マリオン、LJ、ライダー…曲者揃いの人材が集うUNLVの歴代ベストメンバーを選定<DUNKSHOOT>

ジョンソン(右)、マリオン(左)ら個性的なプレーヤーを輩出したUNLVのベストメンバーを選定。(C)Getty Images
1910年に創設され、NBA(1946年)より古い歴史を持つNCAA(全米大学体育協会)は、プロを目指す若手選手たちにとってNBA入りの“王道ルート”であり、時代を問わず何人ものスーパースターをNBAに送り出してきた。

では、カレッジとNBAで実績を残した選手を対象に、大学別に最強メンバーを選出した場合、どんな顔ぶれになるのか。『THE DIGEST』では、双方に精通する識者に依頼し、各大学のベストメンバーを選んでもらった。

今回は1990年に全米制覇を果たした古豪UNLV(ネバダ大ラスベガス校)編をお届け。NBAでスーパースターと呼べるほどの人材はいないが、知る人ぞ知る曲者揃いの布陣が出来上がった。
【ポイントガード】
レジー・セウス

1957年10月13日生。201cm・86kg
カレッジ成績:91試合、平均12.9点、4.3リバウンド、4.4アシスト
NBA成績:1026試合、平均18.5点、3.3リバウンド、6.3アシスト

UNLV出身者で最高のプレーメーカーにして、最強のスコアラー。それまで無名だった同校が強豪へのし上がるきっかけを作った選手で、2年時の77年には全米3位に貢献。78年のドラフト9位でシカゴ・ブルズに入団すると、シュートレンジの広さと多彩なムーブで、2年目には平均20点を超え、81、83年の2度オールスターにも出場した。

本質的には「PGもこなせるSG」だったが、次第に他の選手を生かす技術が向上。83−84シーズン途中からカンザスシティ(現サクラメント)・キングスへ移籍すると、85−86シーズンにはリーグ3位の平均9.6アシストを記録し、通算6453アシストは引退時点で歴代10位であった。

また、ブルズの後輩マイケル・ジョーダンが嫌っていた選手としても知られる。「自己中心的で、レフェリーに文句ばかり言っているヤツだから」とジョーダンは言っていたが、本当の理由はセウスが妻ファニータの“元カレ”だったため。今ではそのような確執を水に流し、友人同士となっているようだ。
【シューティングガード】
アイザイア・ライダー

1971年3月12日生。196cm・98kg
カレッジ成績:55試合、平均24.9点、7.1リバウンド、2.9アシスト
NBA成績:563試合、平均16.7点、3.8リバウンド、2.7アシスト

実績はSG候補のトップでも、実際にはあまりチームにいてほしくないタイプの選手でもある。90年代のUNLVには悪ガキ集団のイメージがあったが、その原因になったのがこのライダー。バスケットボールの才能は本物で、2つのジュニアカレッジを経てUNLVへ移ると、92−93シーズンは平均29.1点を荒稼ぎ。ドラフト5位で入団したミネソタ・ティンバーウルブズでも、恵まれた体格を生かして2年目には平均20.4点、94年のスラムダンク・コンテストでも王者となった。

もっとも素行の悪さもまた本物で、現役時代と引退後を合わせ逮捕歴30回以上。ポートランド・トレイルブレイザーズ時代は、ラシード・ウォーレスらとともに暴言や問題行動を繰り返し“ジェイル(監獄)ブレイザーズ”として悪名を馳せた。試合に臨む姿勢も疑問があり、練習は当然として試合にすらしばしば遅刻。これでは力が衰え始めると拾うチームがなくなったのは当たり前で、30歳でNBAから姿を消した。
【スモールフォワード】
ショーン・マリオン

1978年5月7日生。201cm・100kg
カレッジ成績:29試合、平均18.7点、9.3リバウンド、1.2アシスト
NBA成績:1163試合、平均15.2点、8.7リバウンド、1.9アシスト

「バスケットボールが今のようなスタイルになったことに、自分はいくらか貢献していたと思う」と語っている通り、現代のポジションレス・バスケットボールを先取りしたような存在。個性的な選手の少なくないUNLV出身者の中でも、その独特なプレースタイルは際立っている。

“マトリックス”というニックネームは、まるで重力に縛られていないかのような身体能力が由来で、身長201cmながらPGからセンターまですべてのポジションにマッチアップできた。大学には1年在学しただけで、99年ドラフト9位でフェニックス・サンズに入団。2002~06年に5年続けて平均19点&9リバウンド以上、守備では04年と07年にリーグ最多スティールをはじめ、年間100スティール&100ブロックを5度記録した。

素人のようなフォームでありながら要所で決まる3ポイントも重要な武器のひとつだった。4回オールスターに選ばれたサンズ時代はファイナルに進めず、ダラス・マーベリックス移籍後の2011年に優勝を味わっている。
【パワーフォワード】
ラリー・ジョンソン

1969年3月14日生。198cm・113kg
カレッジ成績:75試合、平均21.6点、11.2リバウンド、2.5アシスト
NBA成績:707試合、平均16.2点、7.5リバウンド、3.3アシスト

1990年、UNLVが学校史上唯一となるNCAAトーナメント制覇を果たしたときのエース。身長は198cmしかなくとも、鍛え上げられた体躯は強靭そのもので、何より身体能力が抜群だった。91年もトーナメント準決勝で敗れるまでシーズン全勝、2年連続のオールアメリカン選出に加え、ウッデン賞とネイスミス賞にも選ばれた。

同年のドラフト全体1位でシャーロット・ホーネッツに入団し、平均19.2点、11.0リバウンドで新人王を受賞。売り物のパワープレーだけでなくシュートタッチも柔らかく、老婆に扮して強烈なダンクを決めるコンバースのCM“グランママ”は大人気を博した。

94年の世界選手権(現ワールドカップ)“ドリームチーム2”のメンバーにも選ばれたが、次第に腰痛に悩まされるようになり、期待されたようなスーパースターにはなれず32歳で引退。ホーネッツ時代の後輩アロンゾ・モーニングとは仲が悪く、ニューヨーク・ニックス時代はマイアミ・ヒートに移っていたモーニングと大乱闘を演じた。
【センター】
アーメン・ギリアム

1964年5月18日生(2011年7月5日没)。206cm・104kg
カレッジ成績:107試合、平均17.3点、8.3リバウンド、0.5アシスト
NBA成績:929試合、平均13.7点、6.9リバウンド、1.2アシスト

センターでは現役のクリスチャン・ウッド(ヒューストン・ロケッツ)が活躍中だが、NBAではまだ実績不足のため、本来はPFのギリアムを選んだ。

大学3年時の87年に平均23.2点、9.3リバウンドの好成績を残し、NCAAトーナメントでもオールトーナメントチームに選出。同年のドラフト全体2位でサンズに入団し、平均14.8点、7.9リバウンドでオールルーキー1stチームに選ばれた。

体格を生かしたフィジカルなプレーで“ザ・ハンマー”と呼ばれたほか、フックシュートやターンアラウンド・ジャンパーも器用に決めたが、ディフェンスには熱心ではなかった。一方でケガには強く、2年目以降は10年続けて74試合以上に出場。ニュージャージー(現ブルックリン)・ネッツ在籍時の95−96シーズンには自己ベストの平均18.3点、9.1リバウンドを記録した。本名はアーモンで、キャリアの途中でアーメンに変えたのは、信心深い真面目な男にぴったりだったか。2011年にピックアップゲームのプレー中に倒れ、47歳で亡くなった。
【シックスマン】
ステイシー・オーグモン

1968年8月1日生。203cm・93kg
カレッジ成績:145試合、平均13.9点、6.9リバウンド、3.0アシスト
NBA成績:1001試合、平均8.0点、3.2リバウンド、1.6アシスト

大学2年で出場した88年のソウル五輪では銅メダルに終わったが、その悔しさを90年のNCAAトーナメント優勝で晴らす。翌91年のドラフト9位でアトランタ・ホークスに入団し、同期生のジョンソンともどもオールルーキー1stチームに選ばれた。
何とも形容し難いプレースタイルの持ち主で、ニックネームは“プラスティック・マン”。シュートはあまり上手くなかった代わり、絶妙なボディコントロールで守備をかいくぐってはインサイドへ入り込み、レイアップやダンクで得点を重ねた。92年3月にはNBA通算600万点となる記念のゴールもあげている。

攻撃以上に評価が高かったのは、UNLV時代に3年続けて最優秀守備選手賞に選ばれたディフェンス。どこからともなく現われては長いリーチでボールを奪い、「あいつは腕が3本以上ある」とまで言われた。引退後はUNLVに戻ってアシスタントコーチをしたのち、因縁の地である韓国のチームでもヘッドコーチを務めた。

文●出野哲也

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