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フィギュアスケート・鍵山優真「1分1秒も無駄にしたくない」_CROSS DOCUMENTARYテキスト版

イタリア北部の長閑な町、ヴァレーゼ。この地のスケートリンクで、再出発の練習に明け暮れる一人のオリンピアンがいた。滑らかなスケーティングで、リンクに美しい弧を描くその人は、フィギュアスケーター・鍵山優真。

 

2022年、18歳で初出場した北京オリンピック。彼は世界各国のメダル候補を押しのけ、日本フィギュア史上最年少で銀メダルを獲得。宇野昌磨と共に、ポスト羽生結弦としての期待が集まった。

 

そんな矢先、酷使してきた脚が悲鳴を上げる。左足首疲労骨折・・・スケート人生初めての大ケガによって、出場を予定していた国際大会は全てキャンセルに。希望に満ちた栄光への道が閉ざされてしまう。跳びたいのに跳べないジレンマに苦しんだ日々。

 

「痛くて跳べない・・・どうしようもない・・・」

 

それでも鍵山は前を向いた。ピンチをチャンスに・・・開き直ることで冷静になり、自分に足りないものが見えてきた。

 

「(試合に出られない)悔しさを沢山残してきているので、1分1秒も無駄にしたくない。リベンジのつもりでやりたいと思っています」

 

ケガの前よりも成長した姿を見せて、再び高みを目指して跳びたい・・・こうして鍵山の険しい挑戦の日々が始まった。

 

 

鍵山がイタリア・ヴァレーゼを訪れたのは、2023年4月下旬。本格的に練習を再開してから僅か2ヵ月。リンクでは、まだ全力でジャンプの練習が出来ない。代わりに集中して取り組んでいたのが、片足滑走のスケートシューズのエッジで、氷上に図形を描くトレーニングだ。滑らかな線が描ければ、繊細で精密なスケーティングの証しになる。基礎に立ち返って、スケーティングを再確認するのが、この時期の鍵山の日課だった。

 

「ジャンプが飛べない今だからこそ、集中して取り組めています。自分自身をリセット出来たというか、苦手や得意を一回ゼロにした状態で、一から作り上げている感じです」

 

ケガでスケートから離れていた期間、鍵山は自分に足りないものは何かを考え続けていたという。そこで導き出したのは・・・

 

「スケーティングスキルと表現力を底上げすることで、総合的な強さと美しさを手に入れたいんです」

 

そう話してくれた彼は、練習を再開する。今度は、ランダムに流れる音楽に合わせて、自分で自由に振付をしていく。最初はその動きも遠慮気味だったらしい。だが、次第に変化が芽生えてきた。

 

「恥ずかしさもあって、あまり動けませんでした。でも色々な曲で自由に振りつけていくうちに、自分はこんな動きも出来るんだ!みたいに感じられて。表現に対して恥ずかしさが無くなったのは、自分でも大きな変化だと思ってます」

 

イタリアでのある日、鍵山は少し遠出して、ヴェローナの町を訪ねた。中世の面影を残す町並み。少し歩けば、[ロミオとジュリエット]など、有名な作品の舞台に遭遇できる。それを恐る恐るカメラに収め、ホッと満足気な表情を浮かべる鍵山。実のところ、これまで海外遠征に出ても、スケートリンクと宿泊先の往復ばかりで、ゆっくり観光することがあまりなかった。だからこの町歩きも、ちょっぴり怖かったらしい。

 

夕方には、オペラ鑑賞に出かけた。芸術に直に触れることで、感性は磨かれる。これもイタリアを再出発の地に選んだ理由の一つなのだ。

 

「普通に過ごしているだけでも、あらゆるところに芸術があって。そういうものを見て、吸収して、僕のプログラムが芸術作品みたいだなって思ってもらえたら嬉しいです」

 

 

8月に入ると鍵山は、技術指導を担う父親の正和コーチに加え、新たなコーチを迎えた。これまでも親交があり、何かにつけスケートの相談をしていた、イタリア人のカロリーナ・コストナー。かつて、それが勝敗を分けるようなジャンプ全盛の時代に、高い表現力と芸術性で勝負し、オリンピックメダリストに昇り詰めた名選手だ。

 

その彼女が、鍵山の振付をさらに磨くため、マンツーマンで付き添うのだ。ステップの練習では、さっそく新コーチからの指導が入る。

 

『もっと表情を強く!どんな動きの時も鋭く!目や体で表現して』

 

難しいステップに集中する余り、鍵山の表情が疎かになっていたようだ。さらに・・・

 

『ジャンプを降りた後、大きく足を使って、一連の流れを作ってみて』

 

難易度の高い技を成功させながら、その表現にも気を配る・・・ケガからの復活途上にある鍵山にとっては、タフな挑戦だ。

 

「ジャンプも表現も、100%を意識してやるっていうのが理想なので、4回転を入れて表現が犠牲になるっていうことは、本当に駄目だと思ってます。考えなきゃいけないことが沢山あって難しいんですけど、積み重ねしかないですよね」

 

技術を担当する父の正和コーチは、鍵山とコストナー新コーチとのやり取りを見守りながら、息子の成長に、可能性を感じている。

 

「目に見えて変わったのが判るんですよね。コストナーさんとの相性もいいでしょ?(息子には)飛び立って欲しい。巣立つっていうのかな」

 

鍵山自身はもちろん、コストナーコーチも、正和コーチも本気で臨む復活プロジェクト。時間はいくらあっても足りなかった。

 

 

12月のある日。鍵山は、シーズン前半の山場[全日本フィギュア選手権]に向けての最終調整を行っていた。未だ優勝経験の無いこの大会には、特別な思いがある。

 

「全日本(フィギュア)だけは、どれだけ他のグランプリシリーズとかを経験してきても、参考にならないくらい緊張します。簡単にいくとは思っていませんが、しっかり自分と戦って、理想の演技をして、優勝したいです。それがずっと僕の目標なんです」

 

コストナーコーチと共に、最後まで丁寧に演技を仕上げていく鍵山。左足の状態は悪くない。スケート人生最大のケガを乗り越え、全日本フィギュアの舞台でどんな演技を見せてくれるのか。決戦は1週間後。

 

そして迎えた、全日本フィギュアスケート選手権。

 

ショートプログラムはジャンプのミスがあり、3位。この日は逆転優勝を狙ってのフリーの演技に臨む。ケガからの復活を賭けたシーズン、鍵山がフリーの曲に選んだのは【Rain, in Your Black Eyes】。立ち上がりの静かな調べと共に、滑らかなスケーティングを披露する。

 

そして演技冒頭の4回転ジャンプ。ケガの影響を微塵も感じさせず、着氷後の流れまで完璧に決めて見せた。バイオリンの音で曲に勢いが出始めると、2本目の4回転ジャンプ。着氷でバランスを崩すも、堪え切る。心身共にレベルアップしているのだ。

 

すると、コストナーコーチと共に磨きをかけてきたスケーティングと表現力が、満員の観客を魅了する。難易度の高い技を、表情も豊かに、体中で表現していく。まだ完成を見たわけではない。だが、鍵山の理想の一端が、間違いなくそこにあった。最後のジャンプも決め、華麗なステップワークに流れていく。

 

持てるすべての力を出し切った、渾身のスケーティング。フィニッシュが決まると、無意識のガッツポーズが飛び出した。

 

結果は総合2位。ショートプログラム1位の宇野昌磨に逃げ切られ、優勝こそ逃したものの、取り組んできた表現力は高く評価された。そのフリーの順位は1位。3月の世界選手権代表の切符も掴んだ。自身が特別と語る、全日本フィギュアの舞台で、鍵山は完全復活を印象付けたのだ。

 

「フリーは集中していたので一種のゾーンに入っていたというか、気がついたら終わっていました。今シーズンは、試合に出られるだけでも嬉しかったけど、やれることは全部出し切ったと思います。でも、この大会で、もっと伸ばしていける部分を沢山見つけたので、これからは構成やクオリティをどんどん上げて、このプログラムの真骨頂というか、完成系を作り上げていきたいです」

 

 

後日、すでに世界選手権の準備に入っている鍵山を、ホームリンクに訪ねた。さらにプログラムの難易度を上げて挑むことを決め、新しい4回転ジャンプの習得に余念がない。

 

大きなケガで一時は翼を失った。だが、その辛く苦しい経験は、彼を一回りも二回りも成長させたに違いない。理想の滑りを追い求めて、鍵山優真は、リンクに大きな夢を描き続けていく。

 

 

TEXT/小此木聡(放送作家)

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