宍戸大樹。「ミスターシュートボクシング」が振り返る、18年の軌跡
宍戸大樹。「ミスター・シュートボクシング」の異名をとった男は、2016年4月3日を最後にリングを降りた。18年の濃密なキャリアを、本人の口から振り返ってもらう。
宍戸大樹。「ミスター・シュートボクシング」の異名をとった男は、2016年4月3日を最後にリングを降りた。18年の濃密なキャリアを、本人の口から振り返ってもらう。
高校時代には三冠を達成し、2011年ロンドンで行われたプレ五輪で準優勝するなど、国内外で活躍を見せるレスリング・田中幸太郎。惜しくも今年のリオデジャネイロ五輪への出場はならなかったが、次を見据えて練習
スポーツの会場を盛り上げる上で今や欠かすことができない要素の一つが音楽だ。今回はプロ野球やバレーボール、サッカー等の様々な競技の会場での国家斉唱やハーフタイムショーなどを務め、Fリーグ・2014-20
なぜ痛い思いをし、体中傷だらけになりながらも戦うのか。後編ではその理由や日常生活における苦労を中心に、デスマッチレスラーのリアルに迫る。 >前編はこちら デスマッチを続ける
デスマッチ。プロレスのルールをより危険にしたものであり、蛍光灯、強化ガラス、カミソリなどの凶器を用い、特殊リング上で戦う。肉体的にも精神的にも極めて過酷な競技である。 有名なものには四方を金網
日本では高校野球に代表されるように大会は基本的にトーナメント方式で行われ、試合間隔も短く、選手の疲労が回復しないまま次の試合を迎えることがほとんどだ。そうなると当然怪我の危険性も高まる。 今回はスポー
樽野恵。NTT東日本でプレーしながら、27歳の若さで競技の第一線から退くことを決意したバドミントン選手だ。ロンドン五輪ダブルスの銀メダリストである藤井瑞希選手(相方は垣岩令佳選手)とも、10代の頃からしのぎを削り合ってきた実力者。彼女が第2の人生は、日本のバドミントン史において初の挑戦であった。
堀之内聖。1979年10月26日生まれ、埼玉県出身。2002年にJ1・浦和レッズに加入。リーグ優勝、天皇杯、AFCチャンピオンズリーグなど、数々のタイトル獲得に貢献。2011年で浦和を退団、現在は浦和レッズでクラブスタッフをしながら、フットゴルフ選手としてプレー。2016年1月に開催されるフットゴルフW杯日本代表に選出している。
都築龍太。元サッカー日本代表GKであり、国見高~G大阪~浦和と日本サッカーのトップでプレーし続けた。引退後の彼が選んだのは、なんと市議会議員への道だった。ゴールマウスを守る仕事から、市民を守る仕事へ。都築の思いについて聞いた。
大西「僕が口説きました(笑)」 -お二人がアイスホッケーという競技を選手としてスタートした理由を教えてください。 大西:私は中学生までずっとラグビーをやってきました。高校では他の競技もや