【#5】なでしこジャパンは弱くなったのか? 変わる女子サッカーの潮流(東京ヴェルディアカデミー寺谷真弓氏インタビュー)
日本女子サッカーを20年以上にわたって見つめてきた寺谷真弓。今後の女子サッカーについてどう見るのか?
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世界の女子サッカーの潮流が変わった
2011年にW杯を制して以降、2015年こそ準優勝を果たしたものの、2019年はベスト16、東京五輪はベスト8に終わり、ビッグタイトルには恵まれていない。 なでしこジャパンの課題はどこにあるのだろうか。寺谷はこう指摘する。 「なでしこに課題がある、というよりも世界の女子サッカーの潮流が変わってきた」 どういうことだろうか。それを知るためには女子サッカーの歴史を振り返る必要がある。寺谷が現役だった90年代、強豪国と言えば、アメリカや中国、ブラジル、台湾やスウェーデンや日本だった。 「サッカーの母国・ブラジルは別として、いずれも男子サッカーが発達してない地域で女子サッカーは発展してきました。なので、戦略的な男子サッカーとは違った発展をしてきたんです。悪い言い方をしてしまえば、当時の女子サッカーは“フィジカル的に能力の高い人たちがボールを蹴り合ってる”っていう状態だった。さらにスター選手の存在が強さを左右していました。過去を振り返るとアメリカのワンバックや北朝鮮のリ・クムスク、ノルウェーのリン・メダレンなど、強烈なスター選手が一国のサッカーを牽引するのですが、彼女たちの引退とともにまた弱くなってしまうという経緯がありました」。
そこにいち早く、最先端のヨーロッパサッカーのトレンドを取り入れ、戦術的なゲームメイクで世界を制したのが2011年のなでしこジャパンだった。 「世界の女子サッカーが現代サッカーに追いついていないときにそれをやって、フィジカル的にもある程度持ってる子たちが揃ったから、2011年に勝てたんですよね。そのときに、ああいうテクニカルなサッカーをする国が少なかった」 2012年、とあるサッカー雑誌で寺谷はW杯制覇の要因をこんな言葉で表している。 「日本は“女子サッカー”をやろうとしてなかった。逆にいえばアメリカは“女子サッカー”をしてしまっていた」 (次ページ「なでしこ復活に必要なものとは?」へ続く)
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