
【ロービジョンフットサル】岩田朋之 TOMOYUKI IWATA Vol.3「本田圭佑が命を救ってくれた」
26歳で突然、目が見えづらくなった。夢に向かって走り出した矢先に、真っ暗な闇へ突き落とされた。だが、希望の光となったのはスポーツだった。
ロービジョンフットサル選手として活躍してきた岩田朋之は、視覚障がい者になっても自分の可能性を信じ、前へ進み続けている。
「SmartSportsNews」の独占インタビューを3回に分けてお届けする。
本田圭佑の言葉が心の支え
――岩田さんは本田圭佑選手に対して特別な思い入れがあるとお聞きましたが、どんなきっかけがあったんですか?
2009年のオランダと日本の親善試合でゴールまでのセットプレーになったときに、本田選手が中村俊輔選手に蹴らせてくれというのいちサポーターとして見ていたときに面白いなと思ったんですよね。僕は1998年のフランス大会から中田英寿選手を自分のアイドルとして応援していて、ドイツ大会で中田選手が引退をしてから自分が気持ちを入れて応援できる選手がいなくなっちゃったなと思っていたんです。そんなときに出てきたのが本田選手でした。自分を強烈に主張する姿が面白いなと思って見ていました。
――2010年の南アフリカ大会はまだ病気が発症する前でちゃんと観られていたわけですよね?
そうですね。デンマーク戦のフリーキックもちゃんと見ていました。それこそ目に焼きついていますよね。パブリックビューイングに行って楽しんでいましたし、そこで出会ったフランス人の友達とかとフットサルをしたりとか、ようやく思い切り試しめた大会でもあってそういう思い出のあるワールドカップの一つですね。
――そのときは本田選手のどういうところに魅力を感じていました?
やっぱり有言実行しているところとか、成り上がっていく様とか。大学で留年を繰り返している自分と比べて、本当に輝いて見えたというか。かっこいいなと思っていました。年齢も同年代なんですよね。
――実際に見に行った思い出とかはありますか?
2012年6月3日の埼玉スタジアムでやったW杯最終予選のオマーン戦を観に行ったんですよね。3−0で大勝して本田選手が先制点入れた試合ですね。その試合があった一月後には病気の自覚症状が出てきたんですね。仕事をするのも難しくて、家にいることが多かったんですね。行くとしたら病院くらいでした。それで雑誌も読めないし、テレビもあんまり見られないし、ラジオくらいしかなかったんですよ。それでテレビに顔を近づけて、録画していた本田選手の「プロフェッショナル 仕事の流儀」をひたすら観ていました。それで「俺ならできる」ってまるで呪文のように繰り返していて、「信じることは希望そのもので、人は信じられなくなったらその希望がなくなる」と、それをもう洗脳されるかのように繰り返して観ていましたね(笑)。ツイッターとかで本田圭佑の名言BOTみたいなアカウントのツイートをよくリツイートしていたりして、本当に本田選手の言葉を支えにしていました。