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25年前に一目惚れ、勝利の女神の“スマイル”活力 T・スリロットが史上12人目デビュー戦V

愛妻のタナポーンさんとカップを掲げるサマヌーン・スリロット(提供:日本プロゴルフ協会)

<日本プロゴルフシニア選手権 最終日◇8日◇サミットゴルフクラブ(茨城県)◇7023ヤード・パー72>

国内シニア界にほほ笑みの国から“新星”が現れた。最終日は首位タイに3人が並び、3打差以内に11人がひしめく混戦となった。首位タイから出た54歳のサマヌーン・スリロット(タイ)が4バーディ・2ボギーの「70」で回り、トータル10アンダー。2位の山添昌良に1打差でツアー初優勝を遂げた。日本シニアツアー初参戦Vは2019年「金秀シニア」を制した手嶋多一以来、史上12人目の快挙となった。

メジャー仕様の難セッティングに厳しいピン位置、読みにくい風も吹き、全体的にスコアが伸びない展開で終盤まで混戦が続いた。最終組が16番を終えた時点でトータル8アンダーにスリロット、宮本勝昌、山添が並ぶ。「ここが勝負。ここでバーディが取れなければ勝てない」と17番パー4でスリロットにスイッチが入った。

ティショットをフェアウェイに置くと、残り110ヤードの2打目を2メートルに乗せて、狙い通りのバーディ。トータル9アンダーとすると、最終18番パー5でもガードバンカーからの3打目を2.5メートルに寄せた。

一つ前の組で回っていた山添がバーディとして、トータル9アンダーでホールアウトしていた。「これは絶対に入れる」と全集中。カップのど真ん中から沈めると、パターを放り出すと合掌ポーズ、タイでいう“ワイ”を何度も繰り返して喜びとともに応援してくれる人に向けて感謝を表した。

8歳でゴルフを始めたスリロットは、タイのナショナルチームに選ばれるなどアマチュア時代から頭角を現していた。プロ転向後はアジアンツアーで5勝を挙げ、2000年代前半には日本ツアーでも3年間シード選手として活躍。04年には平均パット数1位の勲章も手にしている。

その後は母国のツアーで活躍。50歳になった2019年には、日本シニアツアー参戦を目指して日本プロゴルフ協会のプロテストを受験し、見事に合格を果たして20年1月に入会した。しかし、コロナ渦の影響で日本に入国できず、出場権をかけた最終予選会に出場できなくなった。

ようやくコロナの影響が落ち着いた今年、予選会に挑戦することができた。しかし、3月に行われた最終予選は56位。通常のトーナメントは出場人数が少なく、予選会の20位前後までしか出場できない。出場人数が120人の今大会でようやくデビューの機会が訪れた。

「この試合は絶対に勝ちたかったんだ」。予選会の順位が低いため、今年はほかの試合に出場することはできない。来年出場するために、再び予選会に挑戦しなければならなかったところを、今大会での優勝で今季の残りと来年からの3年シード権をつかみとった。

絶対に勝ちたい試合にスリロットは“勝利の女神”を招聘(しょうへい)した。結婚歴22年のタナポーン夫人(47歳)をキャディとして起用。「タイのシニアの試合で帯同してもらったところ、優勝できたんだ。僕にとっては幸運の女神なんだ」と目を細めて話す。

現在、タイのパタヤ近郊でカフェを営むスリロット夫妻だが、二人の出会いは25年前にさかのぼる。タイのゴルフメディアに勤務していたタナポーンさんにスリロットが一目惚れ。タナポーンさんの上司に「手を出すなよ」と言われていたが、“勝負強さ”を発揮して見事に心を射止めたという。

この4日間は常に横にいた夫人は「ゴルフのアドバイスはなんにもしていません。スマイルオンリーです」とほほ笑む。そのスマイルパワーがスリロットの力となったのは間違いない。

「日本が大好き。食事もおいしいし、人も温かいし優しい」という親日家。タイのシニア界ではマークセン、タワン・ウィラチャンと並ぶシニア3強の一角といわれる。今季の参戦試合数は未定だが、「出られる試合には出たい。来年は日本ツアーがメインです。年間3~4勝はしたいね」とタイ人として3人目のシニア賞金王も視野に入れる。

パター巧者で得意クラブはサンドウェッジ。ドライバーの飛距離は300ヤードとまだまだ元気だ。今でもハードトレーニングを行っているといい、鋼のような前腕を見せてくれた。「もう54歳。これからは力が落ちていく一方なのでトレーニングをしっかりやらないと。3年ぐらいはがんばるよ。うなぎがおいしいし、日本のお米は最高」。今大会の優勝とともに、約20年ぶりに日本ツアーで戦えることへの喜びにあふれていた。

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