• HOME
  • 記事
  • その他
  • 憧れのチャンピオンズリーグの舞台へ。海外リーグを渡り歩く丸山龍也

憧れのチャンピオンズリーグの舞台へ。海外リーグを渡り歩く丸山龍也

【丸山龍也(サッカー)】
リトアニアプロサッカーチーム、FKタクラス・タウラゲ所属。1992年7月4日生(23歳)・174cm・68kg・神奈川県横浜市出身。

【前編】はこちら

異国の地でプロサッカー選手として生活

-そして鹿児島での山籠りの後、タイでのプロテストに挑戦されています。

悲壮感がありすぎて、今思うと自分を追い込みすぎていたという反省はあります。でもその時はわざと余裕がないようにしていましたし、そうしないといけないと思っていました。プレッシャーもたくさんかけ、「俺は高校も出ていないし、サッカーをやらないとただのフリーターだ。このままで終わっていいのか?」と気合を入れすぎれば、怪我もします。

タイでは田舎のクラブに行っていました。15人部屋に住んでいて、国籍の内訳もタイ人10人、アフリカ人4人、日本人1人といった具合です。雑魚寝でマットとその周囲だけが自分のエリアの、スーツケースも置けないような部屋です。

最後までテストは粘っていたのですが、結局怪我をしてしまいダメになってしまいます。ただ後日同じ代理人だった選手から、怪我をする日の朝、監督が獲りたいと言っていたという話を聞いて、驚きました。

丸山龍也

-でもその後無事にスリランカでプロになっています。

その頃には悟りを開いていました(笑)精神的にもすごくいい状態で、タイから帰国して、スリランカに渡るまでの半年間は人生で最もサッカーがうまくなった時期でした。今でもあの頃の感覚でサッカーしたいと思うくらいです。

スリランカには前にチームメイトだった選手経由で話をもらいました。給料はよくないですが、家も大きくて、お客さんもたくさん入りますし、ようやくプロになれた気がしました。ただプロになってみて、「たいしたことないな。俺はこれになりたかったのか?」と感じる部分もありました。

プロになった感覚を味わい始めたちょうどその頃、僕はスポーツ選手のドキュメンタリーを観ることにハマっていました。背の小さな日本人バスケットボール選手がNBAを目指して、下のリーグから挑戦をし続けている姿を見て、今後タイやインドでプレーしてからJリーグに入れば、代表にも呼ばれるかもしれない、といった緩い考えを持っている自分がちっぽけに感じました。このままではいけない!と思っていた頃に別媒体のインタビューがあったので、思い切って「CL(欧州チャンピオンズリーグ)に出る!」と言ったことで、僕の新しい人生が幕を開けてしまいました。言ってからすごいプレッシャーがかかっていて、カフェでアイスを食べている時も「俺、こんなことしていていいのかな…」と不安になることがあります(笑)

-CLに行くために欧州移籍ということでスリランカからリトアニアに渡ったのでしょうか。

そうです。でも今もアジアやアフリカのクラブからいい条件の話が来ることもあります。多少揺らぐこともありますが、CLに出ると言ったことで自分の方向性が定まったので、よかったと思っています。反面CL挑戦をわざわざ公言することを批判する声もありますが、逆に僕のレベルでここまでのプレッシャーを人からかけられることもなかなかないと思います。そうなると本田圭佑選手や香川真司選手などの有名選手は本当に大変ですね。

-いろいろ経験されている丸山さんも精神的に鍛えられているので、将来CLに出た時のプレッシャーに耐えうるメンタルを持っていそうですね。

またそれは話が違いますよ!うまくいかなかった試合の後は落ち込んで、移動のバスの中で一言も話さない日もあります。

でもちょっとしたことでは動じなくなったと思います。この前もリトアニア行きの航空券の日付が1日前だったことがありました。しかもそれを離陸時間の直前で初めて知ったんです。でも全然焦りませんでした。買うお金もないんですけどね(笑)夏休みシーズンなので、特に値段が高く、航空券は20万円すると言われました。一方僕の手持ちは3万円です。結局知り合いに頼んで、1週間後のチケットを10万円で用意してもらいました。それでも足りないのでイベント設営の日雇いの仕事で稼ぎ、親に少し借りて何とかなりました。

-普通は焦ります(笑)

飛行機に乗れなかったぐらいの困難は、もう自分では慣れました(笑)それに日付を間違えて乗り遅れたのはリトアニアに戻りたくなかったというのもあったと思います。リトアニア人は閉鎖的ですし、海外に行き日本人ひとりでサッカーをするのはやはり大変ですから。もし、行くことを心から楽しみにしていたら予定も何度も確認するはずです。あまり行きたくないから確認もちゃんとせず遅れてしまったわけで、航空券のお金を工面していた1週間でもう一度本当に自分はリトアニアに行きたいのかというのを考え直しました。最終的にはすっきりした気持ちでリトアニアに来られたのでよかったです。

丸山龍也

-今はリトアニアにいますが、どこの国なら自分のプレースタイルとフィットしそうだと思いますか。

特にはないですが、僕はいろいろな国を転々とするのは難しいと思います。今いるリトアニアを含むバルト三国は特に閉鎖的で、今までいろいろな国を見てきましたが初めて嫌だと感じています。でもせっかくこの国に来たのだから、一番はここで上がっていきたいと考えています。条件が多少良くても目に見える形でステップアップだと思える国でなければ行きません。CLに出るために何がいいのか、それだけを考えています。国が変わればそれだけ環境が変化して、サッカーをやるのが大変になりますし、リトアニアで上に上がれなければ他でも難しいでしょう。お金のことだけを考えたらアジアの方がいいですし、お客さんもたくさん入るのでよりプロらしい感覚を味わえるとは思いますが、結局また高いレベルを求めて、ヨーロッパに戻ってきてしまう気もするので、まずは今いるところで成長していきたいです。

-目指す夢に対するステップにおいて、プレー環境、生活環境、給与と全てが良い条件で揃えるのは本当に難しいですよね。

スポンサーを連れて来られるのであれば、強い国の1部チームに移籍できるという話が代理人経由であったりもします。実際、今プレーしているFKタウラスでも、当初ディレクターから「スポンサーを連れて来られないならお前とは契約しない」と言われました。当然そんなの僕にはいないので、ノーと言いました。そこから粘って契約することが出来ましたが、噂に聞いていたとおり、ヨーロッパはこういうシビアな部分もあるというのを学びました。ただ、そのこと自体に悪い印象はなく、逆にそういうものを連れて来られるのも実力のうちだと考えています。例えば、自分が社長になってビジネスをやり、お金を作れるならそういう方法も1つあるというということです。自分の会社でそのクラブのスポンサーをすればいいわけですからね。他の日本人選手も移籍の際にスポンサー費用として大金が動いていたりもするので、海外では移籍にお金の話が絡むのは当たり前の話です。もちろんプレーの実力があることは大前提です。実力がないのにお金で上のレベルでプレーしても、結局上手くならないですし、何の意味も無いですから。

-丸山さんは代理人を付けているのですか。

一応イタリア人の代理人を今は付けています。その代理人は給料から一定額を支払うタイプです。お金がない僕はそれでいいと思って付けたのですが、そうなると下のリーグで給料がいいところばかりの話がどうしても多くなってしまうんですよね。待遇が悪くても上を目指す僕の考えとギャップは少しあります。

丸山龍也

海外生活で味わった様々な苦悩

-海外選手とはどのようにコミュニケーションを取っているのでしょうか。

それはもう、ひたすらボディランゲージですよ!僕はtomorrowとyesterday、どちらも「明日」という意味だと思っていたくらい英語ができませんでしたから(笑)さすがにそれはまずいと思ったので、今勉強しています。

「グローバルアスリートプロジェクト」という川島永嗣選手が主宰している、海外に挑戦するアスリートの英語の勉強をサポートするという制度を使わせて頂き、英会話のレッスンをオンラインで行っています。これからしっかり勉強していきます!

丸山龍也

-リトアニア語の勉強はしなかったのでしょうか。

リトアニア語の勉強もしようと本屋に行ったのですが、どこにも本が置いてなくて、ネットでも売り切れていたりしました。あるのは大学の授業で使うような分厚い専門書のようなものしかなかったので、断念しました。

あとは僕の喜怒哀楽の激しさで周囲に分かってもらっているという感じです。僕は意思疎通ができていると勝手に思っていますが、実はコミュニケーションは取れていないのかもしれません(笑)

-今まで本当に様々な経験をされていますが、その中でも特に辛かったことを教えてください。

いろいろありすぎて絞れないです。詐欺にも遭っていますし、親指が外れて病院をたらい回しにされ、全身麻酔をかけたりもしています。結局その指は未だに曲がりません。タイでは犬に追いかけられてクロックスで1km以上逃げ回ったりもしていますし(笑)

-クロックスで1kmですか(笑)

でも基本的にはサッカーに関連して起きることなので、乗り越えることができました。そうなると先ほどの2回目の怪我がプレーを続ける上で一番辛かったと思います。サッカーをしたくても出来ない状況だったので…。

サッカー以外の部分でいくと結婚すると思っていた彼女に浮気されたことが一番きつかったです!もしかしたらそれが人生で最も辛かったかもしれません。その過程は本当に映画にできるくらいですよ。

-でも大変な経験をたくさんしているからこそ、若いうちから語れる人生になっているのだと思います。

だから最終的にはこれを自伝にして出版してベストセラーを記録したいです!そうやって報われてくれないと困ります(笑)

でも小学生の時にもらった1000円を落としたら大騒ぎですよね。結局大変さはその人が置かれていた当時の状況によって変動するものです。だから一概に僕がすごく大変だとは言えなくて、人それぞれだと思います。

-本当に大変な思いをしている人だからそう言えるのかもしれません。

“大変な人同盟”を組んで、お互いそういう話をしたらきっと面白いですね(笑)

関連記事