試合のリアルを現場から伝える。池田愛恵里が語るピッチレポーターの魅力
「正直、最初の1、2年は本当にしんどいことも多かったです。なかなか思うように出来ず、取材が終わってから『私には向いてない、なんで私はここにいるんだろう』と思いながらスタジアムで毎回泣いていました」
(池田愛恵里)
サッカー中継において実況・解説と共に重要な役割を持つのが“ピッチリポーター”。
試合に臨む選手やスタッフと同じ目線に立ち、実況席や画面のむこうの視聴者が知ることのできない、ピッチサイドで起こっている出来事を伝えます。目まぐるしく動く90分間の試合における“温度感”を伝え臨場感を高めるという意味でも、中継で欠かせない存在と言えるでしょう。
池田愛恵里さんは、そんな大役を担うピッチリポーターの1人。グラビアアイドルとして活動しながら、弱冠22歳でこの世界に飛び込みました。180度と言っても良い転身を果たしたその経緯とは。そして、未経験からスタートしたスポーツ報道の世界で感じてきた葛藤とは。
甲子園の売り子から始まったスポーツ界への道
もともとお父さんが熱狂的な阪神ファンで、小学校の時から強制的に甲子園に連れて行かれていました。当時は野球のことが全くわからなかったんですけど、甲子園で感じられる観客の盛り上がり、みんなが「わー!」となるあの雰囲気がすごく好きで、通うようになりました。
そして「ビールの売り子の人たちは毎日ここで、この空気の中にいられるんだ。めっちゃ良いな。いつかやりたいな」と小学生のときから思うようになり、19歳から売り子を始めました。
実は、サッカーは全く見ていませんでした。やっていたスポーツはテニスだったのですが、そんなに強いところで活動していたわけでもなく。だから、阪神を見に行く以外はスポーツとの関わりはほぼなかったんです。昔の自分が今この仕事していることを知ったらびっくりするだろうな、と思います。
私が甲子園で売り子を始めたとき、東京ではおのののかちゃんの人気が出ていて“売り子ブーム”だったんですよ。その後、今の事務所に入ったときにグラビアの仕事が決まりそうだとマネージャーさんに言われて、その活動も始まったんです。
そしたら仕事がたくさん入り始めて。2011年頃ですが、そこから2,3年はグラビアの仕事を続けました。ピッチレポーターをやっていた時期とも被っています。
フォルラン選手がいた2014年に、グラビアのイベントに出てから宮崎のキャンプへ行ったのを覚えています。今では考えられないんですけど、DVDの発売があった関係でこのスケジュールで動かなければいけなかったんです。
人前に出ることは嫌いだった
ただ、この仕事を始めたときからタレントの仕事は向いていないとは思っていました。人前に出るのがすごく嫌いだったし、昔からあがり症だったんです。学校の授業で前に立って発表するのが本当に苦手だったし、何かで表彰されて体育館に上がるのも苦手でした。
でも、この仕事を始めたのは「人前に出ることに積極的になれるかな。変わるかな。」と思ったから。売り子を始めるときも、親からは「絶対そんなことできん。やめた方が良い」と言われたんですよ。人前で大きな声を出す仕事ですから。でも、そう言われたら余計やってやろうと思って(笑)。
実際に売り子をやってみたら緊張感もなくなり、見られることが嫌じゃなくなってきたんです。でも、グラビアに関しては楽しかった一方で直感的に「向いてないな」と思っていました。
始めたのが大学生の頃だったのですが、学校に行きながら売り子もやって、グラビアも…という感じだったんですけど、「卒業する時にこのままグラビアやっていくのはしんどいな」と思ったんです。
終着点として、目標として、バラエティに出ることが本当に自分の思いとしてあるのかと言われたら、そうではなかった。実際に全国区のバラエティに出してもらったときも出演させて頂いたことは本当に嬉しかったんですが、やっぱり自分には向いていないと自信がなくなってしまいました。それが4回生くらいの時だったので、就職しようと考えていましたね。
そんな、「これからどうしようかな」と思っていた時に関西テレビのセレッソ大阪の応援番組である“Golazo Cerezo”のMCのオーディションがあったんですよ。事務所から勧められて出ることになったのですが、それまでグラビアしかしてこなかったから上手く喋ることはできないし、その勉強もしてきていない。もちろんインタビューもしたことないし、サッカーもよく知らなくて。
だから「オーディションに行っても恥かくだけだから私は大丈夫です、受けないです」と伝えました。
でも、グラビアをやっていて全くサッカーを知らない同期の女の子から「私はオーディション受けるけど、愛恵里はどうする?」と言われて。「え、サッカー全然知らんやろ?」と驚きながらその子に言ったら「知らないけどやってみたら面白いかもしれないじゃん。やってみないとわからなくない?」と返ってきたんですよ。
「確かに、やってみないとわからないな」と思って、エントリーをすることにしました。そこから自己PRを送り面接を受けに行ったのですが、1次の集団面接で「自分の性格をサッカーのポジションで表すとしたらどうですか」と聞かれたんです。
「あ、終わった」と思いました。
周りはアナウンサーのような方も多くてサッカーを知っていたので、「周りを生かすことが好きだからボランチです」というような感じでしっかり答えられているんですよ。でも私からしたら「ボランチって何!?」というレベル。私の番になったときに「体を張れるんでゴールキーパーですかね?」と、今思ったら恥ずかし過ぎる回答をしていて(笑)
当然落ちたと思って帰ったのですが、1次合格。2次が最終面接だったのですが、ここまで来たら受かりたいなと強く思いました。でもセレッソのことを全く知らない。だからまずは選手名鑑を買って1週間ずっと読み続けて、選手の背番号から出身地、誕生日まで全員覚えました。それくらい熟読して。サッカーのことはわからないけど、取材するかもしれない選手のことはしっかりと知っておかないといけないと思ったんです。
いざ面接に入ってみると、面接官の方もそれに気づいてくれたみたいで「まさか全員覚えてきたの?」と驚かれました。インタビューの実践で、面接官を選手だと思って話を聞くという試験もあって、その中で選手名鑑から得た知識とかも盛り込みながらトライしました。ちゃんとしたインタビューができた気はしなかったのですが、結果はなんと合格でした。
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