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【2000~15ドラフト総検証:第4回】00年以降のドラフト総決算! 最も“評価”を高めたのはどの球団?<SLUGGER>

00年から16年までのすべてのドラフト指名選手のPVを合算。その結果、大きくプラスを稼いだのは…。写真:産経新聞社
第4回は「2000~15年ドラフト球団別総決算」がテーマ。期間中のドラフトで指名した選手の全通算プレーヤーズ・バリュー(PV)の合計を高い順に並べ、各チームがどれだけ成功を収めたかを総ざらいする。

なお、第1回で述べたように、あくまでPVはリーグ平均の選手と比較した数字だ。マイナスだからといって、必ずしもチームに損失をもたらしたことを意味しない。そのため、PVがマイナスの選手は一律「0」扱いで集計している。

1位:巨人(合計PV2097.7)

2000~15年のドラフト指名選手通算PV1位は阿部慎之助(2000年1位、664.3)で、2位は坂本勇人(06年高校生ドラフト1位、533.5)。となれば、最も成功した球団が巨人になるのも必然だ。合計PVは唯一の2000点台で、この2人以外にも1年浪人して入団した菅野智之(12年1位)が221.0、14年1位の岡本和真も87.6で同期のトップを走っている。

2位:西武(1923.0)

00年以降は1980~90年代のような圧倒的な強さはなくなったが、ドラフトでは好結果を出し続けている。PV100以上の選手は中島裕之(2000年5位、在籍時のPV313.8)、中村剛也(01年2位、275.0)、浅村栄斗(08年3位、175.9)、秋山翔吾(10年3位、225.3)、森友哉(13年1位、242.2)、山川穂高(13年2位、106.7)と6人も輩出。中島、浅村、秋山がFAで退団していなければ、総PVは巨人を上回っていたかもしれない。

3位:ソフトバンク(1575.3)

自由枠・希望枠などのいわゆる逆指名制度が存在していた時代には、豊富な資金力を背景として目玉級の選手を2位や3位で獲得する荒業も見せていた。必ずしもすべてが上手く行ったわけではないが、01年は杉内友哉(158.7)を3位で獲得。翌02年自由枠の和田毅(149.7)、05年希望枠の松田宣浩(130.5)などやはり成功例が多い。中でも一番の大当たりは、もちろん10年2位の柳田悠岐(446.0)だ。
4位:広島(1337.1)

FA選手は獲得しない方針を掲げるだけに、ドラフトはチーム作りの生命線。丸佳浩(07年高校3位/234.9)を筆頭に、菊池涼介(11年2位/90.0)、鈴木誠也(12年2位/313.2)、田中広輔(13年3位/114.2)と野手のコアプレーヤーを着実に指名し、16~18年にはリーグ3連覇も果たした。

投手でも野村祐輔(11年1位/9.1)、大瀬良大地(13年1位/41.4)ら上位指名の選手たちが順当に活躍。中でも06年の高校ドラフトでは田中将大(駒大苫小牧高→楽天)や堂上直倫(愛工大名電高→中日)らに人気が集まる中、PL学園の前田健太(186.4)を一本釣りしたのが大ファインプレーとなった。

5位:日本ハム(1316.4)

MLBでも一流選手に成長したダルビッシュ有(04年1位)と大谷翔平(12年1位)がいるように、指名した選手のスケールの大きさは巨人や西武にひけをとらない。「ドラフト上手」の評判も伊達ではなく、PVが0だった年は01年が最後で、02年以降はいずれもプラスとなっている。1位の菅野智之に入団拒否された11年も、4位で近藤健介(174.5)、6位で上沢直之(43.7)を指名した結果、同年のドラフトで一番の勝ち組になった。

6位:ヤクルト(1070.3)

山田哲人(10年1位、495.7)と青木宣親(03年4位、317.5)の大当たりが効いて6位に食い込んだ。対象期間外だが、17年1位の村上宗隆もすでに93.4に達している。その割にドラフト下手の印象があり、実際にPVが0だった年が5度もある。これは12球団で最も多く、このバランスの悪さがチーム成績が安定しない要因にもなっている。
7位:DeNA(932.2)

65年の第1回から現在までの総PVを計算すると、楽天を除く全球団ワーストの数字となるが、00~15年に限れば7位まで上昇。内川聖一(00年1位/69.1)をはじめ、村田修一(02年自由枠/151.2)、梶谷隆幸(06年高校3位/132.4)、筒香嘉智(09年1位/254.9)、宮﨑敏郎(12年6位/100.9)と、数年おきに好選手を輩出している。投手では山崎康晃(14年1位)の39.5が最多。

8位:阪神(849.1)

03年に自由枠で獲得した鳥谷敬が通算PV319.1と大成功。チーム単位でPV100以上を記録したのはこの年だけだが、ほぼ毎年何らかの形で戦力になった選手を指名できており、外れだったと言えるのは合計10未満に終わった07、11、14年くらい。

09年6位の原口文仁(32.9)、15年5位の青柳晃洋(46.0)のように下位から這い上がった選手もいるが、スーパースター級まで成長した選手が少ないのが印象の弱さにつながっている。

9位:オリックス(738.4)

06~14年の9年間に限ると合計は105.2しかなく、長期低迷の要因になっていた。06年からは3年続けて1位指名した高校生が一軍にすら上がれないという悲惨な結果に。04年自由枠の金子千尋(139.8)らの頑張りも無駄になった。

だが、15年に1位で吉田正尚(195.7)、そして10位で杉本裕太郎(33.5)を指名したことが、21年の優勝につながった。対象年度がもう1年ずれていれば、16年1位の山岡泰輔(8.4)と4位の山本由伸(100.9)も入るため、もっと順位は上がっていただろう。
10位:中日(678.6)

大外れの年が少なく、PVが0だった年は08年のみ。落合博満GM(当時)が極端な即戦力ドラフトを展開し、ファンからの評判がすこぶる悪い14年も1.7はあった。ただし大当たりもほとんどなく、100以上の年は吉見一起(希望枠、90.4)と平田良介(高校1位、84.7)を指名した05年だけ。

とくに00年代は1位指名した選手が怪我などでほぼ総崩れで、現在の低迷を招く原因になっている。一方で、10年代に入ると大野雄大(10年1位、82.2)らが入団したことにより、チーム状態も少しずつ上向いてきた。

11位:ロッテ(675.1)

12位の楽天は04年に新規参入したため、事実上の最下位。対象期間中に100以上だった選手は、02年1位の西岡剛(152.5)のみ。11年も鈴木大地(3位/77.7)と益田直也(4位/49.3)の合計で100を超えたが、0に終わった年も4度ある。

03年6位の成瀬善久(59.8)、06年大学・社会人ドラフト7位の角中勝也(69.1)、08年育成5位の西野勇士(19.8)のように、下位指名の選手が大成するケースもいくつかあるが、上位でスーパースター級の選手を輩出できなかったことがこの順位につながった。

12位:楽天(531.7)

他球団に比べて歴史が浅いこともあって最下位に甘んじたが、1年あたりの平均PV44.3は中日やロッテを上回る。06年は田中将大(182.0)を4球団、13年も松井裕樹(71.9)を5球団の抽選で引き当てたようにクジ運も強い。

ただし、07~10年は4年続けて合計PVが0、100を超えた年も2度しかなく、強運の割に成果はそれほど上がっていない。なお、実質的な前身球団と言えなくもない近鉄の2000~03年の合計は28.2だった。

文●出野哲也

【著者プロフィール】
いでの・てつや。1970年生まれ。『スラッガー』で「ダークサイドMLB——“裏歴史の主人公たち”」を連載中。NBA専門誌『ダンクシュート』にも寄稿。著書に『メジャー・リーグ球団史』『プロ野球「ドラフト」総検証1965−』(いずれも言視舎)。

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