「先の先を見据えた」新しいクラブ。“ジュニアユース年代”の形とは
2017年10月、文京区からJリーグ入りを目指す東京ユナイテッドと文京区で20年以上にわたり育成年代の地域密着クラブチームとして活動してきソレイユFCがパートナーシップを締結した。
「日本の育成年代の発展に寄与すべく、子供たちの未来を支援するクラブ創設を目指す」と公式のリリースでは述べられているが、特筆すべきはただ“サッカーを教える”だけでなく、練習前に学習時間を設けることだ。そこでは東京ユナイテッドの福田雅氏が監督を務める東京大学ア式蹴球部の学生がサポートを行うという。「文武融合」この新たなクラブの形は、どのようにして成り立ったのか。そしてその先に見据えるものとは?
ソレイユFCの代表であり、新たに立ち上がる東京ユナイテッド・ソレイユFCの代表/監督を務める小山善史氏と東京ユナイテッドの福田氏に話を伺った。
サッカーの文化が無い街、文京区。
ーまず、この取組に至るまでの背景を教えて頂けますか?
福田:私は元々、母校である東大サッカー部が地元に応援されるチームになりたい、と考えていました。東大は日本の最高学府であり、日本の教育システムの頂点にある。だからこそ、ここから何かを発信していくことで、日本のスポーツ文化に一石を投じることができるだろうと。そういう考えで動いてきました。これは東京ユナイテッドの活動にも繋がるのですが、その過程で文京区における東大サッカー部地域密着プロジェクトというものも始めました。そこで、この地域で長年指導者として活動し、取りまとめも行っている小山さんに出会い、共に文京区のサッカーを盛り上げるための取り組みができないかとアプローチをしたんです。文京区長杯という大会のお手伝いを東大サッカー部の部員が行うところから連携が始まりました。
「日本のスポーツ文化を変えるためには、まずは日本のサッカーの産業化という意味で東京のど真ん中にビッククラブが必要だし、教育という観点で言ったら東大というものを巻き込まないといけない。そして、この両方を同時達成するためにはこの文京区でクラブを作るということに意味がある」
と私はずっと思っており、それを小山さんに伝えました。その中で「一緒にやろう」と。小山さんは文京区少年サッカー連盟の代表も務めていらっしゃるのですが、文京区の少年団に対して、「福田という人間がいて、こんなクラブやってるからみんな応援してあげよう」と伝えてくれたんです。また、文京区に唯一のジュニアユースチームを運営されていたのが小山さんなんですよ。
小山:文京区は元々少年野球が盛んな街で、サッカーをしている子どもはほとんどいなかった。少年時代を振り返ると、クラスには私含めて2人だけが興味を持っているという様な状況でしたね。その時代のコンプレックスが「文京区にクラブチームを」というクラブ作りの原動力になったという感覚はあります。また当時クラブを作る過程において
文京区の学校に「グラウンドを貸してください」という交渉をするところからスタートしたのですが、全て断られました。そこから四苦八苦、何とか立ち上がったものの、ジュニア年代とは異なりジュニアユースの活動は本当に苦労しました。例えば試合成立時に11人揃わないということもあり…大変な日々でしたね。学校行事や定期試験などで休む生徒がどうしてもいるんです。そこで、1学年に20人ぐらいの選手がいないと回すことはできないなと思いました。ただ、その人数で活動するための”場所”もない。文京区という地域柄、サッカーだけに特化してやって行くというのは難しく、サッカーで高みを目指す子たちはほとんどが区外に出ていくという現状もありました。東京の別の場所にかぎらず、千葉や神奈川にも出ていってしまうんです。そういった状況から試行錯誤して、ソレイユというクラブチームを作り、2006年から正式に文京区唯一の「クラブユース連盟加盟クラブ」となったのです。
そこから十数年・・・福田さんのクラブチームに対する理念に共感し、一緒にやることになったわけです。
-ジュニアユースが元々存在した中、10年ほど経過してその名前が東京ユナイテッドになると。
小山:現状としてはソレイユFCという主体は変わらないのですが、東京ユナイテッドと融合することによってできる化学反応はあると思います。東京ユナイテッドにパッと移行する形になると、やはり今まで築き上げてきたものがゼロになってしまう。だから最初はソレイユの中に東京ユナイテッドをうまく融合させたい。そこでどうなるかをしっかり見ていきたいな、と。東京ユナイテッドがJのチームになってからこういう連携をするのは難しいと思うので、徐々に進められればと思っております。そのためには相互理解が必要になりますので、提携という形でスタートするのです。
-将来的に東京ユナイテッドがJに行ったとき、しっかりとした下部組織になるのですね。
福田:私は前々から思っているのですが、下部組織を作ると言うと、“サッカーが上手くなるだけ”のチームを作りがちだなと。そこに対して少し疑問を持っていました。「その集団の中でサッカーがうまくない子はどこへ行くの?」と。
例えば僕自身、暁星高校の部活で1回も公式戦に出られませんでしたが、今こうやってクラブを運営し、日本のサッカー界の中枢に身を置いている現状があります。それは、自分という人間をサッカー界が受け入れてくれたからです。将来、日本サッカー界を牽引する人材を多く育てていきたいし、“サッカーを通じた教育”という側面を持って活動をしていきたいという思いがあります。とはいえ、下手な選手だけになってしまうのもいけない。サッカーでは勝利を追求しなければいけませんから。
“アスリートマインド”を持ったビジネスマン
-具体的にどういった人材を育てていこうと?
福田:これからはアスリートマインドを持ったビジネスマン、あるいはビジネスマインドを持ったアスリートが必要だと考えており、そういう人間を育てなきゃいけないと思っています。そして、どちらを育てるのが簡単かと言ったらアスリートマインドを持ったビジネスマンの方かなと。
アスリートマインドを持った人を社会に輩出し、彼らがアスリートというものに敬意を持ってアスリート文化、スポーツ文化を牽引して行く役割を担っていけば日本におけるスポーツの文化は変わっていくと思いますし、そういう人材を育てたいんです。もっと言えば将来の日本サッカー協会の会長やJリーグのチェアマンを育てたい。ただ、どうやったらそのポストにつけるかは僕もわかりません。ただでさえサッカー界のキャリアパスは表に出ていないし、どこにも構築されていないんです。どういったステップを踏めばサッカー界のトップになれるかがわからない。ですが、少なくとも自分が日本サッカー界の中心に近い場所で働くことで、「こういう人材がサッカー界を背負って行ったら変わるんだろうな」と感じて貰える確信はあります。
-確かに、スポーツ界でのキャリアパスというのは見えにくいですよね。
福田:スポーツ界にいる多くの人が暗中模索の中で生きてきて、運と縁でそのポストにつくということが多いんです。全員が全員、志を持って何かやろうとしてきてるわけではないのが実際のところだと思います。とはいえ、志だけで立派な企業人としてやっていけるかというと疑問符がつく。一方で、どこの世界、どこの社会に出しても役に立てる実力を持つ人もたくさんいます。そういった様々な人物がこの業界には混在しています。ただ、進むべきステップや道というものが可視化されて、志を持った優秀な人材が入ってくることでスポーツ界も変わっていくと僕は考えています。今現在ある問題としては、スポーツ界で働いてく中で“先が見えなすぎる”という点と、収入が低いという点。キャリアパスが明確でかつ経済的にもしっかりとした生活が営めるレベルがスポーツ界で用意されれば、人材は集まってきます。ただ、その土壌が無いから人が集まらない。だからそういう人材を育てないといけないんですよね。僕自身、今になってわかるのですが、若い時からこういうことを意識して行動に移せる人材がいないといけない。例えば中高年代の選手で「プロにはなれないけどサッカー界の役に立ちたい!」という志を持った子が1人でも2人でも輩出されていけば、チームとしての価値があると思うんです。そして、そういう子たちを養成するチームを作りたいなと思っています。
-福田さんの中でそういった思いは昔からあり、今回の取り組みはやはり長らくやりたいと思っていたことなのですね。
福田:そうです。小学生にはこちらの投げる言葉もあまり通じない一方で、に意外な一言が心に残ってたりするのですが、そこの教育という点は小山さんが非常に得意とするもの。言葉のキャッチボールをしながら咀嚼して自分なりに判断を下せる能力がつく年齢は15歳から18歳だと考えているのですが、その年代にもしっかりとマインドを教えたい。ジュニアユースとユースというところでしっかり育て上げていきたいなと。
小山:はい。私は小さい子供達が大好きで「大きな夢を抱く姿」が好きなんですよ。これまでの指導者人生の中で感じたのは、教えるこちら側がブレないで「こういう意思でやってるんだよ」「目の前にいる俺はこういう思いを持ってやってるんだよ」というスタンスを貫くことはすごく重要だということです。こういった形でブレずに選手を育成していければなと。その中で子どもたちが成長と同時に、様々な選択肢を持ち、色んな意味で判断していく力もついてくると考えています。
<後編へ続く>
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