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「鉄人」キム・ジンヒョンを支えるPFC-FD™”療法。武岡優斗(セルソース)×キム・ジンヒョン(C大阪)【PR】

Jリーグ 川崎フロンターレなどで活躍し、2020シーズン限りで現役を引退した武岡優斗(たけおか・ゆうと)さんは、セカンドキャリアの舞台に再生医療関連事業を展開するセルソース株式会社(以下、セルソース社)を選びました。元Jリーガーという経歴を活かし、複数のJリーグの選手の選手生命を伸ばす手助けとして、ご自身の経験を伝え、チームからの支援が得られるよう、横浜F・マリノスやサガン鳥栖など複数のJリーグとのメディカルパートナー契約締結に尽力しています。

セルソース社は、数多くのスポーツチームと提携し、選手をメディカル面からサポート。J1リーグ所属・セレッソ大阪のオフィシャルサプライヤーも務めています。

再生医療の一つである『PRP療法』とは、患者の血液から作成したPRP(多血小板血漿)を、患部に注射する治療法です。セルソース社は、抽出したPRPを独自の方法で、成長因子を濃縮し成分を高めた“PFC-FD™”へと加工。怪我の回復を促進する従来の効果だけでなく、室温での長期保存を可能にしたことで注目されています。

外国籍選手最多出場記録を持つセレッソ大阪のキム・ジンヒョン選手も、PFC-FD™を活用しているそうです。アスリートはどのように怪我と向き合っているのか、そして“PFC-FD™”の効果はいかほどなのか。キム・ジンヒョン選手と武岡さんの対談をお届けします。

二人が過ごした正反対のリハビリ生活

—お二人は、これまでどのような怪我を経験されましたか?

武岡優斗(以下、武岡):膝を右と左をそれぞれ2回ずつ、合計4回手術しています。復帰まで半年はかかりました。

キム・ジンヒョン選手(以下、ジンヒョン):僕もプロ2年目のときに、膝の半月板の手術を経験しました。怪我の程度が重く、縫い合わせるのが難しい状態だったので、切除せざるをえなかったです。監督から「早く復帰してほしい」とのリクエストもあり、1カ月半で一度ピッチに戻りました。しかし、状態が再び悪化してしまい…結局完全に復帰するまでは3カ月くらいかかりましたね。

武岡:プロになってすぐだったんですね。手術は初めてでしたか?

ジンヒョン:中学生のときに経験していて、大学2年生のときにも足首の靭帯を手術しています。

武岡:初めて手術をするときは怖くなかったですか?僕はすごく怖かったのを覚えています。

ジンヒョン:足首の手術をしたときは下半身麻酔だったので、記憶もあるし音も聞こえて怖かったです。自分の体で何が起こっているのだろう、と。ただ、意外と早く終わったのには驚きました。1時間くらいだったと思います。武岡さんは膝のどこを怪我されたんですか?

武岡:軟骨損傷ですね。膝のお皿の裏側だったので、動かすたびに痛かったです。手術では、穴を空けて血を抜いて…ジョギングができるまで3カ月かかりました。リハビリはいかがでしたか?

ジンヒョン:スムーズだったと思います。手術が終わって数日で強度の高いメニューをこなしました。学生時代とはリハビリの方法が全然違うので苦労しましたが、早く復帰したいという思いが強かったので頑張りました。ただ、一度復帰したあとに骨挫傷を発症してしまって。

武岡:僕は真逆ですね。数センチの段差でも足があがらなくて、しばらくは松葉づえをついて生活していました。

ジンヒョン:それじゃあ僕の怪我はたいしたことないですね(笑)。

武岡:いやいや、半月板の怪我は重症ですよ…(笑)。

キャリアを重ね、ケアへの意識が変わった

—怪我の前後でケアに対する意識は変わりましたか?

ジンヒョン:30歳になってから、少しずつ膝の調子を意識するようになりました。下半身に負担がかかりがちなので、アイシングをしたり、注射を打ったり、全体のバランスを整えるトレーニングを自主的に行なっています。若いときは回復も早いですし、多少の怪我では何も考えなかったです。

武岡:若手のときは気にしないですよね(笑)。

ジンヒョン:ちょっと痛くても、アイシングをすればいつの間にか治っているという感じでした。いま振り返ると、もう少ししっかりケアしておけばよかったなと思います。

あとは筋トレも見た目にこだわっていて、サッカーには必要のない筋肉を鍛えたりしていました。気づいたときには遅いんです。若いときからケアやトレーニングにこだわっていれば、今ももっと良いパフォーマンスを発揮できたのでは、と思いますね。

武岡:僕は痛くても我慢できるタイプでした。試合に出たい、ポジションを守りたいという気持ちから我慢を続け、最終的に手術をするにいたってしまいましたね。

ジンヒョン:僕も我慢してしまいますね。少しでも結果を残したいと考えてしまいます。

武岡:どの選手にも必ずある感情だと思います。フロンターレで一緒にプレーした大久保嘉人さんは、肉離れをした状態で試合に出ていました(笑)。

ジンヒョン:たしかセレッソにいたときも、肉離れをした状態で試合に出ようとしていました。「お腹に力を入れれば痛くない」と(笑)。さすがに無理が利かない年齢だったんでしょうね。結局、試合には出ませんでした。

ただ今の若手は少しでも痛みを感じたら無理をしないようにしていると思います。僕たちは“昭和の考え方”なのかもしれません(笑)。

武岡:まさかジンヒョン選手から“昭和の考え方”という言葉が出てくるとは思いませんでした(笑)。すっかり日本が染みついていますね。

ジンヒョン:時代とともに、考え方は変わってきていますよね。

武岡:「誰にも負けたくない」という思いは必ず必要です。ただ、ケアに対する意識は変えていかなければいけないと思います。

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