌーンの優勝争いとなれば、コースの難度にプレッシャーが加わり、スコアメイクはさらに難しくなる。

その戦いをいかにして勝ち抜くべきかと考えたとき、クラークが出した答えは「懸命にパーを拾い、たとえボギーを喫したときでも『ボギーならOK』と受け入れる」こと。それは、2019年にPGAツアーにデビューして以来、勝てそうで勝てないことを繰り返してきたクラークが、今年5月のウェルズ・ファーゴ選手権でついに初優勝を飾ったとき、身を持って感じ取ったメンタルコントロールのコツだった。

スコアを伸ばすことより、スコアを落とさないこと、落としたあとに立ち直ることを目指すべき。今週の全米オープンを戦っていたクラークは、その姿勢を初日から最終日まで一貫して維持していた。

だからこそ、最終日のクラーク最大の見せ場は、バーディを奪ったホールではなく、8番のボギーの直後の9番のパーセーブ。そして、15番、16番で2連続ボギーを喫した直後にパーで切り抜けた17番と18番の上がり2ホールだった。

「(勝利への)カギになったのは9番だった。2ボギーの後の17番、18番も、いいプレーができた。よく感情をコントロールできた。『僕にはできる。僕にはできる』と自分に言い聞かせながらプレーした。やっぱり、ボギーは僕を終わりにはしなかった」

ジュニア時代、大学時代の同期にあたるザンダー・シャウフェレらがPGAツアーで次々に勝利を重ねていく一方で、なかなか勝てなかったクラークは、自身のメンタル面に問題があることに気付いた。そして彼のメンタル強化に協力したのは、クラークのバッグを担ぐキャディのジョン・エリスだった。

エリスは元ツアープロで全米オープンにも2度出場した経験がある。クラークがオレゴン大学ゴルフ部に所属していた時代は副コーチを務め、19歳で最愛の母親を乳がんで失い、悲しみのどん底で戦意さえ失っていたクラークを当時から支えた。今では相棒キャディとメンタルコーチを兼任している。ピンチの場面では必ずエリスが「これをピンそばにつけてパットを沈めればいい。そうだろう?」と声を掛け、クラークが「イエス」と頷く場面は、この最終日にも何度もあった。

そんな2人の何よりのプレーの支えになっていたのは、クラークの長年の友で、このロサンゼルスCCのメンバーでもあるプレストン・フィールディング、通称「PJ」から事前に得ていた綿密で的確なアドバイスだった。今大会開幕前、クラークは一度だけPJにキャディ役を依頼して、このロサンゼルスCCをともに回ったそうだ。

かつてペンシルベニア大学ゴルフ部で活躍し、現在は投資顧問をしているPJからの助言は、いたるところで「なるほど」と思える効果を発揮。「PJと回った18ホールは27ホール、いや36ホール分の練習ラウンドに値するものだった」。

良きコーチ、良きキャディ、良き友に恵まれたことは、クラークを勝利に導いた大きな要因だったが、それは自身をゴルフの世界へ導いてくれた最愛の母親を亡くして悲しみに暮れ、さまざまな苦悩を乗り越えてきたクラークに神様が授けたプレゼントだったのではないだろうか。

「母は生前、『ビッグに戦いなさい』と言っていた。今日、母は天国から僕を眺めていたと思う。もしこの場に居たら、一緒に抱き合いながら、うれし泣きしていたと思う」

ボギーに屈せず、執拗にパーを拾い、メジャー4勝のローリー・マキロイを1打差で抑え込んで勝利したクラークは、母が願った通り、ビッグに戦い、ビッグな全米オープン・タイトルを手に入れた。
新たなメジャー・チャンピオン誕生の物語は、涙と笑顔に溢れ返った。

文/舩越園子(ゴルフジャーナリスト)

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