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“カリオカ”ラモス瑠偉監督が率いたビーチサッカー日本代表の歴史|ビーチサッカー

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ビーチサッカー日本代表といえば、これまでに3度率いたラモス瑠偉氏を思い出す方も多いだろう。今回は、ビーチサッカー日本代表の歩みを振り返る。

ビーチサッカー世界選手権

日本代表が初めて国際大会に出場したのは、1997年のビーチサッカー世界選手権。当時は1次ラウンド敗退となったが、2年後の同大会ではベスト8に進出し2000年大会は4位に入賞した。しかし、同大会最後の出場となった2003年大会は、再び1次ラウンド敗退を喫している。

第1次ラモス政権

迎えた2005年は第1回FIFAビーチサッカーワールドカップが開催され、日本代表は国際サッカー連盟(FIFA)から招待を受けて出場することが決まった。

初のワールドカップでの指揮を任されたのは、長らくサッカー日本代表を率いてきたラモス瑠偉だった。選手としては“ドーハの悲劇”によりワールドカップ出場を達成できなかったが、監督としてついにワールドカップの舞台に立ったのだ。

さらに日本の出場は急遽決まったことで、大会に向けた調整は直前に沖縄で行われた2泊3日のトレーニングキャンプのみ。決勝トーナメント進出は難しいとの見方が強かった。

しかしラモス・ジャパンは思いもよらぬ快進撃を見せる。予選を突破すると準々決勝では強豪のウルグアイに逆転勝利を収めてベスト4入りを果たしたのだ。この活躍で、日本においてもビーチサッカーの知名度は上がった。

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