
輝きを放つアスリートたちは、どのようにして頂点を極め、そのときに何を感じ、そして何を手にしたのか—— 。
自身もプロゴルファーとして活躍している深堀圭一郎が、スポーツ界の元トップ選手や現役のトップ選手たちをゲストに招いて、アスリートたちの深層に迫る、BS無料放送『クロスオーバー』連動企画のテキスト版。
そこから垣間見えてくる、ゴルフにも通じるスポーツの神髄とは? 第7回目のゲストは松田丈志さん。
※敬称略
アナタならやれる、そんなコーチの言葉で奮起!高校時代は1日に30キロ泳ぐことも!
深堀:今回は競泳男子の日本代表としてオリンピックで3大会連続でメダルを獲得し、現在はコメンテーターとしてもご活躍されている松田丈志さんに、お話を伺います。松田さんが、水泳を好きになったきっかけは何だったのでしょうか。
松田:姉が水泳をしているのを見て「自分もやってみたい」という気持ちになったんです。始めてみると、初日から少し泳げたこともあって楽しいと感じました。先生にも「君は上手にできるね」といわれたのが今でも記憶に残っています。
深堀:そのときに褒めてくれた方が、後に子弟関係となる久世コーチですか?
松田:実は違うんです。当時はコーチが複数いて、久世コーチは選手コースを見ていたので、最初は初心者に教える方に褒められた感じです。
深堀:その後、久世コーチとの師弟関係はどれくらい続いたのでしょう?
松田:4歳のころから指導をしていただいて、引退するまでの約28年間になります。途中1年間ほど違うチームにいた時期もあるのですが、長く指導をしていただきました。
深堀:いいコーチに「どう出会うか」もアスリートにとっては重要ですよね。ちなみに、僕の師匠は父ですが松田さんのご両親は水泳に対して、どのようなスタンスでしたか?
松田:後ろから見守ってくれている感じでしたね。父はスイミングクラブへの送り迎えや大会時の動画撮影。母は美味しい食事を用意してくれました。
深堀:ご両親は、本当にサポートに徹しておられたんですね。子供のころは「褒めるられる」とすごくうれしいと思うのですが、当時のコーチの指導はどうでしたか?
松田:厳しかったですが、いいときは褒めてくれましたね。印象に残っているのが「アナタならやれる!」という言葉です。負けたときもこの言葉で「もう一度挑戦しよう」という気持ちになりました。
深堀:松田さんは地元の宮崎県延岡市で練習していたプールがビニールハウスだったのも有名ですね。
松田:当時は、今のように情報が入る時代ではなかったので、ビニールハウスのプールが当たり前だと思っていました。しかし、全国大会に出場するようになり「他の選手が1年中暖かいプールで泳いでいる」ことを知ったんです(笑)。僕らのプールは水だけでしたから、冬は水温が9度近くまで下がることも。そのため、冬場は走り込みなどのランニングが練習の中心でしたね。ほかにも、サーキットトレーニングを実践して体作りに励んだり。でも、この時期の走り込みが基礎体力を養ったと思います。
深堀:「走る」ことで、特に子供の頃は心肺機能が強くなりますよね。
松田:そうですね。心肺機能が伸びるのは、おおよそ中学生ぐらいまでといわれています。この時期に水泳だけに偏らず、体幹トレーニングもしていたのがよかったと思います。
深堀:トレーニングの一環という意味で、食事面はどうしていましたか?松田僕はかなり食べる方で、好き嫌いもなかったので、ある程度バランスよくとれていたと思います。今思えば牛乳は1日に2.5リットぐらい飲んでましたね。
深堀:喉が乾いたら牛乳という感じですね。背が高くなる効果などはありましたか?
松田:家族はみんな背が低くて、僕だけ高いので効果があったのかもしれません(笑)。ご飯も丼で3杯ぐらい食べていました。中学時代は、学校のお昼用と放課後の練習前用と2つの弁当を持参していましたから。
深堀:水泳選手は消費カロリーがものすごいですよね。
松田:僕の現役後半で5000キロカロリーぐらいでしたね。若いころは、さらに練習量が多かったので、6000~7000ぐらいの消費カロリーがあったと思います。今までで一番練習したのは高校生のころ。1日に30キロ(朝・昼・夜各10キロ)を泳いだこともあります。10キロ泳ぐのに約3時間程度かかるので、その日だけで9時間、前後を入れて10時間以上練習していました。1週間で120キロぐらい泳いだこともあります。
深堀:最近は「耐乳酸トレーニング」なども注目されていますよね。
松田:僕は大学生ぐらいから、そういった効率のいい科学的なトレーニングも取り入れてました。そこで、短時間に集中して乳酸を出すような動きを実践していたんです。乳酸を出した状態で体を動かし続けることで、乳酸に対する耐性が強くなりエネルギーとして再利用する効率も上がっていきますから。
深堀:なるほど、水泳選手の練習は本当にすごい。
一人で戦い敗れたアテネ五輪…そこからチーム力の大切さ学び4つのメダルを獲得!
深堀:オリンピックについてお伺いしていきます。初出場したオリンピックのアテネ五輪はどうでしたか?
松田:正直どうしたらいいか分かりませんでした。準備などのイメージが一切わかなかったんです。4月に代表が決まるのですが、8月の大会まで全部が手探りでしたね。どうやってオリンピックにコンディションのピークを持っていくのか、合宿期間中や選手村での過ごし方など、すべてが初体験でしたから。そのため、レースをするころには疲れていましたね。車の運転でたとえるなら、地図を一生懸命見ながら走っている感じです。
深堀:周囲にオリンピック出場の経験がある選手もいたと思うのですが。
松田:そこが当時の僕は下手でした。分からなければいろいろな人にアドバイスをもらえばよかったんですが、自分の中だけで処理しようとしたんです。当然ミーティングなどもあり、情報も入りましたが、感覚的には「一人で戦っていた」というのが、最初のオリンピックでした。ある意味ストイック過ぎて大事なレースで疲れてしまうというか。実際に、200mのバタフライではメダルを狙える位置にいたのですが、準決勝で敗退。自己ベストから2秒ぐらい遅れ、全然力を出し切れませんでしたから。実は失敗の理由はもうひとつ。メダルを獲りたい気持ちが強過ぎて4月の選考会から8月の大会までの間に泳ぎ方を少し変えたんです。それでバラバラな泳ぎに陥り、結果が出ませんでした。
深堀:アテネ五輪では、北島康介さんの金メダルも印象的でしたが。
松田:康介さんの二冠ですね。当時、僕はオリンピック前のミーティングで「チームで戦うんだ」とよくいわれていました。実際に、コミュニケーションを取る機会やチームの絆を深めるプログラムなども数多くありましたが、正直「そんなの意味ない」と思っていて。水泳は個人競技なので、チーム戦にピンこなかった。しかし、オリンピックでの戦いで、僕は結果を残せなかった。その辺から自分の中で気づき始めたんです。きっかけは、康介さんが金メダルを取った映像を帰国して見たとき。100m平泳ぎで自身初の金メダルを獲得してガッツポーズする映像が流れた後、応援するスタンドが映ったんです。その瞬間に「ドキッ」としましたね。日本代表チームの選手、コーチ、スタッフが涙を流し、抱き合って喜んでいた。まさに、自分に足りなかったのは「これかも」と感じました。やはり、勝つ選手は周りから応援されてサポートを自分の力に変える人なんです。次の北京五輪に向けて、まずは日本代表に毎年入り「そこを自分の居場所」にしていく。そしてチームメイトをはじめ、自分のコーチ以外のスタッフさんやトレーナーさん、栄養士さんらと数多くコミュニケーションを取り「自分を成長させていくポイント」を教えてもらおうと考えました。「松田は頑張ったから結果が出て欲しい、サポートしたい」と思われる選手になると決意しましたね。
深堀:松田さんはその後、北京、ロンドン、リオ五輪でメダルを獲得していますが、各々喜びや意義などに違いはあるのでしょうか?
松田:オリンピックではメダルを4つ獲得しましたが、北京五輪は初めだったので大満足の銅でした。しかし、ロンドン五輪のバタフライの銅は、金を狙って0.25秒及ばずに負けたのですごく悔しかった。そんな気持ちを救ってくれたのがリレーでした。4×100mのメドレーリレーで日本初の銀メダルを獲得したんです。ここでも「チームメイトに救われた」という思いが芽生えましたね。
深堀:ロンドン五輪では、松田さんはチームのキャプテンとしても活躍されましたが、他の選手への接し方などで変わった点はありましたか?
松田:まずは「自分の最初のオリンピックがなぜダメだったのか」など、失敗談を話すことから始めたんです。そして、過去にオリンピックに出場した代表選手にも経験を語ってもらいました。これは若い選手に学んで欲しいという気持ちからです。アテネで僕は一人で戦おうとして、周囲に知識が豊富な先輩がいるのに、その経験を共有できていなかった。そこで、キャプテンになったときは「一人で戦うわけではない」と、ミーティングで、何度もしつこく話しました。初代表の選手は、それが分からないですから。「個人競技」という感覚を変える努力をしたんです。そうしなければ僕のように疲れて、プレッシャーに負けてしまうことになりますから。
深堀:負ける痛みを知り、「どうすれば解決できるか」自らの成功体験から導き出せる松田さんがキャプテンに就任して、競泳の日本代表の活躍が生まれたんでしょうね。貴重なお話をありがとうございました。
▼松田丈志/まつだ・たけし
1984年6月23日生まれ、宮崎県出身。アテネ、北京、ロンドン、リオと4大会連続で五輪に出場。合計4つのメダルを獲得しているレジェンドスイマー。2016年に現役を引退。
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