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寺谷真弓,東京ヴェルディ

【#4】大化け選手を探せ 寺谷が発掘した「長谷川唯」というダイヤの原石(東京ヴェルディアカデミー寺谷真弓氏インタビュー)

なでしこジャパンの数多くのメンバーが在籍した日テレベレーザとその下部組織であるメニーナ、その監督を歴任してきたのが寺谷真弓だ。寺谷自身、当初から優れた指導者だったわけではない。もともとは生粋のプレーヤーだった寺谷は、メニーナの監督就任当初、「選手目線の指導しかできなかった」と振り返る。勝ち負けにこだわってしまって、選手の将来的な成長を見据えた指導がなかなかできなかったのだ。

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「圧巻」の中学1年生 永里優季という選手

寺谷真弓,東京ヴェルディ

その理由は、そもそも寺谷自身が指導者を目指してこなかった点にある。さらに、幸か不幸か、指導者1年目で永里優季が入ってきたことも一因かもしれない。後に、2011年のW杯優勝チームの一員となる永里は入団当時から「圧巻」の一言だった。中学1年にして165cmという図抜けた体格、大学生や大人もぶち抜く豪快なドリブル…。ストライカーの要素をすべて兼ね備えていた。

「あれだけ特別な素材っていうのが、当時の私にはわからなくて…。毎年これぐらいの子がメニーナには当たり前のように来るんだって思ってたんです」

寺谷真弓,東京ヴェルディ

指導者1年目の寺谷にとって、永里はあまりに完成されすぎていたのかもしれない。メニーナのセレクションを受けにくるのは技術も体格も未成熟の中学1年生が大半だ。その中から、一流のアスリートに大化けするダイヤの原石を発見し、輝きを放つよう磨き上げるのが指導者の役割であると気づいた。

陸上出身の「原石」 長谷川唯の発掘

寺谷真弓,東京ヴェルディ

過去に、寺谷が頭を悩ませた「原石」に出会ったことがある。メニーナ・ベレーザを経て、ACミラン・フェミニーレ(イタリア)、ウエストハムユナイテッド(イングランド)へと羽ばたいた長谷川唯だ。今でこそ、なでしこジャパンの中核として活躍する長谷川だが、小学6年生でメニーナのセレクションを受けに来た際に、寺谷は葛藤することになる。

「当時、長谷川は埼玉県に住んでいて、メニーナの練習場の稲城市までは遠い。なにより、体格が他の選手に比べて図抜けて小さかった。この子はやっていけるんだろうか…って」

寺谷真弓,東京ヴェルディ

当時の長谷川は身長135cmで体重は20kg台だった。ただ、なにより負けん気が強く、技術面も目をみはるものがあった。さらに視野の広さに加え、豊富な運動量にも寺谷は着目した。小学生の頃に陸上クラブにいた長谷川は、800m走で全国の強化指定基準を切るほどのランナーだった。

接触プレーのたびにふっとばされ続けた長谷川だったが、体の成長を根気よく待った甲斐もあり、長谷川は世界へと羽ばたいた。寺谷の選球眼は見事、的中することになる。

(次のページへ続く)

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