
「まさにグラスゴーの新たな王だ」
スコットランドメディアにそう評価されるのは、昨年末に川崎フロンターレから強豪・セルティックに加入した旗手怜央です。
デビュー戦でマン・オブ・ザ・マッチに輝き、2戦目では初ゴールをマーク。圧巻はレンジャーズとのオールドファームでした。首位攻防戦でチームを勝利に導く2ゴール1アシストの活躍を見せ、サポーターたちからスタンディングオベーションで迎え入れられました。
旗手はどのようにしてセルティック・サポーターのヒーローにまで上り詰めたのでしょうか? 高校時代から追いかけてきたサッカーライターの安藤隆人氏に綴っていただきました。
■クレジット:
文・写真=安藤隆人
■目次
・衝撃を与えたオールドファーム
・父は野球の名門・PL学園の遊撃手
・スカウトの度肝を抜いたゴール
・舞台は世界へ
衝撃を与えたオールドファーム
6試合で3ゴール2アシスト。旗手怜央がスコットランドの地で躍動している。セルティックサポーターに強烈なインパクトを残したのが、永遠のライバルであるグラスゴー・レンジャーズとの『オールドファーム』だ。先制弾を含む2ゴール1アシストの活躍で、ライバルを首位から引き摺り下ろす値千金の勝ち点3をもたらしたのだ。
2点とも強烈なミドルだった。どんなグラウンドコンディションでも強靭な下半身を駆使して、正確かつ強烈なシュートが打てる特徴を存分に発揮をした。
思えば、静岡学園高時代から彼のプレーは特徴的で、他の選手が持ち合わせていないものを持つ、印象に残る選手だった。初めて見た時にインパクトを受けたのは、下半身の強さだった。ただ筋力があるだけではない。踏み込みの質、ボディーバランス、そして重心が乗った状態での次への動作が驚くほどスムーズで、かつスピードも伴っている。
イメージするならば、一歩踏み締めるごとにエネルギーがピッチに伝わり、その反動で次の足が出てくる。爆発的なパワーを持ってドリブルの一歩目が出ることで、一瞬にして相手を置き去りにできるし、アフター気味のチャージに行っても物ともせず、弾き飛ばすように前進をしていく。
そのパワーはフィニッシュでも生かされ、ペナルティエリアの内外でしっかりとした軸足の踏み込みから、鋭い腰の回転を駆使したシャープなスウィングで強烈なシュートを突き刺す。
ペナルティーエリア内でのシュート技術も高く、相手が飛び込んでくる角度やタイミングを把握して、シュートの強度やインパクトのタイミングを直前で変えることができる。軸足が固定されている状態で、足首や股関節のわずかな変化でシュートコースを打ち分けることができる点は彼の魅力だ。
父は野球の名門・PL学園の遊撃手
彼の強靭かつ柔軟性のあるフィジカルはどこから来ているのか。それは野球に青春時代を捧げた父の存在が大きかった。
彼の父は1984年にPL学園の遊撃手として、甲子園で春夏連続準優勝を経験している。当時のPL学園と言えば、高校野球界においてまさに泣く子も黙る強豪中の強豪。清原和博と桑田真澄の『KKコンビ』の1学年先輩で、マウンドには桑田、ファーストには清原がいた超豪華布陣の中で、名門の全盛期を彩った一人だった。
「父はいつも自分のやりたいこと、自分の決断を尊重してくれるんです。サッカーはそれほど詳しくはありませんが、常に私生活の面やメンタル面でも凄く参考になるアドバイスをもらえますし、僕の身体能力は父ゆずりだと思うので、そこも凄く感謝しています」
父は旗手と同じように、身長はそこまで高くなかった。守備範囲の広さとジャンプ力、下半身の強さなどフィジカル的な能力を生かし、日本一の選手層の厚さを誇っていた名門で、遊撃手という繊細な技術と運動量を求められる難しいポジションでレギュラーを掴み取った。旗手のフィジカル、身体操作、馬力はまさに父親譲りであることは彼も認めるところだ。
これだけの魅力を持ちながら、高校時代はプロからのオファーはなかった。
当時から彼は「高校からプロは絶対に無理だと思っていた」と語っていた。筆者は高校卒業後のプロ入りでも十分に通用すると感じていただけに、順天堂大に進むと聞いて不思議に思った。
スカウトの度肝を抜いたゴール
だが、順天堂大での4年間でさらなる成長を遂げた。高校時代はとにかく前にボールを運んでいく弾丸ドリブラーだった彼が、守備面で大きな変化を見せたのだ。
強靭な下半身とボディーバランスを駆使したプレスバック、球際の激しさは目を見張るものがあり、相手とボールの間に体をねじ込むようにボールを奪うと、低い重心から突き上げるようなドリブルを開始して、ボールを前に運んでいく。突破のドリブルがメインだった高校時代から、奪ってから攻撃のスイッチを入れるドリブルという新たな武器を手にしたことで、レンジャーズ戦で見せたようなミドルシュートの回数が増えた。
「高校時代はひたすらドリブルでしたが、大学に入って自分の得意な形に持ち込むまでのオフの動きや、戦況を見てプレー選択する力を磨いています。特に練習から1個上の名古(新太郎)さんがそういう動きが上手いので、見て学んだり、堀池(巧)監督が何度もアドバイスしてくれるので、それを自分なりに考えてアレンジしています」
当時、彼はこう成長の手応えを語っていた。順天堂大で1年生ながら関東大学サッカーリーグ1部で9ゴールを叩き出し、新人王を獲得。2年生になってもその勢いは止まらず、躍動感溢れるプレーで大学サッカーを席巻した。
印象的だった試合がある。彼が大学2年生だった2017年10月22日の関東大学リーグ第18節・流通経済大との一戦。この試合は関東に台風が接近し、バケツをひっくり返したような豪雨の中で行なわれ、ピッチ上にはあちこちに大きな水たまりが浮かぶほど、誰が見ても劣悪なコンディションだった。しかし彼は、他の選手との『違い』をはっきりと見せつけた。
水溜りに止まるボール、蹴ってもなかなか前に飛ばない状況下で、彼は持ち前の馬力を駆使して、ドリブルでボールを運び、積極的にシュートを放つなど、いつもと変わらぬプレーを披露していたのだ。
圧巻は1-1で迎えた80分、MF杉田真彦が浮き球のパスを旗手に通すと、「杉田さんのところにボールがいった瞬間に、(相手のDFの)裏を狙おうと思った。裏を取る動き出しをしたら、狙い通りの浮き球のボールが来た。絶対に雨でボールが止まると思ったので、全力疾走をして先にボールに触ろうと思った」と、水溜りにボールがハマった瞬間、猛スピードでその水溜りに飛び込み、迷わず左足でダイレクトシュート。強烈な水しぶきとともに、ボールは地を這うような弾丸ライナーでゴール左隅に突き刺さった。
強烈なスピードと左足のスウィングで、水溜りごとゴールに入れてしまうような圧巻のゴール。インパクトを残し続ける彼に、Jのスカウトたちはたちまち激しい争奪戦を繰り広げるようになった。
「プロになりたいとはずっと思っていたし、プロになるために順天堂大に来たのですが、正直、この状況は自分でも少し驚いています」
彼は周りの環境の変化に戸惑っていたが、あれだけのプレーを見せつけているのだから当然とも言える流れであった。
舞台は世界へ
大学4年になってからも彼の中盤でのボール回収能力、アタッキング能力はぐんぐん伸びた。だからこそ、川崎フロンターレに入ってからも、本職のアタッカーではなく、サイドバックで起用されてもずば抜けた適応力を見せた。正直、彼の球際の強さと、前への爆発的なスプリントとドリブル、キック力があれば、サイドバックでも十分に大成するのではないかと高校の時から思っていた。そこに大学でボール奪取力と運ぶドリブル、遠い位置からのシュートや展開のパスを身につけたことで、よりサイドバックというポジションの適正力は上がった。
再び本職のアタッカーポジション(インサイドハーフ)を託されているが、そこで能力を発揮できるのは当たり前で、サイドバック、ウィングバック、サイドハーフなどいざとなればどこでも適正ポジションとしてハイレベルなプレーができる。日本人としてはかなり稀有なポリバレントプレーヤーになった。
不断の努力で自分の価値を高め続けてきたからこそ、今の旗手怜央がある。水を多く含んだスコティッシュ・プレミアシップのピッチでも、流通経済大戦のように苦ともせずに自分の持ち味を発揮する姿を見て、改めてそう思った。
■プロフィール
安藤隆人(あんどう・たかひと)
1978年2月9日生まれ。岐阜県出身。大学卒業後、5年半の銀行員生活を経て、フリーサッカージャーナリストに転身。大学1年から全国各地に足を伸ばし、育成年代の取材活動をスタート。本田圭佑、岡崎慎司、香川真司、柴崎岳、南野拓実などを中学、高校時代から密着取材してきた。国内だけでなく、海外サッカーにも精力的に取材をし、これまで40カ国を訪問している。2013年~2014年には『週刊少年ジャンプ』で1年間連載を持った。著書は『走り続ける才能達 彼らと僕のサッカー人生』(実業之日本社)など。
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