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【新時代サッカー育成対談】幸野健一×北原次郎×菅原和紀×佐々木洋文|「北海道が『育成大国』になるために」|前編

掲載協力・WHITE BOARD SPORTS


■登壇者

・幸野健一|プレミアリーグU-11実行委員長/FC市川GUNNERS代表/サッカーコンサルタント
・北原次郎|プレミアリーグU-11北海道実行委員長/北海道コンサドーレ札幌アカデミーダイレクター
・菅原和紀|Faminas(ファミナス)監督
・佐々木洋文|トロンコ旭川FC 代表

■ファシリテーター

・北健一郎|サッカーライター/ホワイトボードスポーツ編集長


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環境ではなく指導者の携わりで才能豊かな選手が出てくる

──では、幸野さんから皆さんにご挨拶をお願いします。

幸野 私は千葉県でFC市川ガナーズというクラブの代表とサッカー・コンサルタントとしてサッカーの課題解決のために全国でいろいろな活動をしています。その一環として「リーグ戦文化を作っていこう」とプレミアリーグU-11という小学5年生年代のリーグ戦を組織しています。プレミアリーグは5年前から作り上げていって一昨年から北海道でもスタートし、今では全国で33の都道府県がやるようになっています。今日の参加者の皆さんもプレミアリーグに参加していただいている皆さんに集まっていただいて、北海道でさらに育成というものが実りあるものにして世界に通じるような選手が北海道から出ていくようなアイデアを皆さんとここで話し合いながら皆さんのヒントになることがお伝えできればいいなと思っているので今日はよろしくお願いします。

──対談相手のゲストとしてプレミアリーグU-11の北海道の委員長で本業は北海道コンサドーレ札幌のアカデミーダイレクターを務めている北原次郎さんに来ていただいています。北原さん、よろしくお願いします。

北原 よろしくお願いします! 北海道コンサドーレ札幌でアカデミーダイレクターをしている北原と申します。今日は幸野さんに非常に貴重な機会を与えていただきましてありがとうございます。アカデミーダイレクターということで普段はコンサドーレにある4つの拠点を中心としたアカデミーの統括をやっております。プレミアリーグU-11を2年前から北海道でやらせてもらっていますけど、まだまだ他の地域に比べるといろいろな理念を含めてしっかりとできていないところがたくさんあるので、今日はそういうところを含めて勉強する機会にしてプレミアリーグU-11をしっかりと運営できればいいなと思っています。

──北海道コンサドーレ札幌は北海道の子どもたちにとって間違いなく目標となる存在で、そのチームのアカデミーダイレクターという立場の北原さんからいろいろお話を聞けたらと思います。そして今回は他にも、プレミアリーグU-11に参加しているチームの中からゲストの方に来ていただいています。まずはトロンコ旭川FC代表の佐々木洋文さんです。よろしくお願いします。

佐々木 よろしくお願いします。トロンコ旭川FC U-12の代表と監督をしている佐々木洋文です。今日はこのような貴重な対談にゲストという形で参加させていただくことを本当に光栄に思います。

──トロンコ旭川FCはどんなチームか簡単に紹介していただけますか。

佐々木 トロンコ旭川FCは2年前にクラブチームとして設立しました。基本的には旭川から世界を目指す選手を育成するというコンセプトに、勝利至上主義からの脱却ということを大きく言わせていただいてチーム運営をしています。

──佐々木さんは素晴らしいフットボールキャリアをお持ちだと思いますがどんなキャリアを歩んできたかというのもお話ししていただきたいです。

佐々木 Fリーグのエスポラーダ北海道で2年ほど選手をしていました。その前はDC旭川フットサルクラブというチームで2回全国優勝をしています。フットサルという競技ではありますが「旭川という田舎町からでも全国優勝できる!」と体現したと思っているので、そのときの経験を今の子どもたちにも何かしら落とし込めるところはあるかなと思います。

──ありがとうございます。そしてもう一人のゲストは、Faminas(ファミナス)代表の菅原和紀さんです。よろしくお願いします。

菅原 元フットサル日本代表の菅原和紀です。よろしくお願いします。

──佐々木洋文さんとはもう盟友ですよね。

菅原 そうですね。それこそ高校までずっと別のチームだったので学生時代はライバルでしたけど、社会人になってフットサルでdivertido S.S.Pというチームを2人で立ち上げてからはDC旭川、エスポラーダとプレーして、辞めるタイミングも同じでずっと一緒です。僕ら自身もそう思っていますが周りからも「旭川の名パートナー」とずっと言ってもらっている関係性ではあります。

──今はトロンコ旭川FCとファミナスでそれぞれ監督をされていますがファミナスはどういうチームですか?

菅原 ファミナスはトロンコよりも少し早く設立されて、今年でもうすぐ4年目が終わります。もともと僕はずっとスクール(のコーチ)をしていたのですが、そのスクール制をチーム化していこうかというときに旭川実業高校の恩師である富居(徹雄)監督にも声をかけてもらって実業のグラウンドを使わせてもらいながら旭川道北地方の育成メソッドをきちんと構築していけるようなチームを目指して活動しています。

広い、遠い、寒い……北海道のリアルな環境とは?

──今回はこの4人と北海道のフットボール育成をテーマに皆さんと語り合いたいと思っています。まず北原さんは北海道の育成環境についてどう感じていますか?

北原 北海道自体が非常に広くて、広域性が高い難しさと本州に比べて遠隔地にあるので必ず海を渡らなくてはいけないという2つの難しさがある。プラス降雪期があるので外でサッカーできない時間、時期をどうするかという問題もあります。そういう中でも特色ある選手が輩出されてきている歴史がありますし非常にいいサッカー選手が出てくる、可能性のある土地と思っています。

──幸野さんは北海道の育成環境についてはどのように見ていますか?

幸野 北海道には何度も行ったことがありますが、雪の降る時期に行ったことはないです。コンサドーレの事務所で北原さんと話したときに、北原さんは「九州の5県を合わせても北海道の方がはるかにデカイですよ」と言われていたんです。それで改めて地図を見たら北海道って九州の3倍くらいデカいんですよね(笑)。それなのに北海道を一つの単位として扱っていること自体が無理なんじゃないかと。そういう意味で九州が5県でやっているものを北海道はまとめてやっているわけだから地域性は大変だなと。パリから3つくらいの国をまたがるくらいの広さがあるのでその辺りは考慮してあげなきゃと思いますね。

「大きさというものは本当に大変なものなんだな」と思うのと、1年のうちの4カ月は雪に閉ざされてしまっている。僕は東京に住んでますけどまだ今年に入って一度も雪を見たことがない。僕らにとってはそれが当たり前の生活をしている中、僕らにはわからない苦労がたくさんあるだろうけど一時期コンサドーレ札幌は育成組織からトップへ選手がたくさん上がっていた。北海道は選手を輩出しているイメージがありましたけどその裏には大変なことを克服しているんだなと。

──僕も先ほど言ったように旭川市出身で菅原さんと佐々木さんは同級生なんです。もう一人、フットサル・インドネシア代表監督を務めている高橋健介さんも超有名でした。サッカーでプロになれなかった意外さはありますが菅原さんと佐々木さんは選手として旭川でプレーしていたときのことを振り返っていかがですか?

菅原 それこそ、僕は中学生のときに中体連の全国大会に行かせてもらっているんですよ。それで少なからず全国のレベルを知った上で旭川実業高校サッカー部に入りました。実業高校でも3年生のときに選手権に高校史上初めて全国に出場していますが3年生になる前から遠征で本州のチームと対戦させてもらっていて、ある程度自分の力や立ち位置を分かっている部分はあった。もちろん小学生くらいのときは「Jリーガーになりたい」、「プロサッカー選手になりたい」という夢を抱いていましたけど、現実のレベルを高校くらいには知っていたのでそのときにはプロを目指すためにサッカーをしている意識は僕の中にあまりありませんでした。「ただただ仲間とサッカーをするのが楽しかった」とか「北海道大会で勝てたらいいな」くらいのあまり高いところを目指していなかったというのが正直な気持ちでした。

実は選手権の北海道大会が終わったときにコンサから「練習に来てみないか」と声がかかったんです。岡田(武史)監督やエメルソンがいた時期でしたけどそのときには進路を決めるくらいの時期でしたが結果としては僕は旭川の教育大学へ進学しました。実業の監督からは「性格的にも指導者の方が向いてるんじゃないか」ということで教員の道を勧められていた中でいきなりコンサの練習に参加できることになって、言ってみればビビってしまった。「いやいや、そんないいです」という感じで結局練習参加もしなかったんです。

──行かなかったんですか?

菅原 行かなかったですね。チキン野郎なので(笑)。でも今振り返ってみれば「行くだけ行っておけばよかったかな」とかは思います。あとは契約の話も短年契約も複数年にはならなかったみたいで、うちの監督からも「1年見てすぐに切られたらこの先どうするんだ?」という話もされていろいろなこと考えて「練習にも行かずに教育大の面接を受けます」という流れでした。それがあったからこそフットサルに出会えたという考え方なので、これはこれで僕のフットボール人生なのかなと思います。

──佐々木さんはどうですか?

佐々木 僕はそんな華々しい感じでもなかったし、全国大会というものを経験したのはフットサルを始めてから。キタケン(ファシリテーターの北健一郎)が言う「こういう選手がプロになるんだ」のレベルには到底満たしていなかったと思います。やはり地域柄「プロサッカー選手になる」というものが身近にないというところもそこを夢見ない、目標にしないというところにはあるんじゃないかとは思います。だからこそそういう地域から脱却してもっともっと身近に出てくるような環境にしたいなという思いで、自分の目指したかった高みを子どもたちに見せてあげたいなという思いでやっています。

──佐々木さんの現役時代はやはり情報はありませんでしたか?

佐々木 当時は今ほど入手できなかったと思います。海外のサッカーに触れる機会もそんなに発達していなかったと思う。Jリーグができて小学生のときに、外国人選手のプレーに感動して観ていたので。

──気持ちはわかります。「Jリーガーになりたい」というのは「パイロットになりたい」とかそういう感覚ですよね。

佐々木 まさにそういう感じでした。なので目標としてどう歩むか、フットボールと向き合っていなかったのが当時の僕だったなと思います。

──なるほど。北原さんはコンサドーレでいろいろな地域を見ていると思います。その狙いやいろいろな地域を見ているからこそ感じる違いとかありますか?

北原 狙いとしては北海道にJリーグクラブが一つしかないため北海道の多くの方がコンサドーレを応援してくださっている。そのことはすごくアドバンテージだなと思っています。なので他のJリーグクラブと比べてたくさんの拠点を増やしていくということに対して喜んでくださる方が多い。なのでこのような活動を拡大しています。

2016年にコンサドーレ札幌は「北海道コンサドーレ札幌」という名前に変えてホームタウンを広域化した一環としてやっています。加えて、オホーツクや稚内といろいろなところで奈良(竜樹)選手のようなたくさんのいい選手がいて、その中でも大きい街ではなくて小さい町ですごく可能性もあって夢を持っているんだけど努力しても努力が実る環境がないということが大きくあると思う。その環境を少しでも整えたり改善していくことがクラブとしては求められていると思うのでこういう活動を今行っています。

──今シーズンからコンサドーレに復帰した小野伸二選手がもし静岡ではなく北海道で生まれていたらあそこまではなっていなかったのではないかと思います。自分に才能があってもそれに気づかなかったり、先ほど佐々木さんの言ったように周りにどれくらいのレベルがいるかわからないから天井効果がすごく低いところに設定されてしまう課題があるように感じます。

北原 ゲーム環境という意味ではやはり大きくあるかなと思っています。多分、小野伸二さんもすごく低い年代から切磋琢磨してライバルがいろいろなところにいる環境で清水や静岡という中でプレーしていたんじゃないかと。ただ、才能ある選手、可能性ある選手が大人がもっと適切に関わっていればおそらくその思いをより掻き立てることができると思うし、才能を自分で伸ばしていく力が高まっていくと思う。もしかしたら今、この環境でも大人が適切に関われば同じように才能豊かな選手が出てくるんじゃないかと。この環境で出ないのではなくて我々の携わりで出ていないと思います。


幸野健一(こうの・けんいち)
プレミアリーグU-11実行委員長/FC市川GUNNERS代表/サッカーコンサルタント

著書
パッション 新世界を生き抜く子どもの育て方

1961年9月25日、東京都生まれ。中央大学卒。サッカー・コンサルタント。7歳よりサッカーを始め、17歳のときに単身イングランドへ渡りプレミアリーグのチームの下部組織等でプレー。 以後、指導者として日本のサッカーが世界に追いつくために、世界43カ国の育成機関やスタジアムを回り、世界中に多くのサッカー関係者の人脈をもつ。現役プレーヤーとしても、50年にわたり年間50試合、通算2500試合以上プレーし続けている。育成を中心にサッカーに関わる課題解決をはかるサッカーコンサルタントとしても活動し、2015年に日本最大の私設リーグ「プレミアリーグU-11」を創設。現在は33都道府県で開催し、400チーム、7000人の小学校5年生選手が年間を通し てプレー。自身は実行委員長として、日本中にリーグ戦文化が根付く活動をライフワークとしている。また、2013年に自前の人工芝フルピッチのサッカー場を持つFC市川GUNNERSを設立し、代表を務めている。

北原次郎(きたはら・じろう)

プレミアリーグU-11北海道地域委員兼北海道実行委員長/北海道コンサドーレ札幌のアカデミーダイレクター

1981年10月23日、北海道生まれ。筑波大学卒。大学卒業後の2004年に母校・筑波大学蹴球部のコーチとして指導キャリアをスタートし、2005年から2010年まで、ジュビロ磐田に籍を移し、スカウト兼コーチやテクニカルスタッフを担当。その後も、清水エスパルスコーチ、ジェフユナイテッド市原・千葉、コンサドーレ札幌コーチを経て、2015年にコンサドーレ旭川U-15監督、2016年から現職に。Jクラブのゲーム分析や、アカデミーでの指導、指導者たちの統括など様々な役職を経て、現在も育成年代に多角的な立場で携わっている。「個人の能力だけではなく、グループの中で力を発揮できるような育成」を軸に“どんな選手でも成長させること”を目指している。

菅原和紀(すがわら・かずのり)

元フットサル日本代表/Faminas監督

1982年7月14日、北海道生まれ。20歳の時にフットサルを始めると佐々木洋文と共に設立した「divertido S.S.P」でいきなり全国4位に輝き、2年後に設立した「DC旭川フットサルクラブ」では全国優勝を経験。全国大会で2年連続最優秀選手賞を獲得した。その後、2009年からエスポラーダ北海道でFリーグに舞台を移し、日本代表としても活躍。当時の日本代表監督からは「日本最高のレフティー」と称された。2010年の引退後に指導キャリアをスタート。地元・旭川でU12のクラブチーム「Faminas(ファミナス)」を立ち上げ、現在も監督を勤めている。

佐々木洋文(ささき・ひろふみ)

元エスポラーダ北海道/トロンコ旭川FC代表

1982年7月19日、北海道生まれ。「divertido S.S.P」で全国4位、2年後に設立した「DC旭川フットサルクラブ」では全国優勝を経験。2009年からエスポラーダ北海道の選手として、鳴り物入りでFリーグに参戦した。華麗なテクニックと甘いマスクで人気を集めた。2010年に引退後は古巣・DC旭川フットサルクラブで指導をしていたが、2016年には、現在の「トロンコ旭川FC」の原型となるアカデミーを、小学校時代の同級生でもある元フットサル日本代表・高橋健介と共にスタート。世界水準の育成理念を掲げるクラブの代表として活動している。

北健一郎(きた・けんいちろう)

WHITE BOARD編集長/Smart Sports News編集長/フットサル全力応援メディアSAL編集長/アベマFリーグLIVE編集長

1982年7月6日生まれ。北海道出身。2005年よりサッカー・フットサルを中心としたライター・編集者として幅広く活動する。 これまでに著者・構成として関わった書籍は50冊以上、累計発行部数は50万部を超える。 代表作は「なぜボランチはムダなパスを出すのか?」「サッカーはミスが9割」など。FIFAワールドカップは2010年、2014年、2018年と3大会連続取材中。 テレビ番組やラジオ番組などにコメンテーターとして出演するほか、イベントの司会・MCも数多くこなす。 2018年からはスポーツのWEBメディアやオンラインサービスを軸にしており、WHITE BOARD、Smart Sports News、フットサル全力応援メディアSAL、アベマFリーグLIVEで編集長・プロデューサーを務める。 2021年4月、株式会社ウニベルサーレを創業。通称「キタケン」。

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