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30年のビジネス経験を、スポーツ界へ活かす。明大サッカー部・栗田大輔監督の新たな挑戦

先日、2年ぶり通算7回目の関東大学サッカーリーグ戦 優勝を果たした大学サッカーの名門・明治大学サッカー部。同チームを率いる栗田大輔(くりた・だいすけ)監督が、長年務めた清水建設を退社。これまでは会社員と指導者の二足の草鞋で活動し注目を集めてきましたが、独立し新たな一歩を踏み出しました。

2020年には、大学サッカーを取り巻く環境改善やOB選手のマネジメント、セカンドキャリアの支援などを目的としたプロジェクト『明大サッカーマネジメント』を発足。また清水建設退社にともない、自身が代表を務める株式会社フットランドをリニューアルしました。

<明大サッカーマネジメントについて**過去の記事はこちら>**
「思いだけでは限界がくる」明大サッカーマネジメントが切り拓く大学スポーツの未来

唯一無二のチームをつくりあげるため日々新しい挑戦を続けてきた栗田監督は、なぜこのタイミングで会社を辞め、サッカーに専念する決断を下したのか。独立に至った経緯やこれからにかける思いに迫りました。

「仕事もサッカーも100%」がポリシーだった

ー今回、どうして清水建設を退社し独立する決断を下されたのでしょうか?

将来を考えたときに、清水建設に迷惑をかけてしまう可能性があると思ったからです。これまで「仕事もサッカーも100%」をポリシーに活動してきました。それはずっと変わりません。会社も「母校のために尽くすのは良いことじゃないか」と、すごく応援してくれていました。

ただ会社員として勤務している以上、明治大学サッカー部の監督としての活動はあくまでも“ボランティア”なんです。だから仕事を疎かにしてはいけません。僕自身も、全国大会があるときは有給を使ったり、出社前に朝練に行ったり、会社に迷惑をかけないように工夫していました。

それでも、長く勤務していると社内での立場も変わり、サッカー部の活動が清水建設での業務に及ぼす影響が大きくなると思ったんです。「栗田さんは、サッカー部の活動があるので」というわけにはいかないなと。会社からの期待もありますし、当然異動を命じられることもあります。部署の運営や部下の指導もあり、急に明治の監督が出来なくなることも想定されます。そのときに、自分の決断が今までお世話になってきた会社とぶつかり、双方に嫌な思いをすることになるのは嫌だなと思いました。

清水建設は本当に素晴らしい会社でしたし、自分の活動を理解して応援してくれていたので悩みました。ただ、たった一度の人生で本当にやりたいことは何だろうと考えたとき、やっぱり明治の指導であり、サッカーだったんです。あとは急に僕がいなくなると、選手たちはどうなるんだろうとも思いました。次の後任が見つかり、育つまでは「明治発!世界へ!」の志しで、学生たちを社会に送り出すことと、唯一無二のチームづくりに専念しようと決断しました。

ー会社員と指導者を両立するなかで、難しさを感じることはありましたか?

肉体的な疲労はありました(笑)。24時間動き続けないと、やるべきことを消化できませんからね。睡眠時間もあまり取れないので、移動時間に寝て少しでも体力を回復させていました。退職してからは自分のリズムでサッカーに専念できているので、少しは楽になったかなと思います。

ただ、仕事とサッカーを両立して100%でこなすというポリシーは、活動のエネルギー源になっていました。誰かに評価されるために活動していたわけではなく、自分で決めたことをやり切ることにこだわりがあったんです。

変革期を迎えた日本のスポーツ界。求められる人材とは?

ー清水建設にいて良かったことや学んだことは、どういった部分になりますか?

200年以上続く企業の素晴らしさやノウハウを知ることができたことですね。栄枯盛衰のなか、どれだけ良い会社でも50年続けることすら大変だと言われています。そんな中、清水建設は江戸時代から200年以上続くトップカンパニー。成功と失敗を繰り返しながら作られてきた会社のマインド(精神)や組織のシステムがすごいと思いました。

信用を得るために『技術、品質の質を高めること』と『人を育てること』。建物は発注されてから施工がはじまるので、建設会社の営業は無形な物を扱うことになります。お客様との信頼関係がすごく重要ですし、完成した建物の質、アフターサービスまで含めた日常の質が高くなければいけません。ものづくりへのこだわりと、人を育てる仕組みがすごくしっかりしていました。

また、ものごとを俯瞰的に見たり、大局を動かす能力も身につきました。営業として、個人から企業、学校、病院などさまざまな人と付き合いがあり、企業内でもチームを作って動くことが多くありました。設計、建築、エンジニア…他部署と連携して、プロジェクトをまとめあげ、どうやったらスムーズに仕事が進むのかを常に考えていましたね。

役員の方の秘書を務めたこともありました。9年ほど民間の営業としてバリバリ働いていたときに突然異動を命じられて…営業が好きでしたし、社内でもすごく怖いと噂されていた方だったので、正直「嫌だな」と思っていました(笑)。でも清水建設で働く約12,000人のトップはどんな方なのか、背中や生き様を見たいと思ったんです。

ビジネスについてというよりは、会社のトップに立つ方の人間性、決断力、立ち振る舞いを間近で学びました。すごく可愛がっていただいて、今でもお付き合いがあります。そのあとは営業に戻り、直近ではスポーツ施設を中心とした街づくりやスポーツビジネスを推進する部署の責任者も任せていただきました。

ーそれはどういった部署なのでしょうか?

スポーツ庁からスタジアム・アリーナ改革が発表されて日本各地で新たなスポーツ施設をつくる動きが活発になりました。アメリカ式の稼げるアリーナやスタジアムをつくろうと、各競技のリーグが施設に関する新基準を設けるなど、日本のスポーツ界も変革期を迎えています。

これまでも清水建設は、フクダ電子アリーナや横浜スタジアムなどのスポーツ施設の建設を担当してきました。基本的に建設会社は施設を造ることが仕事ですが、それだけでなく企画、運営にも関わっていこうという動きです。その中でも大きなきっかけになったのが、北海道日本ハムファイターズの北海道ボールパークのコンペですね。

かなり力を入れて取り組んだのですが、残念ながらコンペで受注をつかむことはできず…チームも解体されることになっていました。ただ、それでは「せっかく積み上げた知恵がバラバラになってしまい勿体ない」と、スポーツから派生するさまざまな広がりも視野に入れてビジネスにつなげていく新しい部署が発足しました。

やはりスポーツ界は狭い世界であり、人脈が重要です。そのなかで、スポーツとビジネスを両面から見ることができる人材が必要だと感じました。そういった意味では、スポーツ現場のマインドと人脈を持ちながら、ビジネス視点でスポーツを見ることができる両方の目を持つ自分の存在は、希少であり、特殊なのだと思います。

ーたしかにスポーツとビジネス、両方の現場を知っている人材は日本にはまだまだ少ない印象があります。

少ないですね。ビジネスの視点だけで進めても、スポーツの核となる部分からは離れてしまいます。施設をつくるなかでクライアントはもちろん行政やチームなどたくさんの人と接点が生まれます。そういった意味でも、さまざまな視点から物事を見て本質と最善を生み出すことは大切です。

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