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ツアー最高峰の舞台で選手の練習相手を務める日本人留学生。人と人との縁が紡いだ数奇な体験<SMASH>

インディアンウェルズの会場で選手のヒッティングパートナーを務める石川瑛大さん。四日市工業高校出身で、カリフォルニアの大学に通う留学生だ。写真:内田暁
カリフォルニア州で開催中のテニスツアー「BNPパリバ・オープン」会場に、練習する選手たちのヒッティングパートナーを務める、若い日本人の姿があった。

三重県出身の19歳。石川瑛大さんは、大会会場近くの大学に通う、日本からの留学生だ。

「もちろんプロとしてもやってみたいですが、最終的には、ヤスオさんみたいなツアーコーチになりたと思っているんです」

177センチという実際の数字より大きく見える背筋を伸ばし、彼は真っすぐに目標を語る。

石川さんが言う「ヤスオさん」とは、西岡良仁の兄でコーチの、西岡靖雄。ツアー帯同経験の豊富な同郷の先輩は、四日市工業高校の先輩でもある。そのような縁もあり、今大会で石川さんは、良仁とも練習の機会を得た。

テニスは、かくもグローバルなスポーツではあるが、そのコミュニティは意外なまでに狭く、人のつながりは驚くまでに濃い。石川さんが、今この“第5のグランドスラム”と称される大会会場にいるのも、人や地縁に導かれた側面が強かった。
「子どもの頃に三重県に移って、育ちは三重。テニスは小学3年生の時から、“三重グリーン”で始めました」

三重グリーンテニスクラブは、伊藤竜馬を育てたことでも知られる名門。「身体を動かすのが大好きだった」という少年がテニスを選んだのは、「テニスクラブが家から近かった」ことが、最大の理由だった。

クラブ内で順調に強くなったこともあり、テニスは楽しく、のめり込んでいったという。

「東海大会や、全国大会があると理解し始めた頃から、強くなりたいと思いました。海星中学の時は、全国中学生選手権大会で団体戦優勝しました」

名門四日市工業高校進学後、テニスへの情熱はますます強まると同時に、海外にも目が向いていく。

「2年生の時に、高校がカンボジアのITFジュニア遠征を組んでくれたんです。その時に帯同してくれたコーチが、佐藤文平さん。すごく楽しそうで、いいなーと思いました」

ツアー転戦の経験を持ち、指導者のみならず研究者の顔も持つ佐藤と接したことが、“ツアーコーチ”という未来像を結ぶ最初のきっかけとなる。
加えて、海外で仕事をすることが多い親の姿も、石川さんの目をアメリカに向かせた。

「親が昔、仕事でアメリカに行っていたので、仕事で英語を使うのを小さい頃から見ていていいなと思ってました。そこで高校2年生の時、単身、2週間アメリカのサンディエゴに行って、語学学校に行きつつテニスをしたんです。その時の環境を見て、こんな所でテニスやりたいと思いました。それもあり、進路については悩んで悩んで、3年生になる直前に、やっぱりアメリカに行こうと思いました」

だが、石川さんがアメリカ留学を決意した直後、新型コロナウイルスの感染拡大により、世界の様相が劇的に変わる。高校3年生時には、大きな目標としていた全国選抜高校も含め、インターハイや国体など、全ての大会が開催中止となった。

「3年の時、全国選抜に個人戦でも出られる予定だったんです。選抜で勝つと、全米オープンジュニアにつながる試合にも出られるはずだったので、すごく気合いが入っていたんです。でも選抜がコロナ禍でなくなり、続いてインターハイや国体も……そうですね、そこらの成績は自分でも欲しかった。そこから、進路も迷い始めたので……」
全国選抜やインターハイでの戦績は、アメリカの大学でもスポーツ特待生の評価対象になり、奨学生としての好待遇も期待できる。その道が閉ざされたことは、海外へのハードルを高めただろう。

それでも石川さんは、初心を貫く。「最終的な目標をツアーコーチと思った時、海外でしっかり英語も学べる留学が、一番良い選択だった」ためだ。

そこで進学先を2年制のコミュニティカレッジに定め、語学や学力、テニスの戦績等を勘案し決まったのが、現在通う、カレッジ・オブ・デザート。BNPパリバ会場までは、車で15分ほどの立地だ。

この進学先決定は、自身の意向というより、「条件的に、ここになってしまった感じ」と石川さんは打ち明ける。だが実はその偶然が、新たな縁を引き寄せた。

「うちの大学のテニス部のコーチの名前が、ガイ・フリッツ。テイラー・フリッツのお父さんだったんです」

そのことを入学するまで知らなかったと、決まりが悪そうに笑った。
テイラー・フリッツは今大会でも決勝に進出しているアメリカ男子ナンバー1選手。そのフリッツも「父親が近くの大学のコーチなので、子どもの頃からここにはよく来ていた」と明かすほど、フリッツ家とこの大会の結びつきは強い。

そのような縁もあり、カレッジ・オブ・デザートの学生がヒッティングパートナーを務めるのは、言わばこの大会の伝統。コーチたちの「絶対に経験しておけ!」という強い勧めもあり、石川さんもほぼ毎日、会場に足を運んでいる。

世界のトップの選手たちの試合を間近で見た時、石川さんが最初に思ったのは、「動画で見て感じていたのより、ボールのスピードは速くないな」だった。

ただ、ミスがない。そして、タイブレークなどの緊迫の場面になるほどプレーのレベルが引き上げられるのは、見て明らかだった。
さらには、西岡良仁と打ち合い肌身で感じたのが、「ボールの質が高い」ということ。

「やっぱり単純に球の質がすごい、重い。もう1人のコーチと一緒に2対1で打っていたんですが、西岡選手はミスしないし、自分が打ち損じてもコートにボールが返ってくるので、全然違うなって。見てる分には軽く飛んでいるように見えても、実際に打つと、グッと手元で伸びてきたり、跳ねた後の変化だったりがすごかったです」

それらの経験は石川さんに、ツアーコーチという最終的な目標とともに、「自分もプロに挑戦したい」との意欲をたぎらせもした。

「こっちに来て初めてトッププロと触れ合うことができた。もっとついていけないのかなと思っていたけれど、ラリーもできて、頑張ればチャンスはあるのかなと。こういう環境があるので、もっと吸収していきたい。

大学であと1年半やって、しっかり結果が出せそうだったらフューチャーズにもチャンレンジしていきたい。2年目から、プロでやるかどうかは考えていきたいと思います」

人と土地の縁に導かれ、得られた大きなチャンスと気付き。それらを紡いで、夢の輪郭を描いていく。

現地取材・文●内田暁

【PHOTO】インディアンウェルズで決勝進出のフリッツ。ハイスピードカメラによる『30コマの超分解写真』

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インディアンウェルズの会場で選手のヒッティングパートナーを務める石川瑛大さん。四日市工業高校出身で、カリフォルニアの大学に通う留学生だ。写真:内田暁
カリフォルニア州で開催中のテニスツアー「BNPパリバ・オープン」会場に、練習する選手たちのヒッティングパートナーを務める、若い日本人の姿があった。

三重県出身の19歳。石川瑛大さんは、大会会場近くの大学に通う、日本からの留学生だ。

「もちろんプロとしてもやってみたいですが、最終的には、ヤスオさんみたいなツアーコーチになりたと思っているんです」

177センチという実際の数字より大きく見える背筋を伸ばし、彼は真っすぐに目標を語る。

石川さんが言う「ヤスオさん」とは、西岡良仁の兄でコーチの、西岡靖雄。ツアー帯同経験の豊富な同郷の先輩は、四日市工業高校の先輩でもある。そのような縁もあり、今大会で石川さんは、良仁とも練習の機会を得た。

テニスは、かくもグローバルなスポーツではあるが、そのコミュニティは意外なまでに狭く、人のつながりは驚くまでに濃い。石川さんが、今この“第5のグランドスラム”と称される大会会場にいるのも、人や地縁に導かれた側面が強かった。
「子どもの頃に三重県に移って、育ちは三重。テニスは小学3年生の時から、“三重グリーン”で始めました」

三重グリーンテニスクラブは、伊藤竜馬を育てたことでも知られる名門。「身体を動かすのが大好きだった」という少年がテニスを選んだのは、「テニスクラブが家から近かった」ことが、最大の理由だった。

クラブ内で順調に強くなったこともあり、テニスは楽しく、のめり込んでいったという。

「東海大会や、全国大会があると理解し始めた頃から、強くなりたいと思いました。海星中学の時は、全国中学生選手権大会で団体戦優勝しました」

名門四日市工業高校進学後、テニスへの情熱はますます強まると同時に、海外にも目が向いていく。

「2年生の時に、高校がカンボジアのITFジュニア遠征を組んでくれたんです。その時に帯同してくれたコーチが、佐藤文平さん。すごく楽しそうで、いいなーと思いました」

ツアー転戦の経験を持ち、指導者のみならず研究者の顔も持つ佐藤と接したことが、“ツアーコーチ”という未来像を結ぶ最初のきっかけとなる。
加えて、海外で仕事をすることが多い親の姿も、石川さんの目をアメリカに向かせた。

「親が昔、仕事でアメリカに行っていたので、仕事で英語を使うのを小さい頃から見ていていいなと思ってました。そこで高校2年生の時、単身、2週間アメリカのサンディエゴに行って、語学学校に行きつつテニスをしたんです。その時の環境を見て、こんな所でテニスやりたいと思いました。それもあり、進路については悩んで悩んで、3年生になる直前に、やっぱりアメリカに行こうと思いました」

だが、石川さんがアメリカ留学を決意した直後、新型コロナウイルスの感染拡大により、世界の様相が劇的に変わる。高校3年生時には、大きな目標としていた全国選抜高校も含め、インターハイや国体など、全ての大会が開催中止となった。

「3年の時、全国選抜に個人戦でも出られる予定だったんです。選抜で勝つと、全米オープンジュニアにつながる試合にも出られるはずだったので、すごく気合いが入っていたんです。でも選抜がコロナ禍でなくなり、続いてインターハイや国体も……そうですね、そこらの成績は自分でも欲しかった。そこから、進路も迷い始めたので……」
全国選抜やインターハイでの戦績は、アメリカの大学でもスポーツ特待生の評価対象になり、奨学生としての好待遇も期待できる。その道が閉ざされたことは、海外へのハードルを高めただろう。

それでも石川さんは、初心を貫く。「最終的な目標をツアーコーチと思った時、海外でしっかり英語も学べる留学が、一番良い選択だった」ためだ。

そこで進学先を2年制のコミュニティカレッジに定め、語学や学力、テニスの戦績等を勘案し決まったのが、現在通う、カレッジ・オブ・デザート。BNPパリバ会場までは、車で15分ほどの立地だ。

この進学先決定は、自身の意向というより、「条件的に、ここになってしまった感じ」と石川さんは打ち明ける。だが実はその偶然が、新たな縁を引き寄せた。

「うちの大学のテニス部のコーチの名前が、ガイ・フリッツ。テイラー・フリッツのお父さんだったんです」

そのことを入学するまで知らなかったと、決まりが悪そうに笑った。
テイラー・フリッツは今大会でも決勝に進出しているアメリカ男子ナンバー1選手。そのフリッツも「父親が近くの大学のコーチなので、子どもの頃からここにはよく来ていた」と明かすほど、フリッツ家とこの大会の結びつきは強い。

そのような縁もあり、カレッジ・オブ・デザートの学生がヒッティングパートナーを務めるのは、言わばこの大会の伝統。コーチたちの「絶対に経験しておけ!」という強い勧めもあり、石川さんもほぼ毎日、会場に足を運んでいる。

世界のトップの選手たちの試合を間近で見た時、石川さんが最初に思ったのは、「動画で見て感じていたのより、ボールのスピードは速くないな」だった。

ただ、ミスがない。そして、タイブレークなどの緊迫の場面になるほどプレーのレベルが引き上げられるのは、見て明らかだった。
さらには、西岡良仁と打ち合い肌身で感じたのが、「ボールの質が高い」ということ。

「やっぱり単純に球の質がすごい、重い。もう1人のコーチと一緒に2対1で打っていたんですが、西岡選手はミスしないし、自分が打ち損じてもコートにボールが返ってくるので、全然違うなって。見てる分には軽く飛んでいるように見えても、実際に打つと、グッと手元で伸びてきたり、跳ねた後の変化だったりがすごかったです」

それらの経験は石川さんに、ツアーコーチという最終的な目標とともに、「自分もプロに挑戦したい」との意欲をたぎらせもした。

「こっちに来て初めてトッププロと触れ合うことができた。もっとついていけないのかなと思っていたけれど、ラリーもできて、頑張ればチャンスはあるのかなと。こういう環境があるので、もっと吸収していきたい。

大学であと1年半やって、しっかり結果が出せそうだったらフューチャーズにもチャンレンジしていきたい。2年目から、プロでやるかどうかは考えていきたいと思います」

人と土地の縁に導かれ、得られた大きなチャンスと気付き。それらを紡いで、夢の輪郭を描いていく。

現地取材・文●内田暁

【PHOTO】インディアンウェルズで決勝進出のフリッツ。ハイスピードカメラによる『30コマの超分解写真』

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