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話題にならない正力松太郎賞が真の「球界で最も名誉ある賞」になるために【豊浦彰太郎のベースボール一刀両断!】<SLUGGER>

今年も日本一に輝いたヤクルトの高津監督が受賞。過去10年で9度、同様に日本一チームの監督が受賞している。写真:産経新聞社
12月7日、2021年の正力松太郎賞が発表された。日本一に輝いたヤクルトの高津臣吾監督が選出されたが、ニュースへの露出は大谷翔平(エンジェルス)の特別賞選出の方がはるかに大きかった印象がある。

もちろん今年の大谷を上回る話題など、野球界の枠を超えても極めて稀なのだが、正力賞本体の報道量の少なさと同じくらい、選出結果がほとんど議論になっていないことも残念だった。他ならぬ大谷がア・リーグMVPになった時がそうだったように、権威ある賞というものは、事前の予想や結果の是非がメディアやファンの間で話題になるからだ。

正力賞は、「その年の日本プロ野球界の発展に大きく寄与した人物に贈られる」賞だ。1977年の創設後しばらくは、制定した読売新聞社が「球界で最も名誉ある賞」を自称していたが、今やこのフレーズは、読売系メディアも含めてほぼ使われなくなった。その理由は、まずはコンプライアンスだろう。「最も名誉ある」という傍証に欠ける表現は好ましくない。そして何よりも、この賞がそこまでのステイタスを得ていない“現実”がある。
同賞が、主催者が当初目論んだ権威を確立できなかった理由の一つに、ほぼ“日本一監督賞”化していることが挙げられる。受賞者のべ45人のうち、実に31人がその年に日本シリーズを制覇したチームの監督なのだ。高津監督の場合、前年まで2年連続最下位だったチームを日本一に押し上げたことが受賞の理由だという。だが、過去2年の成績が最下位でなかったとしても、おそらく受賞しただろう。もちろん、来年も日本一監督が受賞する確率はかなり高い。

日本一はすべての球団の目指すところで、それを成し遂げた監督が「最も球界への貢献度が高い」とする考えを否定したくはない。しかし、一方でこの賞が制定されて以降、三冠王はのべ7人誕生しているが、誰一人として受賞していない。これでは、ファンの賛同は得難いだろう。

ノーベル賞は02年に、いち会社員の田中耕一氏を化学賞に、16年にはミュージシャンのボブ・ディランを文学賞に選出した。権威ある賞の価値とは、公平かつ正当な選出と、新しい価値観を創出することのバランスにあると思うが、これまでの正力賞はそのどちらも不十分だと言わざるを得ない。
権威というものは第三者の評価の蓄積の結果であり、一朝一夕に得られるものではない。しかし、正力賞をプロデュースする人たちは、権威をまず自称してしまった。そしてその後も、周囲の評価を得られる選出を続ける努力を結果的に怠ってしまったのだ。そこに大きな問題点があった。

同賞の選出がマンネリ化している要因として、投票ではなく、少人数の選考委員による合議制を取っていることが挙げられる。この場合、影響力の強い人物の意向に全体が流されやすい。しかも、重鎮が座長を長年務めているため、前例を覆す意見は出しにくいはずだ。その結果、先例への追従が続いている。

「球界に最も貢献した」という漠とした概念をとことん議論するには、少人数委員による合議制のほうがベターとの考えもあるが、その場合は、現在のような現役時代に目覚ましい活躍を見せた元選手中心の編成より、野球の歴史的変遷や、国外の野球界の価値観にも見識のあるジャーナリストをメインとする方が適しているのではないか(そんなジャーナリストがいるかどうかは別だが)。
また、それが難しいなら、選出の定義の具体化なコンセンサスを求めず、選出委員個人の人数を思い切って増やし、元選手に加え、ジャーナリスト、現役の選手や監督、ファンの投票も可能にし、多様な価値観の最大公約数を選出する形としてはどうだろうか。

毎年、プロ野球界に最も大きな貢献を見せた人物を選び、“日本プロ野球の父”と呼ばれる正力松太郎の名を冠した賞を贈り称える。この発想は立派だが、現在の正力賞は袋小路に入り込んでいる。名実ともに「球界で最も名誉ある賞」になるためには、抜本的な改革が必要ではないか。

文●豊浦彰太郎

【著者プロフィール】
北米61球場を訪れ、北京、台湾、シドニー、メキシコ、ロンドンでもメジャーを観戦。ただし、会社勤めの悲しさで球宴とポストシーズンは未経験。好きな街はデトロイト、球場はドジャー・スタジアム、選手はレジー・ジャクソン。

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