ジョーダン、ドクターJ、カーター…NBA歴代“ベストダンカーチーム”を選定!<DUNKSHOOT>

ジョーダン(左)、カーター(右上)、シャック(右下)など、様々なタイプのダンカーがNBAの時代を彩ってきた。(C)Getty Images
 バスケットボールの花形プレーと聞いて、多くの人が思い浮かべるのがリングに直接ボールをねじ込む「ダンクシュート」だろう。特に世界中から傑出したアスリートが集うNBAでは、毎年オールスターのメインイベントとしてスラムダンク・コンテストが行なわれるなど、数々の跳躍自慢が時代を彩ってきた。

 それでは歴代の全選手を対象に、ポジション別最強ダンカーを選出した場合、どういった顔ぶれが並ぶのだろうか。

『THE DIGEST』では、アメリカンスポーツに精通する識者に依頼し、NBAの“ベストダンカーチーム”を選んでもらった。
 【ポイントガード】
ネイト・ロビンソン

1984年5月31日生。175cm・82kg
キャリアスタッツ:618試合、平均11.0点、2.3リバウンド、3.0アシスト
スラムダンク・コンテスト:出場4回(2006、07、09、10年)、優勝3回(2006、09、10年)

 背の低い選手が務めることが多いPGでも、NBAとなれば何人もの名ダンカーが存在する。ケビン・ジョンソンにスティーブ・フランシス、そして身長170cmでありながら、86年のスラムダンク・コンテストで優勝したスパッド・ウェッブも忘れられない。レブロン・ジェームズ(ロサンゼルス・レイカーズ)もPG扱いなら歴代最高峰にランクすべき筆頭候補だ。

 それでも純粋なPGから選ぶのであれば、史上最多の3回コンテストを制したロビンソンを推したい。身長175cmはPGでも相当小さい部類だが、垂直跳びは驚異の110cmを計測。同時代の名ダンカー、ジョシュ・スミスも「あの身長で、空中であれだけのことができるのはすごい」と感嘆していた。

 06年のコンテストでは“元祖小兵ダンカー”のウェッブをゴール下に立たせ、その上を見事に跳び越えるダンクで鮮烈な優勝を飾った。選手としてはディフェンスに難があってキャリアのほとんどでベンチ要員だったが、得点力は高く、ニューヨーク・ニックス時代には1試合45点をマークしたこともあった。
 【シューティングガード】
マイケル・ジョーダン

1963年2月17日生。198cm・98kg
キャリアスタッツ:1072試合、平均30.1点、6.2リバウンド、5.3アシスト
スラムダンク・コンテスト:出場3回(1985、87、88年)、優勝2回(87、88年)

 ジョーダン以前にも素晴らしいダンカーは何人もいた。ジョーダン以降に現われ、彼以上との評判を取ったダンカーもいる。それでも、NBA=ダンクというイメージを世界中に印象づけた立役者であり、歴史的重要性という観点でもジョーダンを選出しないわけにはいかない。

 重力の法則に逆らうような長い滞空時間だけでなく、空中でさらに一段階浮上しているように見えるダンクから、ついた異名は“エア・ジョーダン”。これはそのまま彼のシューズのブランド名となり、ファッションの面からも多大な影響を与えた。

 スラムダンク・コンテストでは87・88年に2連覇を達成。88年の優勝を決めた、フリースローラインから踏み切って叩き込んだ“レーンアップ”は伝説となっている。

 ほかに名ダンカーとして知られたSGには、ジョーダンの憧れの存在だったデイビッド・トンプソンをはじめ、クライド・ドレクスラー、コビー・ブライアント、そしてヴィンス・カーターなど、誰が選ばれてもおかしくない顔ぶれが揃っている。
 【スモールフォワード】
ジュリアス・アービング

1950年2月22日生。201cm・95kg
キャリアスタッツ:836試合、平均22.0点、6.7リバウンド、3.9アシスト
スラムダンク・コンテスト:出場2回(1984、85年)、優勝0回

 ジョーダン以前に、そして彼以上に華麗なダンクを披露したのが“ドクターJ”ことアービングだ。その姿は、さながら空高く舞い上がった猛禽類が、眼下の獲物目がけて一気に下降していくようであった。

 並外れたジャンプ力の持ち主で、「ブロックしようとする相手が跳び上がり、落ちていくのを空中で待ってからダンクした」との発言も大袈裟には思えなかったほど。手がかなり大きく、ボールを片手で楽々つかむことが出来たのもダンクには有利だった。

 75年に開催されたABA(1967~76年に存在したNBAのライバルリーグ)オールスターでの第1回スラムダンク・コンテストでは、レーンアップを決めて優勝。83年のファイナルで披露した全速力で走りながら叩き込んだウインドミルは、“ロック・ザ・ベイビー”と呼ばれ、NBAの歴史で最も有名なダンクのひとつである。

 SFではほかに、コンテストにおけるジョーダンの最大の好敵手であり、2度の優勝経験を持つドミニク・ウィルキンスもいるが、今回は涙を飲んでもらった。
 【パワーフォワード】
ショーン・ケンプ

1969年11月26日生。208cm・104kg
キャリアスタッツ:1051試合、平均14.6点、8.4リバウンド、1.6アシスト
スラムダンク・コンテスト:出場4回(1990、91、92、94年)、優勝0回

 こと豪快さに関しては、史上最高のダンカーではないだろうか。リングを壊さんばかりの強さと、目にも留まらぬ速さを兼ね備えたダンクは爆音が聞こえるかと思うほどの迫力。ジョーダンやアービングの華麗さとは一線を画し、野性的との表現がぴったりだった。

 ダンクの種類も多彩で、実際の試合でもダブルクラッチやリバースを面白いように決めた。本人の選ぶベストダンクは、ゴールデンステイト・ウォリアーズ戦でアルトン・リスターを吹き飛ばした一撃で、“リスター・ブリスター”と命名している。スラムダンク・コンテストには4回出場して一度も優勝できず、また全盛期を過ごしたシアトル・スーパーソニックス(現オクラホマシティ・サンダー)から移籍して以降は、太りすぎて輝きを失ってしまった点は残念だった。

 そのほかPFではラリー・ジョンソン、現役のブレイク・グリフィン(ブルックリン・ネッツ)らの名前が挙がる。ケガで今季全休中のザイオン・ウィリアムソン(ニューオリンズ・ペリカンズ)は今後の活躍に期待したい。
 【センター】
シャキール・オニール

1972年3月6日生。216cm・147kg
キャリアスタッツ:1207試合、平均23.7点、10.9リバウンド、2.5アシスト
スラムダンク・コンテスト:出場0回、優勝0回

 高身長のセンターにとってダンクはそれほど難度が高くないこともあり、小さな選手ほどの驚きや爽快感を与えないのも事実だ。しかし、“シャック・アタック”の異名で恐れられたオニールのダンクは誰もが衝撃を受けた。

 優美さや華麗さとは無縁で、とにかく力技一辺倒。身長216cm、体重147kgの巨体に全力で襲い掛かられては、リーグのビッグマンとて真正面からブロックすることは不可能だった。

 もっとも、一番“衝撃を受けた”のは選手ではなく、彼にぶら下がられるリングであった。NBA入りした年だけで2回バックボードを破壊し、のちに「注目を集めるため、わざと壊そうとしたんだ。それで有名になったら広告に使ってもらえるだろう?」とその動機を語っている。その後、バックボードは衝撃を吸収しやすいバネが入った構造に変更された。

 シャック以外では、60年代にリーグを支配した怪物ウィルト・チェンバレン、元祖ボード破壊王ダリル・ドーキンス、センターでただ1人のスラムダンク・コンテスト優勝者ドワイト・ハワードらも印象に残る。
 【シックスマン】
ヴィンス・カーター

1977年1月26日生。198cm・100kg
キャリアスタッツ:1541試合、平均16.7点、4.3リバウンド、3.1アシスト
スラムダンク・コンテスト:出場1回(2000年)、優勝1回(2000年)

 ダンクだけならジョーダンやアービング以上との声も少なくなく、『スポーティング・ニューズ』のマイカ・アダムス氏いわく「レギュラーシーズンの普通の試合も、彼が出るだけでミニダンクコンテストに変貌した」。
  90年代後半には注目度が下がりつつあったスラムダンク・コンテストが息を吹き返したのも、3年ぶりに開催された2000年のコンテストで、カーターが次から次へ超人的パフォーマンスを繰り出したのが大きな要因だった。ただし、コンテストに参加したのはこの一度だけ。97年の王者コビーもそうだったが、ジョーダンやウィルキンスのように何度も出場してくれていたら……と残念でならない。

 ダンク王者に輝いた2000年は、夏のシドニー五輪でもフレデリック・ワイス(フランス)を文字通り“飛び越える”衝撃ダンクを見舞い、世界中を驚嘆させた。

 30代に入ると次第にスーパースター級ではなくなったが、その代わり年々渋さを増していき、1990~2020年代の4年代にわたってNBAでプレーした史上初の選手に。多くのファンを魅了し、2年前にユニフォームを脱いだ

文●出野哲也

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