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下村東美(サッカー解説者)の英語学習法。「最も勉強したのは現役時代でした」

現役時代”こそ”勉強量は多かった

プロになってからも勉強はしていました。英会話の講座にも通っていたんですよ。僕が大学を卒業してセレッソ大阪に入ったのは2003年。そこから2006年まではセレッソに所属していたのですが、その時期に英会話の学校がJリーグのスポンサーになっていて、1チームあたり5,6人は無料受講できるという素晴らしい制度があったんです。「これは絶対に勉強するしかないな」と思い、申請をして3年間通いました。自分としてはもっと英語のレベルを上げたいと思っていましたし、時間を有効に使いたいという思いも大きかったので、英会話の講座に通うことに迷いはありませんでした。この3年間は自分にとってもかなり大きかったですね。

ちなみに今シーズンから京都サンガS.C.の監督になった布部(陽功)さんも一緒に英会話に通っていたんですよ。クラブハウスでよく英会話について話もしました。『最近通ってる?』みたいな感じで、お互いに話をしながら刺激し合っていました。

基本的に何か特別な用事が無い限りは週に1、2回は行っていました。最初は生徒が3、4人のグループで、そこに先生を交えるという形でしたが、先生と1対1でもレッスンができると言われたので、途中からは1対1でのレッスンに切り替えました。その時はかなり濃い時間を過ごせていたと思います。

それ以外では、チーム内に英語を喋る選手や外国人の選手が1年に1人から2人はいたので、日常的に英語をしゃべる機会を持てていたのは非常に大きかったと思います。

普通に過ごしていたら日常的に英語をしゃべるという機会はなかなかないので、ここぞとばかりに外国人選手と喋っていましたね。練習中、練習前後、移動の際の飛行機やバスの中などはかなり外国人選手と話していました。例えば、今でも連絡を取り合っていますが、千葉在籍時にはエディ・ボスナーと非常に仲良くしていましたし、英語以外でもセレッソ在籍時の2005年には、ブルーノ・クアドロス、ファビーニョ、ゼ・カルロスという3人のブラジル人がいました。3人もブラジル人が来たからこれはもうポルトガル語をやるしかないと思いましたね(笑)。ブルーノには「俺が日本語教えるからブルーノはポルトガル語を俺に教えてよ」と言って、キャンプのときにノートを持っていって色々と教え合いました。それでポルトガル語も簡単な表現はどうにか喋れるようにはなって、特に試合中のサッカー用語を重点的に覚えました。振り返ってみると外国人選手の存在というのは非常に大きかったと思います。喋る機会を逃さず、ゴリ押しでいったことが良かったかもしれません。

レアジョブ英会話
<**後編へ続く>**

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