川崎・橘田健人。カタール行きを目指すフロンターレの若き心臓 #frontale

レジェンド・中村憲剛からのアドバイス

橘田は少し縮こまってしまっていた。だが、能力を知る人からすると、意識が変われば何も問題なく順応するどころか、間違いなくチームの中心になれる存在であることは理解していた。

その理解者の1人がレジェンドである中村憲剛だった。当時、橘田は自分が受けているプレッシャーについて、現役だった中村に打ち明けたことがあった。

「そういうのは気にするな。お前はお前なんだから。お前ができることをやれ。意識しすぎたら、お前の良さがなくなってしまうぞ」

シンプルだが橘田の持つ能力を認めているからこその言葉が返ってきた。彼には彼にしかできないことがある。天性のボールフィールディングと空間を技術と判断で操る才能。そして動きながら感覚を研ぎ澄ませて、判断を瞬時に変えて相手の間合いを打ち崩す才能。他の選手が欲しくても得られないものを持っている。中村の指摘から徐々に自分の持ち味を理解し、自信に変えていくことができたからこそ、自分らしさを全開に出している今に繋がっている。

当時は一時的に不安が強くなってしまっていたに過ぎなかった。今はその不安を抱えていたことが信じられないような躍動ぶりだ。やはり橘田は橘田だった。

目指すはカタールの地

思えば神村学園の時から自然と目が行く選手だった。当時、高校2年生の時に髙橋大悟というエースが注目を集めていた。その髙橋の後方には10番を背負って攻撃のリズムを作る橘田の姿があった。

ボールコントロールのうまさはもちろん、とにかく独特の間合いを持っていた。中盤で浮遊していたかと思えば、ボールが入った瞬間にピタリとファーストタッチで収めて、一気に前への推進力を発揮する。そしてボールを離すと、再び浮遊する。

浮遊と言っても、ただフラフラしているわけではない。首を振って周囲の情報を収集し、ベストなポジションとチャンスとなるスペースと味方の位置を把握してアラートな状態にしていたからこそ、ボールが入ると瞬間的な判断で精度の高いプレーができていた。

だが、高校卒業時の彼の評価は乏しかった。プロからは声が掛からず、大学も第一希望に入ることはできなかったが、関東大学リーグ1部の桐蔭横浜大に進むと、トップ下やインサイドハーフからボランチにコンバートされてその才能がさらに開花した。前目のポジションと比べて、周りを見る余裕が生まれたことで、彼の研ぎ澄まされた攻撃センスは磨かれ、同時に高い情報収集能力と処理能力は守備面でも生かされるようになった。

「試合中は『相手がこっち来たから、あっち行こう』という判断の積み重ねをしています。自分をマークしている選手や、ボールが入ったときに取りにきそうな選手を見て、その情報をもとにボールを受けてから相手の出方を見て判断をしています。先にコースを考えるのではなく、きたらアクション、きたらアクションの連続ですね」

これをさらりと言ってこなすこと自体が橘田の能力の凄まじさを表している。ドリブラーは自分の間合いを作りながら相手の間合いに入っていくが、橘田は相手の間合いに飛び込んでそのリアクションを見てから、自分のアクションを決めることができる。

修正力も高く、「味方のパスがズレた時は、相手が奪いにきたらファーストタッチで交わせるようにトラップを工夫します。自分のトラップが乱れたと感じたら、相手が取りに来て足を出した瞬間に、セカンドタッチを素早くして僕が置きたい場所にボールを置きます。セカンドタッチの速さは自分の得意とするところでもあります」とすらすらとハイレベルなことを口にする。

「自分の感覚に従順にプレーしています」という言葉も言い得て妙だ。この感覚をさらに研ぎ澄まし、時には言語化しながら、さらなる進化を遂げて欲しい。J1再開を迎え、より存在感が際立った時、もしかすると橘田はカタールの地に立っているかもしれない。

■プロフィール
安藤隆人(あんどう・たかひと)

1978年2月9日生まれ。岐阜県出身。大学卒業後、5年半の銀行員生活を経て、フリーサッカージャーナリストに転身。大学1年から全国各地に足を伸ばし、育成年代の取材活動をスタート。本田圭佑、岡崎慎司、香川真司、柴崎岳、南野拓実などを中学、高校時代から密着取材してきた。国内だけでなく、海外サッカーにも精力的に取材をし、これまで40カ国を訪問している。2013年~2014年には『週刊少年ジャンプ』で1年間連載を持った。著書は『走り続ける才能達 彼らと僕のサッカー人生』(実業之日本社)など。

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