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平野由香里(サイクリングインストラクター)の、スパイシーな人生。幼稚園からスポーツの道へ

平野由香里、サイクリングインストラクター。前職は幼稚園の教諭だという。それどころか、中高は文化系の部活に所属し、スポーツそのものに縁遠い人生を送っていた。

そんな彼女が、なぜサイクリングインストラクターを志したのか?

幼稚園教諭からスポーツジムへ転職。実は運動は苦手な方だった。

——まず、平野さんがスポーツに関わることになるまでの経緯を教えてください。

平野由香里(以下、平野) 小学生の頃から体は大きかったのですが、走るのが遅くて。50メートル走もビリ。運動ができないことにコンプレックスはなかったですね。「なぜかうまくできないな〜」くらいで。ぼーっとした子だったと思います。中学では演劇部、高校は家庭科部に所属していました。

小さな頃から幼稚園教諭になりたかったので、高校卒業は幼児教育の大学に進学しました。学園祭の実行委員をしたり、YMCAの野外ボランティアのキャンプリーダーを務めていました。卒業後は、晴れて幼稚園の先生に。子ども達と関わる時間はとても貴重で、日に日に成長していく子ども達からいつもパワーをもらっていました。

しかし、保育の仕事は「楽しい」だけではないんですね。日々の業務も夜遅く、帰宅しても持ち帰りの仕事もあり。次第に「これを一生の仕事とするのは厳しい」と感じるようになって、当時担任を持っていた子どもたちの卒園と同時に、新しい仕事に就くことにしました。

——運動もそこまで得意でなかった平野さんがなぜ転職でスポーツジムの仕事を選んだのか、すごく気になります。

平野 「働きながらダイエットできたらめちゃいいやん!」と、正直初めは軽い気持ちだったんです(笑)そもそも運動ができないことを自分ではコンプレックスと思っていませんでしたからね。むしろ運動音痴なことを忘れていたほどです。その当時は今よりも6〜7kgは太っていて、身体が重たかったですね。スポーツジムで面接した時は、ジムで働いて、綺麗になって、だれかと結婚して辞めようかな、なんて思っていましたよ(笑)

そしてスポーツクラブで働くようになって、ようやく自分が運動音痴だということを思い出しました。ダンスをしても、筋トレも、機能的な身体の動かし方も、全て上手く出来ませんでした。

でも私が勤めていた大阪市内の大手スポーツクラブは、当時一流のインストラクターさんや意識の高いトレーナーさんばかりで、それに影響され、だんだん自分も「インストラクターになりたい」「いや、意地でもなる!」と思うようになっていきました。3年間アルバイトの中でトレーニングを積んで、トレーナーとインストラクターの資格を取って、やっとこさフリーのインストラクターとして独立したという流れです。

きっとあんなに運動音痴とはスポーツクラブの方も面接の時には、思っていなかったでしょうね(笑)本当に当時のスタッフの皆さんにはお世話になりました。

——様々な資格を取得していますが、その中にスキーインストラクターもありますね。

平野 スポーツジムに働きに来る人はたいてい運動部出身だったりします。研修でも筋トレのフォームチェックや〝何キロの重りを持って何セットする〟などのテストがあり、私だけ全然できないわけです。

他のスタッフは、野外でのスポーツも出来てバスケが上手かったりバレーやサッカー、野球とそれぞれ得意分野がありました。それがとても悔しかったので、2ヶ月間休みをもらって雪山にこもり、スキーインストラクターの資格を取りました。結局そこに来る方も運動神経がいい方ばかりで、ここでも人一倍練習しましたね(笑)

平野由香里

平野由香里

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