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【ロービジョンフットサル】岩田朋之 TOMOYUKI IWATA Vol.2「障がいがあっても、胸を張って生きる」

26歳で突然、目が見えづらくなった。夢に向かって走り出した矢先に、真っ暗な闇へ突き落とされた。だが、希望の光となったのはスポーツだった。
ロービジョンフットサル選手として活躍してきた岩田朋之は、視覚障がい者になっても自分の可能性を信じ、前へ進み続けている。
「SmartSportsNews」の独占インタビューを3回に分けてお届けする。

原動力となった子どもとの出会い

――2014年から日本代表のメンバーになって、2015年には代表のキャプテンを務めるようになって、立場が変わっていくにつれて競技に対するものだったり、障がい者に対する思いに変化はありました?

まずは家族に対しての変化でしたね。日本代表になって日の丸を背負って、世界大会に出場して君が代を聞くわけですよね。その世界大会が韓国で行われて、日本から近かったので両親が見に来てくれたんですよ。それで自分の成長した姿を見てもらえて、ちゃんと自分はなんとか生きていけるんだという姿を見せることができたかなと思いましたね。

――とくにお母様に見せられたのは大きなことだったのでしょうね。

やっぱり病気になったときに母親がすごく落ち込んでしまって、人と会うことが難しいくらいだったんですね。そこから韓国に行って世界大会でロービジョンということをなにも気にせずに応援できるという状態になるまで本当に時間がかかったんです。でもそうやって母親がそこまで立ち直ることができたのもサッカーの力というのは大きかったと思います。一つ肩書きができたことで、迷惑をかけてきた両親にとって少しでも自慢できる息子になれたらいいなって思いましたね。

――そういうことを経て、同じ障がいを持つ子たちへの思いが芽生えたのはいつ頃ですか?

その2015年の韓国の世界大会が終わったあとに、ブラインドサッカー協会主催のキッズトレーニングという子どもたちを対象にしたブラインドサッカーとロービジョンフットサルの体験教室があったんですね。そこで日本代表のキャプテンとして保護者の方々の前でメッセージを伝えたり、一緒にボールを蹴ったりすることで自覚というか。自分が知っているその頃のサッカーの日本代表で言えば長谷部誠選手とか、本田圭佑選手とか、そういう人たちです。そこに自分は近づけているのかなと思ったんですね。同じ日本代表でいいのかと自問自答しました。

――日本代表というのをより意識する瞬間だったわけですね。

そういった中で出会った一人の子どもがいて、その日にペアを組んだんですね。活動が始まる前に何気なく「サッカーは好き?」と聞いたらその日が初めてだと言うんです。それでその子の足元を見ると他の子は運動靴でしたけど、その子は上履きでした。それで本当に初めてなんだなと。学校の授業や習い事でも運動はしていないみたいで、でも学校自体は一般の学校に通っているみたいなんです。それでとりあえず1時間楽しくサッカーしようと、一緒にボールを蹴ったんです。それで「どうだった?」とその子に聞いたらもじもじして照れながら「僕は幸せ者だ」と言うんですよ。

――そんなに喜んでくれたんですね。

それを聞いたときに僕の視界は白くもやもやとしているんですけど、その向こうからパッと明るくなるようなキラキラと光るものを感じたんですよね。それが僕は胸にグッときて「なんで?」と聞いたら「僕は日本代表のキャプテンを独り占めできたから。僕にもサッカーができるって教えてくれたら家に帰ってサッカーしてみようかな」と言ってくれて、それを聞いてもう泣きそうになったんですよ。こんな自分でも目の前の子どもがこんなに喜んでくれるんだ。この子にとっては僕は日本代表のキャプテンなんだなと。そしたらこの子に今自分はなにができるんだと思ったらなんにもできないなって思ったんですよね。結局、その子は日常に戻ったら体育の授業は見ているだけだろうし、習い事でスポーツをやろうと思っても難しいんだろうなと思ったんですね。でもそのときに「頑張ってね。またサッカーやろうね」とそれくらいしか言えなかったんです。それがなんとかしなきゃと思ったきっかけで、今の活動の原動力ですね。

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